2015年4月〜2017年3月 掲載
2016年
3月
31日
木
平成28年4月1日
今回から、血液型と性格について述べます。
「片桐さんは血液型、何型ですかぁ?」
「B型ですよ」
「エェーツ!? やっぱりー」
私の人生において、今まで、何度この様な質問を受けた事でしょう。
数えきれません。
質問者が、B型という血液型を有する人間に対して、侮蔑(ぶべつ)や嘲笑(ちょうしょう)の感情を抱(いだ)いているのは、その表情や口調から明らかです。
決して、B型に対して良い評価を与えているのではありません。
私に対する質問以外でも、「○○さんは典型的な△型だから・・・」という類(たぐ)いの会話を幾度(いくど)も耳にしてきました。
日本人は血液型によって人の性格を分類するのが好きなようです。
では、この血液型性格分類は、はたして正しいのでしょうか?
そもそも、血液型によって性格がどのように分類されているのか、調べてみました。
能見(のうみ)正比古(まさひこ)氏は、以下のように、血液型によって性格を分類しています。
A型
・“何かのため”に生きるという「生きがい」を求める。
・周囲に細かく気を使い、相手や周囲との間に波風が立つのを嫌う。
・感情や欲求を抑制する。思いやりや察し合いを大切にする。
・ルール、慣習、秩序を重視。極端さを避け、羽目を外(はず)さぬ。
反面、やや型にはまる。
・スジを通し、ものごとのケジメ、白黒をはっきり付ける。頑固(がんこ) で短気。
・継続的に努力し、肉体の苦痛によく耐える。
・一つ一つ段階を踏む。慎重、緻密(ちみつ)。物ごとへの取っ付きは遅いが、大器(たいき)晩成(ばんせい)。
・完全主義。未来へは悲観主義。苦労性(くろうしょう)。
・心の底には、思いきってカラを破りたいという現状打破(げんじょうだは)の夢がある。
O型
・生きる欲望が強い。バイタリティが盛ん。
・目的が決まると直進し、達成力もずば抜けている。目的が曖昧(あいまい)だとずっこける。
・ロマンチストだが、現実的という二面性がある。
・考え方はストレート。少々単純でもある。
・仲間には愛情深い。家族思い。親友には開放的で、親分ハダでもある。
・反面、仲間以外や未知の人に強い警戒心を持つ。慎重。
・人間関係を大事にする。特に信頼性を重視。
・感情は、サッパリしていて、あとに尾を引かない。
・自己主張、自己表現欲が強い。個性的な事を好む。
・専門家になりたいと望む。
・勝ち気。ただし、負けると知るとあきらめが早い。
B型
・マイペース。縛られ、抑制される事をいやがる。
・考え方が柔軟。新しい事や、自分と違った相手への理解力に富む。創造的。
・周囲の影響を受けない、気にしない。
・無愛想だが、すぐ心を開く。開放的。差別なく親しむが不用心(ぶようじん)。
・涙もろい。人情味に富む。細かい察し合いは苦手。
・ロマンチストではない。実利的。
・興味を多方面に持つ。ジャーナリスト型。ながら族。凝り性(こりしょう)。
・未来に楽観的。済んだ事に対して未練がましい。
・ケジメが乏しい。
・仲間外れを気にする。疎外感が強い。
AB型
・ドライ。考え方が合理的。
・反面、空想的、非日常的、メルヘンチック。
・情緒の安定した面と、不安定な面と、二面性を持つ。
・にこやか、そつが無い。頼まれたらイヤと言えない。親切。調子良すぎるのが難点。
・反面、人との付き合いに距離を置く。慎重。
・物事に没頭(ぼっとう)できず、根気がない。
・分析が得意。批判力に長(た)ける。イヤミは名人級。
・社会参加に熱心。奉仕の精神に富む。
・偽善を憎む。正義派。
・多角経営型。趣味を活かした仕事を望む。
・食いしん坊。睡眠不足に弱い。
次号へ続く
2016年
4月
30日
土
平成28年5月1日
前回、能見(のうみ)正比古(まさひこ)氏の血液型性格分類を紹介しました。
能見氏は1970年代に血液型ブームを巻き起こした張(ちょう)本人です。
読者の多くは、この性格分類で、自分の血液型の項を読み、その幾つかが自分の性格と一致すると感じた事でしょう。
そして、「結構当たっている」と納得した方も大勢いると思います。
しかし、自分の血液型以外の項も読んでみて下さい。
他の血液型にも、自分に当てはまる性格が幾つも書かれていませんか?
