医者と患者に男も女もありません 第1回~第6回
平成27年10月~平成28年3月掲載
2015年
9月
30日
水
2015年10月1日
今回から、医師・患者関係における性別への配慮について、私の考えを述べます。
ある日の新聞に、60歳代の女性から次のような投稿がありました。抜粋します。
週末の夜に突然、下腹部の激痛に襲われ、救急病院に駆け込んだ。
男性医師が尿管結石と診断し、「痛み止めに坐薬を使います。僕が入れて良いですか?
それとも、看護婦に入れさせましょうか?」と尋ねてくれた。
そして、こちらの希望通り、看護婦が私の直腸に坐薬を入れてくれた。
ほどなくして痛みが治まり、帰宅できた。
あの時の私は、猛烈な痛みに悶(もだ)え苦しんでいたと思う。
その状況に動揺する事なく、患者を気遣(きづか)ってくれた医師の優しさに感謝したい。
皆さんはこの投稿を読んでどう思いますか?
私は強烈な違和感を覚えます。
週末の夜間、救急病院の当直医が、下腹部痛で苦しむ急患を治療する際に、ワザワザ本人に質問したのです。
「今からアナタのお尻に坐薬を入れます。男の私が指で挿入しても良いですか?」と。
はたして、この男性医師は、思いやりのある優しい医師なのでしょうか?
そして、この医師の言動は、女性投稿者が感謝すべき気遣いなのでしょうか?
私は、全然、そうは思いません。
医師に課せられた使命は、限られた時間の中で、患者さんの訴えを理解・整理し、的確に診断し、最適な治療を迅速に行う事です。
医師は患者さんを診察する際、診断・治療に専念するべきです。
一方、医療機関を受診する患者さんも、遊びに来たのではありません。
世間話(せけんばなし)をしに来たのでもありません。
自分の病状を診断して欲しいから、苦しんでいる症状から解放して欲しいから、恐ろしい病気に進行する前に治したいから、病院・医院を訪ねて来た筈(はず)です。
「異性の医師に自分の身体を見せるのは恥ずかしい」という気持ちは一旦忘れて、医師の診察を受けるべきです。
私は、医師・患者関係において、性別への配慮を優先するべきだとは、全く思わないのです。 次号に続く
2015年
10月
31日
土
平成27年11月1日
レストランに食事をしに来たお客さんに、ウェイターがいきなり「今からアナタのお尻に指を入れます」と言ったら犯罪です。
しかし、前号の事例は、救急病院の当直医が急患を治療するために坐薬を投与するという話です。
男の医師が女の患者に気を遣って、「自分が入れても良いか?看護婦に入れさせた方が良いか?どっちにしますか?」と尋ねる事自体がおかしいと、私は思うのです。
さらに、患者さんが「男性医師が女性の私に気を遣ってくれた」と感謝している事も奇異に感じます。
もちろん、救急病院を受診する患者さんも、患者である前に女性(あるいは男性)です。そして、女性(あるいは男性)である前に人間です。
私は、患者さんの女性(あるいは男性)としての人権や、人間としての尊厳を踏みにじっても良いと主張しているのではありません。
医師が患者さんの診察をする際には、礼節を守り、真摯な態度で接しなければいけないのは当然です。
だからと言って、「自分が入れるか?看護婦に入れさせるか?どちらにしますか?」と患者さんに問わねばならないとは、どうしても思えないのです。
もし、私が救急病院の医師ならば、診断がついたら、患者さんに「自分がやるか?看護婦にやらせるか?」と質問などせずに、直ちに治療を行います。
自分がやるか、看護婦にやらせるかは、問題ではないのです。
どちらでも構いません。
「男の自分が坐薬を入れれば、女の患者さんが恥ずかしいだろうから、看護婦にやらせよう」と考える事自体が、救急現場で働く医師としては問題だと思うのです。
