院長から一言を、掲載順に(現在から過去に、1年分)並べてあります。

 

2020年

3月

31日

欺瞞(ぎまん)に満ちた「地域包括ケアシステム」 第3回

令和2年4月1日

 

  2012年(平成24年)8月に社会保障制度改革推進法が成立しました。

この法律の趣旨にのっとり、政府が「社会保障制度改革国民会議」を作りました。

この会議が20138月に「報告書」を発表しました。

この報告書の提言に基づいて、前号で述べた「社会保障改革プログラム法」が成立したのです(201312月)。

 この「報告書」の中に「医療と介護の連携と地域包括ケアシステムというネットワークの構築」と題して、次のように書かれています。

 

「医療から介護へ」、「病院・施設から地域・在宅へ」という流れを本気で進めようとすれば、医療の見直しと介護の見直しは、文字どおり一体となって行わなければならない。高度急性期から在宅介護までの一連の流れにおいて、川上に位置する病床の機能分化という政策の展開は、退院患者の受入れ体制の整備という川下の政策と同時に行われるべきものであり、また、川下に位置する在宅ケアの普及という政策の展開は、急性増悪時に必須となる短期的な入院病床の確保という川上の政策と同時に行われるべきものである。

 

 長くて、回りくどく、分かりにくい文章です。

要約すると、こういうことです。

「川上」改革として、急性期病院のベッド数を削減して患者を早く退院させろ。

そして、その受け皿として「川下」に地域包括ケアシステムを構築せよ。

 患者を魚に例え、医療から介護への連携を川の流れに例えているのです。

 

「報告書」は「地域包括ケアシステム」「地域ごとの医療・介護・予防・生活支援・住まいの継続的で包括的なネットワーク」だと定義し、各地域でネットワーク作りを進めろと要求しています。

  そして、

「この地域包括ケアシステムは介護保険制度の枠内では完結しない。

介護ニーズと医療ニーズを併せ持つ高齢者を地域で確実に支えていくためには、訪問診療、訪問口腔ケア、訪問看護、訪問リハビリテーション、訪問薬剤指導などの在宅医療が、不可欠である」

と解説しています。

 

                               次号に続く

2020年

2月

29日

欺瞞(ぎまん)に満ちた「地域包括ケアシステム」 第2回

令和2年3月1日

 

 地域包括ケアシステムは、今や「国策」とも言われるようになっています。

地域包括ケアシステムについての講演やシンポジウムは花盛りで、私も何回か聴講しました。

 登壇する講師たちは、みんな口を揃(そろ)えて、 地域包括ケアシステムの理念を「とうとう」と語ります。

 私を含め、聞いている人たちの多くは、こう思います。

「国は自治体と協力して、社会保障として、医療・介護・福祉サービスを包括的に提供してくれるのだ。

だから、私たちは、病気や障害があっても、尊厳ある人生を地域社会の中で送ることができるのだ。

そして、今住んでいる所で、自分らしい最期を迎えられるのだ」

 ところが、実際はそうではありません。

政府は、「地域包括ケアシステム」の名のもとに、病気の治療や介護への対応を個人に責任転嫁しようとしています。

そうすることにより、国や企業の医療・介護への支出を削減しようとしているのです。

そして、医療・介護を営利市場(ビジネスチャンス拡大の場)にしようと狙(ねら)っているのです。

 

 国が提唱する「地域包括ケアシステム」が、いかに欺瞞に満ちた政策であるかを分かり易く説明し、皆さんに理解して頂くことが本稿の目的です。

 

 201312月に成立した「持続可能な社会保障制度の確立を図るための改革の推進に関する法律」(略して「社会保障改革プログラム法」)で、地域包括ケアシステムが初めて法的に定義されました。

 

「地域の実情に応じて、高齢者が、可能な限り、住み慣れた地域でその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、医療・介護・介護予防(要介護状態もしくは要支援状態となることの予防、または、要介護状態もしくは要支援状態の軽減もしくは悪化の防止)・住まい・自立した日常生活の支援が包括的に確保される体制」

 

 何と長くて、わかりにくい定義でしょう!

私は、この長い定義の4行目まで読んでいる間に、1行目に書いてある内容を忘れてしまい、何度読んでも理解できません。

 さらに、20146月に成立した「地域における医療および介護の総合的な確保の促進に関する法律」(略して「医療介護総合確保促進法」)は、

第一条(目的)で、「地域において効率的かつ質の高い医療提供体制を構築するとともに、地域包括ケアシステムを構築する」ことを明記しました。

また、第二条で、社会保障改革プログラム法で定めた地域包括ケアシステムの定義を再掲しました。

 

 こうして、20132014年の法改正により、「地域包括ケアシステム」が安倍政権における「医療と介護の一体改革」の中心的な柱となったのです。

 

                                                             次号に続く

 

2020年

1月

31日

欺瞞(ぎまん)に満ちた「地域包括ケアシステム」 第1回

令和2年2月1日

 