それも、その筈(はず)です。
どの血液型にも、虚栄心をくすぐる、格好良い性格が散りばめられています。
誰でも、「あなたは、結構思いやりがあって、友達を大切にするし、情にもろい正義感でもあるわね」と言われれば、照れながら「まあ、それほどでもないけど」と答えつつ、内心ニンマリするでしょう。
この褒(ほ)め言葉は、単にA、O、B、ABの各血液型の項から1つずつ性格を拾って並べただけです。
また、どの血液型にも、甲乙どちらにも解釈可能の曖昧(あいまい)な表現が多く、どんな人間にも当てはまってしまいます。
例えば、A型には「一つ一つ段階を踏む」と「短気」の両方があるそうですが、誰でもどちらかが当てはまるでしょう。
O型には「ロマンチスト」と「現実的」の2面性があるそうです。
これも、やはり誰にでも言える事です。
B型には「マイペース」と「柔軟」の両方があります。
これも、誰でも必ずどちらかが当てはまります。
AB型に至っては噴飯物(ふんぱんもの)です。
「情緒安定」「情緒不安定」の両面があるそうです。
誰だってそうではありませんか?!
私が能見氏の血液型性格分類を読んでも全く理解できない理由が、もう一つあります。
同じ性格が、複数の血液型の項に含まれている事です。
「慎重」という性格がA型、O型、AB型の3つに共通して含まれています。
つまり、B型以外は皆「慎重」という訳です。
B型は日本人の約2割です。
A型、O型、AB型合わせて8割の人に、「あなたはどちらかと言うと慎重でしょう?」と問い、「そうです」の回答を得たところで、分類としてどれ程(ほど)の意味があるのでしょうか?
こんなもので「当たっている」と喜んでも仕方ありません。
次回は、能見氏とは別の血液型性格分類を紹介します。
次号へ続く
2016年
5月
31日
火
平成28年6月1日
今回は、前々回紹介した能見正比古氏とは別の、伊集院(いしゅういん)大輔(だいすけ)氏による血液型性格分類を紹介します。
A型
・オーソドックス。保守的。形式主義。常識人間。
・社会的使命感が強い。正義派。完全主義者。
・慎重。集中力があり、根気強い。大器晩成。
・受け身的。サッパリしている。
・プライドが高い。
O型
・人間味に溢(あふ)れる。飾り気がない。おおらか。
・情熱的。エネルギッシュ。
・身内意識が強い。本音で語る。誤解されやすい。
・ロマンチスト。
・目的意識が強い。負けず嫌い。利己的。
・派手好み。普段は地味。
・一見、大胆。実はもろい。
B型
・好奇心旺盛。熱しやすく冷めやすい。
・マイペース。思いつきで行動する。組織プレーより個人プレーが得意。
・話題豊富。表面は明るいが、根は暗い。照れ屋。
・仕事大好き。
・放言で無意識に人を傷つける。
・社交上手。気さく。人情家。涙もろい。
・経済観念がない。
AB型
・合理的。クールでドライ。安定志向。金銭感覚に優(すぐ)れる。経済観 念が発達。
・そつが無い。頼まれるとイヤと言えない。
・妥協的。主体性に欠けるがいざとなると凄(すさ)まじい。
・積極的に他人の世界に入らず、自分の世界にも入れない。
・器用だが持久力がない。
・メルヘンチック。空想的。
・知的な都会派。軽いタッチのジョークで人に好かれる。
どうです?皆さん。
伊集院氏の分類にも能見氏の分類と同様に、どの血液型にも、虚栄心をくすぐる言葉が散りばめられています。
例えば、A型には「社会的使命感が強い」、O型には「人間味に溢(あふ)れる」、B型には「社交上手」、AB型には「知的な都会派」というように、どの血液型にも格好良い性格が割り当てられています。
自分がどの血液型であろうと「そうなんだよ。結構当たっているね」と納得してしまいます。
しかし、能見氏の分類と同様に、どちらにも取れる曖昧(あいまい)な記述が多いのです。
例えば、O型は「派手好み。普段は地味」だそうです。
派手な人も地味な人も、どちらでも当てはまってしまいます。
