令和5年9月1日
ウッフィツィ美術館
1.「春(プリマヴェーラ)」(15世紀) 続き
左端の、羽が付いた帽子をかぶり、翼がある靴を履き、右手で杖を掲(かか)げているのは、ゼウスの息子ヘルメスです。
オリンポス十二神の一人です。
ゼウスは、自分の役に立つ、抜け目のない知恵を持つ子が欲しいと考えました。
ゼウスは妻ヘラが眠っている隙(すき)に、美しい女神マイアと交わり、息子ヘルメスを産ませました。自分の思い通りに、如才(じょさい)ない子が生まれたことを喜んだゼウスは、ヘルメスをオリンポスの神の仲間に加え、十二神の一人としました。
そして、彼を自分の「伝令」にしました。
ヘルメスは、少年時代、遠くまで「旅」をして、太陽神アポロンが飼う牛を「盗み」ました。そして、牛を取り返しに来たアポロンに「泥棒などしていない」と「嘘」をつきました。ゼウスの命令により牛の群れをアポロンに返したヘルメスは、詫(わ)びの印に自分が発明した竪琴(たてごと)をアポロンに贈りました。
すると、アポロンは引き替えに、魔力のある黄金の「杖」をヘルメスに与えました。
杖には、知恵の象徴である蛇(へび)が2匹巻きつき、頭には飛び回るための翼(つばさ)が付いています。
ヘルメスは「旅」をして、「盗み」を働き、「嘘」をつき、アポロンと「互いの利益となる交換」をしたので、旅行・泥棒・雄弁・商売の守護神となりました。
ラテン語では商業をメルクスmerxというので、ヘルメスはローマ神話ではメルクリウスMercuriusと呼ばれます。
6世紀に水銀(quick silver「速く動く銀」)が発見された際、床に落とすとその1滴1滴が球になってすばやく弾(はじ)ける姿から、マーキュリーmercuryと名付けられました。
個体・液体・気体と簡単に変化する性質も、オリンポスの神界(しんかい)から人間界へ、そして冥界(めいかい)へと、神出(しんしゅつ)鬼没(きぼつ)の動きをするメルクリウスMercuriusの名に因(ちな)んだ命名なのです。
同じ理由で、太陽に最も近い軌道を回るため、すぐ見えなくなる水星をマーキュリーMercury、移り気な性格をマーキュリアルmercurialといいます。
使者や、恋愛の提灯(ちょうちん)持ちのことも、マーキュリーmercuryと呼ぶそうです。
フランスのブランド「エルメスHermes」は、元々、旅行用品会社だったので、旅の神ヘルメス(メルクリウス)を社名にしたのです。
フランス語ではHを発音しないため、エルメスなのです。
そのロゴマークには、時計でいえば、2時・4時・8時・10時の方向にヘルメスの杖が描かれています。
また、商科大学である、日本の一橋大学の校章「マーキュリー」には、商売の神ヘルメスの杖が描かれています。
ヘルメスの杖は、死者を冥界に導き、時にはよみがえらせる、魔力を持ちます。
そのため、やはり死者を蘇生させる力があると信じられた、西洋医学のシンボルでもある「アスクレピオスの杖」としばしば混同されます。
特に北米では、ヘルメスの杖が誤って医療団体のマークとして用いられることが多いようです。
何と、日本の防衛医科大学や聖路加国際大学の校章にも「ヘルメスの杖」が描かれています。
しかし、「アスクレピオスの杖」に巻き付く蛇は一匹だけで、翼もありませんから、「ヘルメスの杖」とは明らかに異なります。
「ヘルメスの杖」は医学の紋章(もんしょう)ではないのです。
アスクレピオスの杖については、令和3年8月1日号や令和4年10月1日号でも触れましたので、ご参照下さい。