令和6年9月1日
ウッフィツィ美術館
7.受胎告知(さらに続き)
新約聖書の4つの福音書の一つ、「ルカによる福音書」を残した聖ルカは医師でした。
さらに、彼は、初めて聖母子(せいぼし)(マリアとイエス)の肖像画を描いた人物と言われています。
そのため、彼は医師・画家、双方の職種の守護聖人とされています。
医師と画家は、共に聖ルカという聖人の守護の元に仕事をする職業だった訳です。
このため、中世ルネサンスの時期には、医師・薬剤師・画家は、同じギルド(組合)に属していました。
医学と美術の密接な関係はキリスト教に由来することが分かりましたが、次のような別の理由もあるそうです。
「医師や薬剤師は、肉体を癒(いや)す薬の調剤のために鉢(はち)を用いる。
画家も、病(や)める者の心を癒す絵を描くための顔料(絵の具)を作るために鉢を用いる。
医師も画家も、鉢を用いる点で同業者である」
ところで、医師であった聖ルカの「聖母マリアは処女受胎し、イエスを産んでも未(いま)だなお処女であった」という記述は、現代の医学では到底認められません。
それどころか、4世紀のミラノ司教アンブロシウス(聖アンブロージョ)に至っては、「聖母マリアには腹門(ふくもん)があった。ゆえに、膣が塞(ふさ)がれていたにもかかわらず、キリストは無事に胎外(たいがい)に出られたのだ」と言ったそうです。
21世紀の今、私のような凡人が同じことを言っても一笑に付されるだけです。
しかし、キリスト教が広まっていった時代にあっても、「永遠の処女、聖母マリア」説に対して懐疑(かいぎ)的な人達がいました。
特に、出産に臨(のぞ)み、胎児を取り出していた産婆(さんば)達は、経験的に「子供を産んだ女性が処女である筈(はず)がない」と知っていました。
15世紀から16世紀、全ヨーロッパに吹き荒れた魔女狩りの嵐は、特に産婆に対して厳しいものでした。
キリスト教の教義を心から信じることができない産婆達が魔女狩りの標的にされたのは、気の毒ではありますが理解できます。
中世の人文学者エラスムスの「愚神礼賛(ぐしんらいさん)」から、この問題についての揶揄(やゆ)にあふれた文章を紹介します。
「皆さんに伺いますが、人間は一体どこから生まれるのでしょうか?
頭からですか?顔、胸からですか?
手とか耳とかいう、いわゆる上等な器官からでしょうか?
いいえ、違いますね。
人類を増やしてゆくのは、笑わずにその名も言えないような、実に気違いめいた、実にこっけいな別の器官なのですよ」
聖ルカ(Saint Lucas, St. Luke)は、日本語では「路加」と書きます。
築地にある聖路加国際病院は、その名の通り、聖ルカを医学の守護者として仰(あお)ぎ、キリスト教精神に則(のっと)り運営されています。
聖路加国際病院については、いずれ「医学の歴史を訪ねて 東京編」の項でお話します。