また、「一見、大胆。実はもろい」も極めて曖昧です。
AB型の「主体性に欠けるがいざとなると凄(すさ)まじい」も曖昧で分かりにくい表現です。
「積極的に他人の世界に入らず、自分の世界にも入れない」に至っては、理解不能です。
能見氏と伊集院氏の分類を見比べると、両者で見立てが違う事に気付きます。
能見氏はA型、O型、AB型が「慎重」と言っているのに対し、伊集院氏はA型のみが「慎重」と言っています。
血液型による性格分類とは、かように、どうとでも取れる曖昧な所見を積み重ねてラベル付けをした物に過ぎません。
曖昧な物を束(たば)ねれば、中には一つぐらい「当たっている」と思える所見もあります。
こうして、血液型性格判断を信じてしまう人が出て来るのです。
提唱者が異なると、各血液型の詳細も異なる「分類」など、学問ではありません。
デタラメです。
次号では、血液型分類の起源を探ります。
次号へ続く
2016年
6月
30日
木
平成28年7月1日
血液型によって性格を判断しようというバカバカしい考え方が、これほど当たり前のように流布(るふ)している日本は、世界的にも珍しいようです。
ただし、人間を分類しようという試みは古代から行われてきました。
今から2,400年前の紀元前400年頃、古代ギリシャの医師ヒポクラテスは、人間には4種類の体液があり、その混合に変調が生じると病気になるという「四体液説」を唱えました。
4つの体液とは、血液・黄(色の)胆汁・黒(色の)胆汁・粘液です。
ヒポクラテスはこの4つの体液を、当時(古代ギリシャ)の「四大元素(空気、火、地、水)」に関連付けました。
すなわち、血液が空気、黄胆汁が火、黒胆汁が地、粘液が水に相当すると考えたのです。
それから約500年後の紀元100年代(今から1,900年前)に、古代ギリシャ・ローマにガレノスという医師が現れました。
彼はヒポクラテスの「四体液説」を発展させ、4種類の体液の偏(かたよ)りによって気質が異なるという「四気質説」を提唱しました。
これが、人の性格分類の始まりです。
「四気質説」によると、血液が多い人は「多血質」と呼ばれ、明るく社交的な気質の持ち主です。
血液は古代ギリシャの「四大元素」の中の空気に相当しますので、大気中に上昇して行くイメージです。
黄(色の)胆汁が多い人は「胆汁質」と呼ばれ、積極的で短気な気質の持ち主とされます。
黄(色の)胆汁は「四大元素」の火に相当しますので、カーッと燃え上がるような気質のイメージです。
黒(色の)胆汁が多い人は「黒胆汁質(憂うつ質)」と呼ばれ、心配性(しんぱいしょう)で不安定な気質の持ち主とされます。
黒(色の)胆汁は「四大元素」の地に相当しますので、下方へと向かうような暗く陰湿なイメージです。
そして、粘液が多い人は「粘液質」と呼ばれ、冷静で勤勉な気質の持ち主とされます。
粘液は「四大元素」の水に相当しますので、冷ややかなイメージです。
「四気質説」はヨーロッパの歴史の中で一旦忘れ去られていきましたが、ルネッサンス期以降、再び脚光を浴びる事になりました。
哲学者カントは、「四気質説」に基づいて人間の気質について論じました。
心理学者ブントの気質理論も「四気質説」に基づくものでした。
その他、多くの学者が「四気質説」を取り上げ、これを基礎として多くの理論が発展していきました。
もちろん、人間の体液がこれら4種類で構成されているという説は、現代医学において完全に否定されます。
しかし、4つの気質として書かれた記述内容を基本として、2,000年以上もの長きに渡って、多くの人々が人間を論じてきたのです。
やがて、この論争に乗じ、20世紀になって唐突(とうとつ)に、一人の日本人が人間の性格と血液型を結びつける珍説(ちんせつ)を発表したのです。
次号で詳しく述べます。
次号へ続く
2016年
7月
31日
日
平成28年8月1日