ましてや、痛みに苦しむ患者さんに「自分と看護婦のどちらが良いか?」と質問するなど、私には到底考えられません。
さらに、患者さんから「看護婦に替わってくれてありがとう」と感謝(?)されたら、私ならむしろ不快に感じるだろうと思います。
そうではなく、「手早く診断・治療してくれてありがとう。おかげで楽になりました」と言って頂いた方が、よほど嬉しいです。
自分が診断・治療した患者さんが回復してくれれば、これこそが医師としての喜びです。その上、感謝の言葉まで添えられたら、最高の幸せです、少なくとも私にとっては。
私は時代遅れの、頭が固い人間なのかも知れません。
当院は「親切な応対、的確な診断、迅速な治療」をモットーとしていますが、男性医師が女性患者に坐薬を入れたら「親切な応対」に反するとは思いません。
最近、新聞・書籍・テレビなどで、「性差医療」や「女性外来」という言葉をしばしば見聞きします。
女性患者の「同性の医師・医療者から診察・処置を受けたい」という気持ちを否定するつもりはありません。
しかし、性別にこだわっていては、医療の本質から外れてしまうと思うのです。
次号に続く
2015年
11月
30日
月
平成27年12月1日
前号の末尾で触れた「性差医療」と「女性外来」について、説明します。
読者の中には「性差医療」という言葉を聞いた事がない方がいるかも知れません。
これは新しい概念で、1990年代にアメリカ政府が提唱し、多額の予算を投入して推し進めてきました。
例えば、痛風は男性に多く、膠原病は女性に多い疾患です。
このように、性別によって発症率が圧倒的に異なる疾患が数多く存在します。
また、狭心症や心筋梗塞は、男性では30・40代から発症しますが、女性では閉経以降、すなわち60・70代に多く発症します。
このように、性別によって発症年齢が大きく異なる疾患が数多く存在します。
さらには、少子高齢化に伴い多くの女性達が各職場に進出しており、それによる健康障害も増えています。
社会的な地位と健康との関連が性別により異なる可能性も指摘されています。
以上のように、性別による差違に着目して研究し、その結果を疾病(しっぺい)の診断・治療・予防に活かす事を目的とした医療が「性差医療」と呼ばれます。
男女の性による違いを考慮した医療という意味です。
「性差医療」の普及を背景として、2001年に国内初の「女性外来」が千葉県立東金(とうがね)病院に開設されました。
そして、瞬く間(またたくま)に、47都道府県のすべてに400以上の女性外来が誕生し、40以上の大学病院に女性外来が設置されました。
まるで、はやり文句やヒットソングのように、女性外来が広がっていくという、女性外来ブームが到来したのです。
我が母校である東京医科歯科大学医学部附属病院にも「周産(しゅうさん)・女性診療科」という女性外来が誕生しました。
しかし、その実態は産婦人科であり、わざわざ「女性診療科」と名付ける必要などないのです。私に言わせれば、我が母校も流行に乗り遅れまいとブームに便乗しただけです。私のような頭の古い卒業生としては、「産婦人科」の看板を守って欲しかったと、残念な気持ちでいっぱいです。
流行に乗せられて人のマネをするなんて情けない、とさえ思います。
女性外来とは「どんな症状でも、どんな疾患でも、女性患者の悩みは女性医師が聞きますよ」という謳(うた)い文句を看板に掲(かか)げた外来です。
女の気持ちやカラダは女にしか分からない、という訳です。
「心の悩みや身体(からだ)の不調を女性医師に相談したい」という女性患者の心情は分からなくもありません。
しかし、「女性患者は女性医師が診(み)ますよ」をセールスポイントに「女性外来」を売り出すのが、正しい医療の姿でしょうか?
