令和4年8月1日
メディチ家Medici
メディチ家は、ルネッサンス期にフィレンツェの政財界を牛耳(ぎゅうじ)っていました。
今でも、市内のあちこちでメディチ家の紋章が見られます。
テントウムシのような紋章の花はユリの花です。
6個の丸い玉は丸薬(がんやく)をかたどったものです。
メディチ家の起源が薬屋か医師であったという説の根拠とされています。
Mediciという家名がラテン語のmedicinaメディキーナ(医術、薬)やmedicusメディクス(医師)と似ていますから、この説は有力です。
イタリア語で医師はmedicoメディコ(複数形:mediciメディチ)、医学はmedicinaメディチーナです。
英語でも医学(特に内科)をmedicineメディシンと言います。
メディチ家・フィレンツェの守護聖人も、聖コスマスCosmasと聖ダミアンDamianという、二人の殉教した兄弟医師です。
この二人の聖人は3世紀から4世紀の人で、下肢の移植をした医師として有名です。
コジモ・デ・メディチなど、一族に多いコジモCosimoの名は、この聖コスマスに由来しています。
キリスト教の伝説では、二人は治療費をとらずに奉仕活動をし、多くの人々がキリスト教に改宗しました。
しかし、ローマ帝国の皇帝ディオクレティアヌスが4世紀初頭に行ったキリスト教徒大迫害により、二人は打ち首にされたそうです。
今では、メディチ家・フィレンツェだけでなく、医学・医師・薬剤師の守護聖人として、世界中で崇(あが)められています。
ちなみに、外科をsurgeryサージェリーと呼びます。
中世まで、外科は医師の仕事ではなかったため、medicineとは呼ばれなかったのです。
surgeryがmedicineの仲間に加えてもらったのは、つい最近の19世紀以降なのです。
昔は、medicineといえば内科学を意味したのですが、今では外科学など他の分野の医学も加わったため、特に内科学に限定する場合はinternal medicineと呼びます。
メディチ家紋章の6個の丸い印は、貨幣、あるいは両替商が使う天秤(てんびん)の分銅(ふんどう)を表しているという説もあります。
メディチ家をフィレンツェ随一の大富豪にした家業、すなわち銀行業(両替商)に因(ちな)んでです。
13才のミケランジェロ(後に「ダヴィデ」などを製作)を見いだし、彼に彫刻の勉強を始めさせたのも、ラファエロを援助し、「アテナイの学堂」などの名画を描かせたのも、メディチ家です。
また、花の聖母教会(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)の大聖堂にクーポラ(円天蓋)を完成させたブルネッレスキや、放蕩三昧(ほうとうざんまい)の末に修道女と駆け落ちしたものの「聖母(せいぼ)戴冠(たいかん)」などの名作を残した画家フィリッポ・リッピの後ろ盾(だて)になったのも、メディチ家でした。
要するに、メディチ家がルネッサンスの保護者・パトロンだったのです。