令和4年5月1日
井戸(ポッツォ)
ヴェネツィアの街には、あちこちに昔の井戸があります。
ポッツォと呼ばれます。
井戸と言っても、天然の湧(わ)き水が出た訳ではありません。
海の干潟(ひがた)に人工的に造られた街ヴェネツィアは、高潮(たかしお)という水との戦いの他に、飲料水の確保という切実な問題を抱えていました。
地中海沿岸は比較的雨量の多い地域ですから、雨水を利用することを考えました。
これには、塩田(えんでん)開発の技術を応用しました。
まず、広場や空地(あきち)などの中央の、可能な限り広い正方形の土地を、深く掘り下げます。
その内側をすり鉢(ばち)状に粘土で固め、すり鉢の底に石を敷き詰めます。
そして、その上に多量の砂を詰めて、最後に石畳(いしだたみ)を舗装します。
井戸の周囲に降った雨は砂の中に滲(し)みこみ、砂でろ過された浄水が底に溜(た)まります。
それを汲(く)み上げて飲料水にしたのです。
井戸には様々(さまざま)な彫刻が施(ほどこ)され、広場の飾りになっています。
裕福な階層の人々は、自宅の中庭に同様な井戸を造りました。
これらの井戸は、現在では使われておらず、たいてい金属の蓋(ふた)で覆(おお)われています。
では、糞尿など下水はどうしたかと言うと、当然、海や運河へ、たれ流していました!
サン・ロッコ 大同信組合
16世紀に、聖ロッコを信仰するサン・ロッコ信徒会の集会堂として、ルネッサンス様式で建てられ、後(のち)に病院として利用されました。
現在は、ティントレットが旧約聖書・新約聖書に題材を得て20年以上の歳月をかけて描いた、圧倒的な天井画と巨大な油絵の、計70点余(あま)りで埋め尽くされています。
聖ロッコ"Rocco"(ラテン語:ロクス"Rochus"、英語:ロック"Roch")は、13世紀末、南仏モンペリエに生まれ、20歳で両親を亡くしたことを機に、全財産を貧しい人に譲(ゆず)り、ローマ巡礼の旅に出ました。その道程(どうてい)で、ペスト患者の看病に献身しました。
彼が患者の頭上に十字架の印を結ぶと、ペストがたちまち癒(い)える奇跡が起きました。ローマでは枢機卿(すうききょう)を回復させ、教皇にも謁見(えっけん)しました。
3年後、帰路についたロッコは、ついに自身がペストに罹患(りかん)してしまいました。
彼は人里(ひとざと)離れた森に籠(こも)りました。喉(のど)の渇(かわ)きに悩み、祈ると、自然に泉が湧(わ)きました。
空腹に苦しむと、犬がパンを運んで来てくれました。
旅を再開したロッコは生まれ故郷に戻りましたが、怪しい風体(ふうてい)の男として投獄され、5年後に獄中で亡くなりました。
今では、ペストに対する守護聖人として崇(あが)められています。
「大腿のペスト痕(こん)」と「パンをくわえた犬」が聖ロッコの象徴です。