令和5年5月1日
サンタ・マリア・ヌオーヴァ病院
大聖堂のすぐ裏にある、トスカーナ地方で最大、フィレンツェで最古の病院です。
現在は、230床の救急病院で、700年もの間、同じ建物のまま、立派に病院として機能しています。
いかにもフィレンツェらしいですね。
13世紀に、フォルコ・ポルティナーリという銀行家が創立しました。
彼は、「神曲」を書いた詩人ダンテが愛した女性ベアトリーチェの父親です。
家政婦モンナ・テッサに説得され、建設を決心したそうです。
彼女の墓が今も病院の中庭にあります。
14世紀には、34条から成る管理・運営の詳細な規約が作られました。
今日の病院組織の模範とされています。
時代を経て、この病院は寄付や寄贈で豊かになり、フィレンツェの芸術家たちによって装飾されてきました。
15世紀には、ローマ法王マルティーノ5世もこの病院を訪問しました。
ペストが大流行した際には、世界で最初の隔離病棟が設けられました。
スワッドルを巻かれた幼児の人形も展示されています。
病院隣接の教会の地下には、16世紀にレオナルド・ダ・ヴィンチが解剖を行った部屋と遺体を洗った「浴槽」が残っています。
令和3年2月の本稿「ミラノ編」で述べたように、レオナルド・ダ・ヴィンチは、15世紀、フィレンツェ近郊のヴィンチ村で生まれました。
レオナルドは様々な分野に顕著な業績を残しました。
彼が最も賞賛されているのは、「最後の晩餐」や「モナリザ」を描いた画家としてです。 しかし、忘れてならないのは、彼が偉大な解剖学者でもあったということです。
当時、教会は解剖を禁止していましたが、絵画・彫刻の勉強に解剖学が不可欠と考えたレオナルドは32体の解剖を自ら行いました。
近代解剖学の始祖です。
レオナルドはミラノやローマの病院でも解剖を行いましたが、フィレンツェではこのサンタ・マリア・ヌオーヴァ病院で発生した死体を、この地下室で解剖したのです。