2,000年という気質研究の歴史において、血液型と気質(性格)の関連について初めて研究(?)したのは、戦前の日本人でした。
東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)の古川(ふるかわ)竹二(たけじ)教授です。
彼は、1920年代から30年代にかけて、血液型と気質の関連を研究(?)し、論文や書籍を残しました。
当時の最新医学であるABO式血液型が4種類から成っていたため、これらと「四気質説」を結びつけるという、奇想天外な事を思いついたのです。
つまり、彼は「四気質説」にABO式血液型を無理やりこじつけた訳です。
大日本帝国陸軍はこの研究(?)の影響を受け、ABO式血液型によって将兵の気質・能力を分類し、部隊編成の際に最も適した任務に当てようと考えました。
そして、各部隊から将兵の調書を集め実戦に役立てようとしましたが、期待した結果は得られず、1931年に中止されました。
その後も、多くの研究者が古川説を追試しましたが、ABO式血液型と性格(気質)との間に、関連性を見い出す事は出来ませんでした。
古川教授は1940年に亡くなり、その珍説(ちんせつ)は敗戦後の混乱の中、忘れられていきました。
ところが、1970年代に能見(のうみ)正比古(まさひこ)氏が『血液型でわかる相性(あいしょう)』(1971年)、『血液型人間学』(1973年)を相(あい)次いで出版しました。
これをマスコミが大々的に取り上げたため、血液型と性格を関連付ける説が日本中に広まったのです。
能見氏の説は古川教授の枠組みを踏襲しています。
古川教授は「四気質説」を発想の原点としていますから、能見氏らの血液型別性格分類は「四気質説」に端(たん)を発していると言えます。
ヒポクラテスもガレノスも、まさか2,000年の時空(じくう)を超えて、ギリシャ・ローマ時代には知られていなかった東洋の島国で、こんなに多くの人々が自分たちの理論を受け入れてくれるとは思ってもいなかったでしょう。
能見氏の著書は、芸能人、スポーツ選手、政治家を例に挙(あ)げて説明しています。
教育や企業経営への応用の提言もしています。
幅広い読者層に対して分かり易い内容です。
現在出版されている血液型・性格関連の書籍の大部分は、能見氏の著書を模倣(もほう)しています。
血液型と性格との関連が科学的に証明されるのなら、素晴らしい事です。
なぜなら、心理学の領域では極めて珍しい事に、日本の研究者が世界の最前線に立つ事ができる研究領域となるからです。
しかも、世界初の「性格と遺伝との関連の証明」という事になります。
しかし、残念ながら、そうはなりませんでした。
「ネス湖に怪物ネッシーが存在する」事はネッシーを捕まえる事で証明できますが、「ネス湖にネッシーは存在しない」事を証明するのは並大抵ではありません。
血液型と性格の関連についても、同様です。
「関連がない」事は直接証明する事ができません。
しかし、今日(こんにち)まで、統計学的に血液型と性格に「関連がある」事を証明した研究は皆無(かいむ)です。
そして、今後も、血液型と性格との間に関連を証明する事は不可能であろうと予想されます。
次回以降にその理由を述べます。
次号へ続く
2016年
10月
30日
日
平成28年11月1日
そもそも、血液型とは何でしょうか?
血液型と聞いて、皆さんの頭に浮かぶのはABO式血液型でしょう。
A型、B型、AB型、O型という4分類は、赤血球の分類法の一つです。
これは、1901年、オーストリアのランドシュタイナーという学者が血液の凝集反応(赤血球が集合して塊を作る事)から発見したものです。
最初に血液中から発見されたため「血液型」と命名されましたが、その後の調べで、血液型を決定する「血液型物質」は全身に分布する物質である事が分かりました。
それどころか、ABO血液型物質は、人間以外の動物にも、植物にも、細菌にも存在するのです!
