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Exploring the History of Medicine, Part 51: Florence, Part 31
令和4年11月1日
花の聖母(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)大聖堂(ドゥオーモ)
聖母マリアに捧げる教会がイタリアには約3,000ありますが、ここもその一つです。
フィレンツェの宗教の中心であり、フィレンツェの象徴です。
白、ピンク、緑の大理石が美しい幾何学模様を描いています。
圧倒感、均衡、優雅に満ちた、限りなくイタリア的なゴシック建築です。
当時のフィレンツェの隆盛にふさわしく、「できる限り荘厳に、かつ豪勢である」ことを旨として、13世紀、アルノルフォ・ディ・カンビオによって建築が始められました。
フィリッポ・ブルネッレスキがクーポラ(円蓋(えんがい)、丸屋根、ドーム)を架け終わったのは15世紀です。
何と、200年の歳月をかけて建築された訳です。
約3万人が一堂に会することができる大きさを誇ります。
15世紀、フィレンツェでは街のシンボルとなるべき大聖堂にクーポラを架けるためのコンクールが開かれました。
高さ50m、直径40mもある内陣(最も奥にある本堂)の上にクーポラを乗せる工事は極めて難しく、当時の技術では不可能と考えられていました。
しかし、ブルネッレスキはローマでパンテオンなどの古代建築から学んだ技術を駆使(くし)して、この間題を解決しました。
すなわち、クーポラを二重構造にし、内側のクーポラで外側のクーポラを支えながら上へ上へと造っていくという方法です。
美しいカーブと見事な均整をもったクーポラが15年の歳月をかけて完成しました。
支柱なしに造られた世界最初のクーポラであり、建設当時は世界最大でした。
ブルネッレスキは古代建築の技術で、実現不可能と思われた大クーポラを見事に造ってみせました。
まさしく、古典の再生「ルネッサンス」です。
ブルネッレスキがルネッサンスへの扉を開いた訳です。
大聖堂付属の美術館には、13世紀の修道院で、ビンを掲げて尿検査をしている浮き彫り(レリーフ)があります。
修道僧たちは病人の尿を観察しました。
すなわち、その色、量、匂い、時には味(!)をみて、どんな病気を抱えているのかを推察し、薬草を調合したのです。
以降、尿を調べるフラスコが医療に携(たずさ)わる者のシンボルとなりました。
私は舐(な)めたことはありませんが、確かに、糖尿病患者の尿は甘いのです。
糖尿病をラテン語でDiabetes Mellitus(ダイアベーテス・メリトゥス)と言いますが、Diabetesは「絶え間なく流れる水」、Mellitusは「蜂蜜(はちみつ)のように甘い」という意味で、結局、「甘い尿を絶え間なく放出する」状態が糖尿病なのです。
ギリシャ神話で、全能の神ゼウスは赤ん坊の時、メリッサMelissaという女性から蜂蜜を与えられて育ちました。
この逸話から、ラテン語で蜂蜜のことをメラmella、蜂蜜のように甘いことをメリトゥスmellitusと呼ぶようになったのです。
私は、改めて、医学とギリシャ神話が深く結びついていることに感動を覚えます。
それと同時に、ヨーロッパ人が病態を語る際の、洒落(しゃれ)た感覚に脱帽します。