令和4年3月1日
ヴェネツィア市民病院
サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ広場に面して建つ、中世の荘厳な建築です。
病院になる前は、スクオーラ・グランデ・ディ・サン・マルコ(サン・マルコ大同信(だいどうしん)組合)でした。スクオーラとはイタリア語で「学校」や「同業者組合」を意味します。
ヴェネツィアでは、聖母や守護聖人を信奉する信者の団体や集会場所を、スクオーラと呼びます。
中世に誕生してから、18世紀末の共和国崩壊まで、活動が続けられました。
中産階級を中心に職人・商人らに深く浸透し、共通の出身地や職業によって団結しました。
互助会のようなものです。
結婚式、葬式などの相互扶助や、病気や貧困で困っている人を助ける慈善活動を行いました。
献金で集会堂も建てました。
各スクオーラは、その本部として豪華な建物を所有し、その中に当時の贅(ぜい)と芸術の粋(すい)を凝(こ)らした大サロンや礼拝堂を造ったのです。
言わば、コミュニティセンターの豪華版です。
その中でも、「グランデ」という名前が付くのは大規模のもので、たった6つしかありませんでした。
ヴェネツィアの守護聖人マルコを信奉するこのスクオーラは、13世紀に創設されました。
現在の建物は、15世紀後半に建て替えられたものです。
一般市民だけではなく、特権階級の名士も多く所属していました。
富裕な人々は医者を自宅に呼び、最後まで家で治療・看護を受けました。
しかし、始終医療・看護を必要とする人々は、泣く泣く家を離れなければなりませんでした。そのような人達のために、スクオーラから市民病院になったのです。
19世紀初頭、ナポレオン・ボナパルトの支配下にあった時代のことです。
遺(のこ)された建物を見ると、ヴェネツィアの巨万の富と繁栄の大きさに驚愕(きょうがく)します。
優雅で美しいファサード(正面)は、彫刻家のピエトロ・ロンバルドと建築家のジョヴァンニ・ブオラの合作で、白い大理石の中に、赤・黄・緑の大理石が散りばめられています。
初期ヴェネツィア・ルネッサンス様式と呼ばれています。
玄関ホールには柱が2列に並び、装飾が施された壁や床と共に、厳粛な雰囲気を醸(かも)し出しています。
病院は運河に面しており、「救急ボート」入り口があります。
救急車入り口はありません。
ヴェネツィアには自動車が走る道路がないため、救急車が存在しないからです。