私は甚(はなは)だ疑問に感じます。
次号に続く
2015年
12月
31日
木
平成28年1月1日
明けましておめでとうございます。
今年も率直な意見を発信します。お付き合い下さい。
女性医師は女性患者と同性であるが故(ゆえ)に、女性の健康不安を理解しやすく、患者さんも相談しやすい、と考える人達が女性外来の設立に奔走(ほんそう)したのでしょう。
そして、大部分のマスコミもこのような論調で女性外来の意義を礼賛(らいさん)しています。
しかし、ただ同性であるだけで女性の痛みを理解できる訳ではありません。
患者さんの話に耳を傾け、その中から必要な情報を取捨選択(しゅしゃせんたく)し、的確な診断を下し、迅速に治療するという一連の診療技術は、一朝一夕(いっちょういっせき)に身に付くものではありません。
医師として長年に亘(わた)って経験を積み、研鑚を続けてこそ、初めて会得(えとく)できるのです。
そして、この努力は医師として働く限り、一生続けなければなりません。
これは、医師の性別にかかわらず、普遍的な真理です。
男性医師も女性医師も、医師であれば当然勉強し続けなければいけないのです。
同様に、患者さんの性別にかかわらず、医師は真剣に訴えを聞き、的確に診断し、正しい治療を行わなければなりません。
女性患者の診察は女性医師が行うのが望ましいと言うならば、男性患者の診察は男性医師が行うのが望ましいという事になってしまいます。
産婦人科はすべて女性医師が担当し、男性の泌尿器はすべて男性医師が診察しなければならない、という世界は私には想像できません。
そうなってしまえば、まさしく世(よ)も末(すえ)です。
確かに男性医師は女性特有の症状を経験する事ができません。
同様に、女性医師は男性の尿道痛や前立腺癌の症状を経験する事はできません。
だからと言って、女性患者の診療を女性外来で女性医師に任せておけば良いのでしょうか?そして、男性泌尿器の診療は男性医師に任せておけば良いのでしょうか?
人間には男と女しかいません。半分ずつです。
患者さんの半数は男で、残りの半数は女なのです。
私は医学部を卒業し医師免許を取得した日から今日まで、患者さんの性別に関係なく、正しい診療を行うのが当然の義務であると思ってきました。
相手が男であろうと女であろうと、その気持ちを理解し、その期待に応えようと努力してきたつもりです。
診療において大切なのは、医師自らが患者さんの不調を経験している事ではありません。患者さんの訴えを聞いて、どういう状況なのか理解する能力を磨く事こそが重要なのです。
そして、病気の原因や治療法を見極(みきわ)める知識を身につける努力を続け、経験を積む事が、医師の仕事だと考えています。
女性の診療を女性外来に任せておいて良いとは決して思いません。
そんな単純なものではないのです
女性外来の設置を賞賛(しょうさん)する風潮は間違っていると、私は信念を持って主張します。
これからも、堂々と女性患者を診療できる男性医師であり続けたいと思っています。
次号に続く
2016年
1月
31日
日
平成28年2月1日
前々回と前回で、女性外来についての私の考えを述べましたが、共感して頂けたでしょうか?
要約すれば、以下のような主張をしました。
1.医師たる者、「女の心・カラダは男より女の方が良く分かる」などという安易な考え方に与(くみ)してはならない。
2.医学を学ぶからには、自分がどちらの性であっても、男性・女性両方の病態生理に精通するよう努力するべきである。
3.女性外来ブームは「女性患者の診療は女性医師が行うのが望ましい」という、安易で間違った風潮である。
現実には、残念ながら、この誤った風潮が世界中に広がっています。
「産婦人科疾患の診療は女性医師が担(にな)うべきだ」という考え方が世界中に流布(るふ)しています。
そして、産婦人科の世界では、男性医師が不当に評価され差別を受けているのです。
事実、過去20年間で、世界の男性産婦人科医は激減し、日本でも同様の傾向です。
そのような嘆かわしい風潮の中、私から見れば喜ばしい現状もあります。
ここ数年、女性外来の新たな開設が少なく、むしろ公立病院などでは閉鎖するところが増えているのです。
当院の連携病院の一つである藤沢市民病院でも、平成25年4月に女性外来が閉鎖されました。
まさか、私の意見を聞いたからではないでしょうが、嬉しいニュースでした。
偉そうな言い方ですが、藤沢市民病院が男女の性別に関係なく平等な医療を行う方向に舵を切ったのは、誠に賢明な判断であったと思います。
当時の院長先生に拍手を送ります。
女性外来の蔓延と同様に、私が不快に感じている事があります。
それは、医師が女性の胸部を聴診する際、下着を外(はず)させるのはけしからん、下着の上から聴診するのがマナーだ、という論調が雑誌やインターネット上にはびこっている事です。
インターネット上のあるサイトには、次のような意見が書かれていました。
1.医者が女性を診察する時、ブラジャーをはずすよう強制するのはセクハ ラだ。
2.ブラジャーをはずすのは単なる医者の趣味であり、わいせつ行為である。
3.医者が不必要に患者の体にサワルのは、自分が医者だという特権意識があるからだ。
4.女性患者のブラジャーを外すよう強要するのは女性を見下(みくだ)しているからであり、犯罪だ。人権侵害だ。見せてたまるか!さもなくば、金を払え!
