令和3年11月1日
アカデミア美術館
約500年間にわたるヴェネツィア派絵画の集大成がアカデミア美術館です。
海にかこまれた干潟(ラグーナ)の都市には、ほとんど緑がありません。
そのため、かえってヴェネツィア人は田園にあこがれ、自然の風景を好みました。
だから、ヴェネツィア派の絵は自然の中に人間を配するのです。
中世では、長い間カトリック教会の解剖禁止令もあり、古代ギリシア・ローマ時代の解剖知識がさほど更新されていませんでした。
ところが、ルネッサンスの時代、アンドレア・ヴェサリウスという若き解剖学者が現れ、それまでの常識を覆(くつがえ)しました。
当時の偉い学者は、誰も自分で解剖しませんでしたが、ヴェサリウスは自らメスを持ち、細部まで克明に描写しました。
そして、1543年、彼は素晴らしい解剖図譜を、「人体の構造」(ファブリカ)と題して出版しました。
様々なポーズを取った人体を、遠近法を活かした風景の中に描いたのです。
挿絵(さしえ)を描いた画家は、ヴェネツィア派のティツィアーノ達でした。
彼らは、自然の風景の中に裸体像を配するという技法を、解剖図にも用いたのです。
「考える骨」と命名された、骸骨(がいこつ)が「考える人」のようなポーズをとった挿絵もあります。
ユーモアさえ感じさせる出来映(できば)えです。
1543年は、コペルニクスが地動説を唱え、ポルトガル人が日本の種子島(たねがしま)に鉄砲を伝えた年です。
今から500年近くも昔に、こんな素晴らしい解剖学アトラス(図譜)を描いたのです。
私は医学生時代にこの教科書の存在を知りませんでした。
知っていれば、解剖学の勉強がもっと楽しくなっていたでしょう。
残念です。
この解剖学書は大評判となり、ヴェサリウスは一躍(いちやく)、時代の寵児(ちょうじ)となりました。
しかし、彼がこの本で明らかにした解剖所見には、カトリック教会が支持する伝統的な考えとは対立する箇所がいくつもありました。
そのため、ヴェサリウスは異端の嫌疑をかけられてしまいました。
彼は疑いを晴らすため、エルサレムに巡礼しましたが、その帰途に船が難破して亡くなったそうです。
アカデミア美術館では、フランチェスコ・マッフェイ作「ペルセウスとメドゥーサ」(17世紀)も見逃せません。
既に説明しましたが、メドゥーサは、ギリシア神話に登場する怪物です。
髪の毛の一本一本がヘビで、見た者を石に変えてしまう魔力を持っていました。
肝硬変患者の腹壁皮下静脈が放射状に怒脹した様子は、ヘビのように見えることから、「メドゥーサの頭」と呼ばれます(参照:医学の歴史を訪ねて 第5回 ミラノ編 その5)。
勇者ペルセウスは軍神アテナから盾(たて)を借り、眠っているメドゥーサに忍び寄りました。
目を合わせると石に変えられてしまうため、盾に映った怪物を見ながら、その首を見事、切り落とすことに成功したのです。