令和4年9月1日
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会 Santa Maria Novella
フィレンツェは、ペストの大惨禍(だいさんか)を受けた街として有名です。
14世紀半ばに大流行したペストによって、フィレンツェだけで6万人、つまり人口の半分が死んだと記録されています。
この街で生まれたジョヴァンニ・ボッカチオが著(あらわ)した「デカメロン」は、14世紀のペストの流行を背景に、人間の実態を描いた傑作と言われます。
ダンテの「神曲」に対して、「人曲」と呼ばれるぐらい、人間臭(くさ)い物語集です。
アラビアの「千夜一夜物語(アラビアンナイト)」の影響を受けているそうです。
ペストの感染から逃れるために邸宅に引き篭(こ)もった10人の男女が、退屈しのぎに、それぞれ物語を語って、他の人に聞かせます。
1人が1日1物語ずつ、10人が10日間にわたって語りますから、10×10=100の物語が語られます。ちなみに、「デカメロン」の「デカ」はギリシャ語で10という意味です。
私も、原文ではなく日本語訳ではありますが、本を買い、全文を通読しました。
文体は美しい文学調ですが、内容は、はなはだ卑猥(ひわい)で低俗です。
参考までに、第九日、第十話の一部を抜粋(ばっすい)します。
「カトリック教会の神父が信者の家に宿泊した」という内容の物語です。
「神父は、信者の妻の服を脱がせて、素っ裸(すっぱだか)にさせると、両手と両足で床に四つん這(ば)いにさせました。・・・それから胸に触れ、・・・シャツの裾(すそ)をまくり上げ・・・」
もう、これ以上、書けません。
興味のある方は、「デカメロン」を実際に自分の目でお読み下さい。
私には、体裁(ていさい)の良いポルノ小説としか思えません。
この物語で、10人の男女が最初に集結し、最後に解散したのが、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会です。
物語の内容が極めて下品なのに対し、教会は非常に上品で素晴らしいのです。
ゴシック様式を踏襲(とうしゅう)しつつ、フィレンツェ独自のスタイルを確立しています。
正面(ファサード)は、15世紀に、レオン・バッティスタ・アルベルティが設計しました。白、緑、ピンクの大理石で構成され、大変美しい姿です。
なぜ、ボッカチオがこの教会を舞台にした小説を書いたのか、私の考えを述べます。
サンタ・マリア・ノヴェッラ(Santa Maria Novella)教会の"Novella"は、イタリア語で「知らせ」「便り」という意味ですから、「サンタ・マリア・ノヴェッラ」は「マリア様の便り」という意味になります。
つまり、「この教会に来れば、聖マリアのお告げが聞ける」ということでしょう。
一方、"Novella"は、英語では"novel"で、「小説」「物語」という意味もあります。
フィレンツェを舞台に百の物語を書こうと思ったボッカチオは、当然、フィレンツェで最も由緒正しく、しかも「物語」の名が付いた、この教会を登場させたのだと思います。
教会前の駐車場には、教会所有の救急車が並んでいました。
救急車をイタリア語で"AMBULANZA"といいますが、車体に書いてあるのは、これを鏡(かがみ)で見た書体です。
前にいる自動車のバックミラーに映(うつ)るとAMBULANZAと読めるように、わざと鏡文字で書いてあるのだそうです。