平成29年2月1日
これまで、主に生物学的見地(けんち)から、血液型による性格分類が不合理である事を説明してきました。
今回からは、主に心理学的見地から、その不合理性を説明します。
昨年12月1日付けの本欄で、古代ギリシャ・ローマ時代の、人間の性格を4つに分類する「四気質説」に基づき、2,000年以上もの長きに渡り、多くの人達が人間を論じてきたという事を述べました。
しかしながら、数多くの人々の性格を強制的に少数のカテゴリーに分類するという類型論には無理があります。
現代の心理学では、類型論ではなく、特性論による性格の把握が行われています。
すなわち、
① 神経症傾向(情緒不安定性)」
② 「外向性」
③ 「開放性」
④ 「協調性」
⑤ 「誠実性」
の5つの性格特性について、それぞれ得点を付けて、1人の人間の性格を評価するという方法です。
国語力を漢字の書き取り、読解力、記述力などの項目ごとに点数を付けて評価するのに似ています。
性格を連続する量として測定する訳です。
5つの特性ごとに連続量として性格を測定する分析方法は、ビッグ ファイブ(Big Five)と呼ばれ、現在最も研究者達の支持を得ている方法です。
血液型性格分類は、人の性格をたった4つのカテゴリーに分類するという古典的な類型論に立脚しており、しかもそれを無理やり血液型の4種類に当てはめようとする暴論です。
特性ごとに連続量として性格を測定するのが常識となっている現代心理学から見ると、時代遅れの代物(しろもの)です。
血液型による性格分類が間違っていると私が主張する根拠は、他にもあります。
血液型によって性格が決まるとなると、生まれた瞬間から死ぬまで人の性格は変わらない事になります。
人間の性格が遺伝で決まるのか、環境で決まるのか、という問題は100年以上も論争の的(まと)でした。
しかし、現在では、「遺伝と環境の両方が性格に影響し、その割合はおよそ半分半分である」という説が優勢です。
しかも、アメリカの心理学者ロバーツらの研究や、ヨーロッパで行われたドネーランとルーカスの研究の結果、生涯に亘(わた)って性格が変化し続けていく事が明らかになりました。決して「三つ子の魂(たましい)、百まで」ではありません。
性格は空気に触れると固まってしまう石膏(せっこう)のようなものではなく、力を加えると少しずつ変化し続ける粘土のようなものだと言えます。
血液型による性格判断などナンセンスなのです。
次号へ続く