5.ブラジャーをはずせと言われたら拒否しよう。
しっかりと抗議し、是正を求め、それでもはずせと言われたら、受診拒否しよう。
いずれも、とんでもない言いがかりです。
見当違いも甚(はなは)だしく、不愉快極(きわ)まりない発言です。
次号に続く
2016年
2月
29日
月
平成28年3月1日
一般の人だけではありません。
医師の中にも、こんな事を言う人がいます。
1.男性患者では上半身を何も着けない状態にするのに対して、女性患者で はプライバシーの問題が生じる。
2.医者も女性の患者から不審に思われたくはない。
3.咳や高熱がなければ、聴診をする必要がない。
4.喘息や肺炎は着衣のままで充分、診断可能だ。
5.心臓疾患は聴診しなくても、心電図さえ記録できれば診断可能だ。
6.自分は消化器内科医だから、胸部の聴診はちゃんとやっていない。
大腸の内視鏡検査も、女性患者には行わないようにしており、女医にお願 いする。
7.肺の病気はレントゲンを撮れば診断できる。
肺を聴診する意義はほとんどない。
8.ブラジャーは外させるが、服の下から手を入れて聴診する事で、女性心 理に配慮している。
これらは、いずれも、正しい診察を行うべき医師としては不適切な発言です。
私の手元に内科診断学の教科書が4冊あります。
1冊は日本の教科書、残りの3冊はいずれも外国の教科書です。
これらの教科書のどれを読んでも、「胸部の聴診は下着の上から行って良い」とは書いてありません。
日本の教科書には、「衣服の上から聴診すると、衣服と聴診器が擦れ合って雑音を生ずる」と記載されています。
サパイラという医師が書いた教科書には「衣服の上から聴診してはいけない」とハッキリ書かれています。
確かに、下着と聴診器が擦(こす)れる音が心雑音などと紛(まぎ)らわしい場合があります。
正確な聴診を行うには下着を介さない方が良いのは当然です。
ブラジャーを外した後、服の下から手を入れて聴診するのも、服と手や聴診器が擦れあって耳障りな音がしますし、そもそも不自然な姿勢ゆえに、聴診しづらいのです。
「必要な場合に限って下着を外せば良い」という医師もいますが、必要でないなら聴診などしなければ良いのです。
下着の上からチョンチョンといい加減な聴診で済ます医師よりは、下着を外してキチンと音を聴く医師の方が、真剣に診察していると心得るべきです。
心電図やレントゲン写真が多くの情報を与えてくれる事に異を唱えるつもりはありませんし、実際、私も日常的に心電図やレントゲン検査を行って診断しています。
しかし、聴診などの理学所見の大切さは昔から変わっていないのです。
医師の診察を求めて受診する患者さんは、下着を外すのが恥ずかしくても、医師が正確な診断を行うのに協力して頂きたいものです。
以上の理由から、私は女性患者の聴診を行う際は、男性患者と同様に下着を脱いで頂きます。
当院を受診する患者さんは、私の考え方をご理解下さい。
そして、正しい診察を行えるようにご協力下さい。
今回で、医師・患者関係における性別への配慮についての考察を終わります。