ランドシュタイナーは人間の血液を血球と血清に分け、それぞれ別の人から採ったものと混ぜ合わせると、血球が凝集したりしなかったりする現象を発見しました。
それが、赤血球のある性質の違いによる事を発見し、4通りの分類につながったのです。
今では当たり前のように使われているこの赤血球分類は、不確実で根拠がなかった輸血療法に道を開き、遺伝学研究発展の大きなきっかけになりました。
1925年にはABOによる遺伝の法則が発見され、2年後の1927年にはA型、B型、AB型、O型の4通りの名称が国際連盟で決議されました。
ランドシュタイナーには、血液の画期的な研究により、1930年にノーベル生理・医学賞が授与されています。
肉眼ではどれも同じに見える血液が実は何通りかに分かれているという発見は、当時画期的な事だったのです。
ABO血液型は、赤血球の表面に付いている糖の分子「糖鎖」の違いで区別されます。
O型の赤血球にはH型という糖鎖が付いています。
このH型にN-アセチルガラクトサミンという糖が付いた糖鎖(A型物質)を持つのがA型で、H型にガラクトースという糖が付いた糖鎖(B型物質)を持つのがB型です。
AB型はこの両方の糖鎖を持っています。
つまり、A型の人は赤血球表面にA型物質を持ち、B型の人は赤血球表面にB型物質を持っています。
AB型の人は赤血球表面にA型物質とB型物質の両方を持ちます。
O型の人は赤血球表面にA型物質もB型物質も、両方とも持たないという訳です。
血液型分類は、実はこのABO式血液型分類以外にも沢山あります。
血液型分類は大きく分けて「赤血球の血液型分類」と「白血球の血液型分類」とに分けられます。
これまで述べてきた、ABO式血液型分類は赤血球の血液型分類の一つです。
赤血球の血液型物質はすべて、赤血球の細胞膜上に細かいトゲのように付いています。
赤血球血液型の分類法は100以上ありますが、その中でも利用頻度が高いものを幾つか挙げます(もちろん、最もよく知られているのはABO式です)。
ABO式(4種類)、Rh式(大きく分けると2種類、細かく分けると18種類)、MN式(3種類)、P式(2種類)、ルイス式(3種類)などなど。
このように、赤血球の血液型分類だけでも多くの分類があるにもかかわらず、ことさらABO分類にこだわり、その4種類に人の性格を当てはめて分類しようとする試みがいかに滑稽(こっけい)か、お分かり頂けるでしょう。
その根拠を述べた研究報告は皆無です。
別にABOでなくても、Rh式の18種類やMN式の3種類に当てはめて分類しても構わないのに、そのような報告はありません。
輸血において最も重要なABO型分類が、たまたま古代ギリシャ・ローマの「四気質説」と同じ4種類だったから、無理やりABO型と性格を関連づけようと思い立っただけの事なのです。
次号に続く
2016年
11月
29日
火
平成28年12月1日
前回、赤血球の血液型分類だけでも多くの分類があるにもかかわらず、ことさらABO分類にこだわり、その4種類に人の性格を当てはめて分類しようとする試みが滑稽(こっけい)であると述べました。
人の性格をABO分類に関連づけて分類する事が如何にバカバカしいか、その理由は他にもあります。
以後、混乱を防ぐために、血液型という言葉はABO式の赤血球血液型分類の事を指す事にして話を進めます。
ABO血液型は、赤血球の表面に付いている糖の分子「糖鎖」の違いで区別される事は前回書きました。赤血球表面の糖鎖が血液型物質です。
日本人では、その出現頻度はA型:O型:B型:AB型=4:3:2:1です。
この比率は人種によって異なります。
そもそも、人類の祖先であるホモ・サピエンスは10万年ほど前にアフリカで誕生したのですが、この頃の人類はすべてO型だったのです。
そのため、世界各地の先住民族のほとんどがO型です。
アメリカ大陸に住む先住民族ネイティブ・アメリカン(アメリカインディアン)、イヌイット(エスキモー)、オーストラリアの先住民族アボリジニーも、ほとんどがO型です。
最初、人類の血液型はすべてO型だったのですが、農耕民族の一部からA型が生まれ(日本、韓国など)、遊牧民族の一部からB型が生まれ(インド、カザフスタン、キルギスなど)、両者の交流によってAB型が生まれた(ハンガリー、ポーランドなど)のだそうです。
能見(のうみ)氏らの血液型性格分類に従えば、アメリカインディアンやエスキモーにはロマンチストや派手好みの人が多い事になります。
