令和5年10月1日
ウッフィツィ美術館
2.「ヴィーナスの誕生」(15世紀)
「春」と同様、ボッティチェリの絶頂期の作品です。
この2作品は、暗殺された貴公子ジュリアーノを偲(しの)んで描(えが)かれたものです。
彼は、メディチ家の最盛期を築いた豪華王ロレンツォの弟で、プレイボーイでした。
両方の絵に描かれている美の女神ヴィーナスVenusは、ジュリアーノが愛したシモネッタという女性がモデルです。
2作品共に、300年以上、メディチ家の家宝として、世間から隔離されていました。
ウッフィツィ美術館に展示されたのは、19世紀になってからです。
ヴィーナスとは、ローマ神話に登場する愛と美の女神「ウェヌス(「魅力」という意味)」の英語名です。
ギリシャ神話ではアフロディーテAphroditeと呼ばれます。
現代の天文学では金星を、錬金術では銅を、共にヴィーナスと呼ぶそうです。
ギリシャ神話では、天の神ウラヌスと大地の女神ガイアとの間に大勢の子が生まれました。
ところが、父ウラヌスが子供たちを虐待したため、末っ子のクロノスが母ガイアと共謀(きょうぼう)して、父への復讐を企(くわだ)てました。
父ウラヌスが母ガイアに覆(おお)い被(かぶ)さろうとした瞬間、クロノスは巨大な鎌(かま)でウラヌスのペニスを切り落として海に投げ捨てたのです。
海に捨てられたウラヌスのペニスから流れ出た精液から、白い「泡(あわ)」(ギリシャ語で「アプロス」)が湧(わ)き出し、海面を漂(ただよ)いました。
やがて、この泡から絶世の美女アフロディーテすなわちヴィーナスが生まれました。
大きな翼を広げた西風の神ゼヒュロスと花の女神フローラが絡(から)み合いながら、ホタテ貝に乗ったヴィーナスに祝福の風を吹きかけると、空にはバラが舞いました。
そして、波に乗ったヴィーナスは地中海のキプロス島に漂着しました。
ギリシア・ローマ時代では、二枚貝が女性の外陰部に例えられることが多かったので、ヴィーナスがホタテ貝から「誕生」したように描かれたのだ、と言われています。
生まれたばかりのヴィーナスに、季節の女神ホーラが衣(ころも)をかけようとしています。
キプロス島の王様キニュラスにミルラMyrrhaという娘がいました。
キニュラスの妻(ミルラの母)が「女神アフロディーテより自分の娘ミルラの方が美しい」と言ってしまったから、さあ大変!
神をも恐れぬ思い上がりに、アフロディーテも黙ってはいません。
怒った女神は、ミルラの母への罰として、娘ミルラの心に、父キニュラスへの恋心を沸き立たせ、キニュラスと交わらせたのです。
近親(きんしん)相姦(そうかん)の罪の深さに打ちひしがれた娘ミルラは、香木(こうぼく)に変身してしまいました。
ミルラが流す涙が香り高い樹液となったのです。
樹液「ミルラ」(日本語では没薬(もつやく))は、その後、香として焚(た)かれただけでなく、殺菌薬・鎮静薬・鎮痛薬として重宝されました。
さらに、遺体の防腐剤としても使われました。
キニュラスの娘ミルラが香木に変身してしまった時、すでに彼女は父キニュラスの子を懐妊(かいにん)していました。
10ヶ月後、香木の樹皮が割れ、まさに「匂い立つ」ような美しい男児が生まれました。
男児はアドニスという名の美しい少年に成長しました。
誰もが恋に目覚める「春」の女神でもあったアフロディーテは、自らがこの美少年に惚(ほ)れ込み、愛人にしてしまいました。
しかし、二人の愛は長くは続きませんでした。
若いアドニスが、狩りの最中、イノシシに襲われ、牙(きば)で突き殺されてしまったのです。
悲嘆(ひたん)に暮れるアフロディーテの涙から、赤いバラの花が咲きました。
また、アドニスの血に染まった大地から、血のような深紅(しんく)の花が咲きました。
しかし、この花の命は短く、風が吹いただけでも、花びらが、はかなく散りました。
そこで、はかない花は、風(ギリシャ語で「アネモス」)に因(ちな)んで、「アネモネ」と呼ばれるようになったのです。