そんな話は聞いた事がありません。
また、インドやカザフスタンにはマイペースで経済観念がない人が多い事になります。そんな事をインド人やカザフスタン人に話したらきっと怒られるでしょうね。
既に述べたように、ABO血液型物質は糖からできています。
糖の合成を可能にしたのが原始生物で、血液型物質を最初に合成する事ができたのは細菌です。
地球上に棲(す)むあらゆる細菌がABO血液型物質を持っているのです。
例えばサルモネラ属のデュバル型はA型物質を持っており、ミルウォーキー型はB型物質を持っています。
いくら血液型性格判断の信奉者でも、サルモネラ菌に完全主義者や人情家がいるとは言わないでしょうね。
次号へ続く
2016年
12月
31日
土
平成29年1月1日
明けましておめでとうございます。
今年も、人の意見に左右されない議論を展開します。お付き合い下さい。
細菌の次に地球上に出現したのが、藻類(そうるい)やシダ植物です。
植物に含まれている血液型物質は、面白い事にO型かAB型がほとんどで、A型はツバキ・ブナなど数種に、B型はツゲなど数種に見られるだけです。
いくら能見(のうみ)氏の信者でも、ツゲの樹(き)が涙もろいなどと主張する人はいませんよね。
生物は進化しながら血液型物質を合成する形質を受け継いできました。
ウナギ・ナマズ・サンショウウオ・豚からはA型物質が、アサリ・ハマグリからはO型物質が、亀・クジラからはB型物質が、ウシガエル・トノサマガエルからはAB型物質が、見つかっています。
人類と同じようにA、O、B、ABの4種類の型がすべて揃(そろ)っているのは、霊長類の中でも高等な部類に属するオランウータン・チンパンジー・ヒヒだけです。
読者の中にも血液型性格判断の信奉者がいる筈(はず)です。
その人達に問います。
A型の人へ。自分の性格がナマズと一緒だと認める人はいますか?
O型の人へ。自分の性格がアサリやハマグリと一緒だと認める人はいますか?
B型の人へ。自分の性格が亀と一緒だと認める人はいますか?
AB型の人へ。自分の性格がカエルと一緒だと認める人はいますか?
私達の腸の中には100兆個もの細菌がいます。
それぞれの細菌がA型物質やB型物質を持っているという事は前回お話しました。
腸内細菌の代表格である大腸菌も、O型物質を持つもの、A型やB型物質を持つものに分かれます。
これらの腸内細菌を、人類は人類に進化する以前から腸の中に棲(す)まわせていたのです。
そして、これらの腸内細菌が人間にABO式血液型を作りました。
腸内細菌が持つA型物質やB型物質を形成する遺伝子が体内に潜(もぐ)り込み、遺伝子移入が起こったのです。
従って、ABO血液型物質は赤血球表面だけに存在するのではありません。
体内の血液型物質の分布を見ると、実に多くの器官に分布しています。
特に、胃や腸内で分泌される粘液であるムチンの中には、血液中よりもずっと多い血液型物質が存在します。
腸ではおよそ80%、胃においてはほぼ100%の発現率を示します。
血液型物質は最初に赤血球表面から発見されたため「血液型物質」という名称が付いたのですが、本当は「胃腸粘液型物質」と呼ぶ方が妥当なのです。
胃腸に比べて、脳内に存在する血液型物質は僅かです。
脳内における血液型物質の分布度は僅(わず)か8%にすぎません。
性格が中枢神経である脳の働きによって発現している事に、疑いの余地はありません。胃や腸が性格を左右しているという人はいないでしょう。
性格が血液型によって決まるとしたら、脳内に血液型物質が少ないのは不自然なのです。
次号へ続く
2017年
1月
31日
火
平成29年2月1日
これまで、主に生物学的見地(けんち)から、血液型による性格分類が不合理である事を説明してきました。
今回からは、主に心理学的見地から、その不合理性を説明します。
昨年12月1日付けの本欄で、古代ギリシャ・ローマ時代の、人間の性格を4つに分類する「四気質説」に基づき、2,000年以上もの長きに渡り、多くの人達が人間を論じてきたという事を述べました。
しかしながら、数多くの人々の性格を強制的に少数のカテゴリーに分類するという類型論には無理があります。
現代の心理学では、類型論ではなく、特性論による性格の把握が行われています。
すなわち、
① 神経症傾向(情緒不安定性)」
② 「外向性」
③ 「開放性」
④ 「協調性」
⑤ 「誠実性」
の5つの性格特性について、それぞれ得点を付けて、1人の人間の性格を評価するという方法です。
国語力を漢字の書き取り、読解力、記述力などの項目ごとに点数を付けて評価するのに似ています。
性格を連続する量として測定する訳です。
5つの特性ごとに連続量として性格を測定する分析方法は、ビッグ ファイブ(Big Five)と呼ばれ、現在最も研究者達の支持を得ている方法です。
血液型性格分類は、人の性格をたった4つのカテゴリーに分類するという古典的な類型論に立脚しており、しかもそれを無理やり血液型の4種類に当てはめようとする暴論です。
特性ごとに連続量として性格を測定するのが常識となっている現代心理学から見ると、時代遅れの代物(しろもの)です。
血液型による性格分類が間違っていると私が主張する根拠は、他にもあります。
血液型によって性格が決まるとなると、生まれた瞬間から死ぬまで人の性格は変わらない事になります。
人間の性格が遺伝で決まるのか、環境で決まるのか、という問題は100年以上も論争の的(まと)でした。
しかし、現在では、「遺伝と環境の両方が性格に影響し、その割合はおよそ半分半分である」という説が優勢です。
しかも、アメリカの心理学者ロバーツらの研究や、ヨーロッパで行われたドネーランとルーカスの研究の結果、生涯に亘(わた)って性格が変化し続けていく事が明らかになりました。決して「三つ子の魂(たましい)、百まで」ではありません。
性格は空気に触れると固まってしまう石膏(せっこう)のようなものではなく、力を加えると少しずつ変化し続ける粘土のようなものだと言えます。
血液型による性格判断などナンセンスなのです。
次号へ続く
2017年
3月
01日
水
平成29年3月1日
最後に、性格に対する遺伝の影響を考えてみましょう。
仮に身長を決める遺伝子が1種類だけだとしましょう。
分かり易いように、「背を高くする遺伝子」と「背を低くする遺伝子」のどちらかしかないとします。
すると身長の分布はどうなるでしょうか?
分布曲線は「背の高いグループ」と「背の低いグループ」の2峰性となり、中間にはあまり人がいない分布となるでしょう。
しかし、現実には身長の分布は正規分布(左右対称、富士山のような曲線)を描きます。
20011年10月に文部科学省が公表した体力・運動能力調査によると、30-34才日本人女性の平均身長は158.6cm、標準偏差5.3cmで、分布曲線は左右対称、1峰性のきれいな正規分布です。まさしく富士山のようです。
決して、「背が高い人」「背が低い人」に分かれてはいません。
では、「身長を決める遺伝子」の影響を環境が打ち消したのでしょうか?
しかし、身長は伸ばそうと思って伸ばせる訳ではなく、逆に伸びを止めようと思っても容易には止められません。
つまり、身長には1種類だけではなく、非常に多くの遺伝子が影響し、個人個人はそれぞれ異なる遺伝子の組み合わせを持つからこそ、なだらかな個人差が生じると考えられるのです。
このような、多くの遺伝子に影響を受ける形質を多因子形質と呼びます。
細かい個人差が生じる形質は多因子形質である可能性が高いのです。
人の性格特性の個人差もなだらかであり、分布図は中央付近に位置する人が多い正規分布となります。
すなわち、性格特性も多くの遺伝子の影響を受ける多因子形質であると言えます。
身長や性格特性など、個々の値が連続的に変化するような特徴に対しては多くの遺伝子が影響するのです。
ABO血液型という限られた遺伝形式だけで、多くの遺伝子が影響する性格を決めるという説には無理があるのです。
以上、数多くの論点から血液型性格判断は誤りである事を指摘しました。
皆さんは、人と議論して自分の形勢が不利な時に「あなたが理屈っぽいのは、△型の悪い癖よ」などと、捨て台詞(ぜりふ)を吐いた事がありませんか?
それは、血液型を自己防衛の手段や気休めの道具として利用しているだけでなく、相手の人格を否定する方便(ほうべん)にしています。
血液型を言い訳にして、まじめな人間関係の構築に背を向けているのです。
かく言う私も、血液型がB型というだけで、何度も、嘲笑(ちょうしょう)されたり酒の肴(さかな)にされてきました。
「血液型による相性(あいしょう)診断」など、もっての外(ほか)です。
無益でくだらない血液型談議は卒業しましょう。
そして、論理的に思考し、自己の人格を磨き、知的な会話を楽しみたいものです。
今回で、血液型と性格についての考察を終わります。