 今月から、地域包括ケアシステムについて、私の批判的な意見を述べます。 

 

 厚生労働省のホームページには「地域包括ケアシステムの実現へ向けて」という題で、次のように書かれています。

 

 日本では、諸外国に例をみないスピードで高齢化が進行しています。

65歳以上の人口は、現在3,000万人を超えており(国民の約4人に1人)、2042年の約3,900万人でピークを迎え、その後も、75歳以上の人口割合は増加し続けることが予想されています。

 このような状況の中、団塊の世代(昭和2224年の第一次ベビーブームに生まれた世代。戦後の高度経済成長、バブル景気を経験。約800万人)が75歳以上となる2025年(令和7年)以降は、国民の医療や介護の需要がさらに増加することが見込まれています。

 このため、厚生労働省においては、2025年(令和7年)をめどに、高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的のもとで、可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるよう、地域の包括的な支援・サービス提供体制(地域包括ケアシステム)の構築を推進しています。

  今後、認知症高齢者の増加が見込まれることから、認知症高齢者の地域での生活を支えるためにも、地域包括ケアシステムの構築が重要です。

 人口が横ばいで75歳以上人口が急増する大都市部、75歳以上人口の増加は緩やかだが人口は減少する町村部等、高齢化の進展状況には大きな地域差が生じています。

地域包括ケアシステムは、保険者である市町村や都道府県が、地域の自主性や主体性に基づき、地域の特性に応じて作り上げていくことが必要です。

 

  また、藤沢市のホームページには、「藤沢型地域包括ケアシステムの基本的な考え方」という題で、次のように書かれています。

 

 藤沢市は市民センター・公民館を中心とする13地区を行政区域としており、工業・商業の開発をはじめ、地区ごとに異なる発展をする中で、地域の特性を活かしながら、主体的な市民活動が行われています。

 そこで、藤沢市では、地域ごとの特性を活かし、幅広く対応できるよう、「藤沢型地域包括ケアシステム」として、めざす将来像と3つの基本理念を掲げ、その実現に向けた取組を進めています。

 

1.めざす将来像

 誰もが住み慣れた地域で、その人らしく安心して暮らし続けることができるまち。

2.3つの基本理念

1)全世代・全対象型地域包括ケア:

 子どもから高齢者、障がい者、生活困窮者等、すべての市民を対象とし、一人ひとりが地域社会の一員として包み支えあう、心豊かな暮らしを実現します。

2)地域の特性や課題・ニーズに応じたまちづくり:

 13地区ごとに、地域で培(つちか)った文化・歴史等の特性を活かしつつ、人口構造の変化や社会資源の状況に応じたまちづくりを進めます。

3)地域を拠点とした相談支援体制:

 支援を必要とする人が、身近な地域で確実に支援を受けることができる相談支援体制を確立します。

 

 「地域包括ケアシステム」とは、どうやら、遠大(えんだい)な構想に基づく、立派なシステムのように見えます。

しかし、厚生労働省や藤沢市のホームページを何度読み返しても、私の頭には、国や藤沢市が目指す「地域包括ケアシステム」の具体的な姿が浮かびません。

 

                                 次号に続く

2019年

12月

31日

「徘徊(はいかい)」と呼んではいけないのか? 偽善の言葉狩り 第12回

令和2年1月1日

 

  明けましておめでとうございます。

今年も積極的に発言しますので、お付き合い下さい。 

前々号、前号に続き、精神医学の分野における疾患や症状に付す病名・呼称について、私見を述べます。

 

2.認知症についてのお話を続けます。

 お年寄りが呆(ぼ)けたからといって慌(あわ)てる必要はないのです。

子供に戻っただけのことです。

 ところが、認知症を病気として理解しよう、という風潮が広がり、種々の「抗認知症薬」が開発されています。

当院にも製薬会社の営業マンがしつこいくらいに「抗認知症薬」を売り込みに来ます。

私は彼らに尋ねます。

「この薬を飲むと認知症が治るの?」

彼らは必ずこう答えます。

「治りはしませんが、進行を食い止める事はできます」

 けれども、残念ながら私の経験では、これらの薬を使って「認知症の進行を食い止めた」という実感は一度もありません。

 人権や尊厳といった大義名分のために「痴呆」や「呆け」という古き良き日本語を追放してしまった結果、どうなったでしょうか?

人間らしく年相応に呆けていたお年寄りまでも、全員「認知症」という病気にされてしまったのではないでしょうか?

 こんなことを言う私は医師として失格なのかも知れません。

町医者ですから「認知症」の人を大勢診ています。

薬も処方しています。

でも、「痴呆」や「呆け」という言葉を失いたくありません。

心からそう思います。

 

3.知的発達障害

 かつては関係法令において「精神薄弱(精神遅滞)」という用語が使われていました。

私が学生時代に学んだ「最新精神医学-精神科臨床の基本-」にもこの病名が載っています。

そして、「医療の対象とはならない」と書かれているのです!

 その後「薄弱」や「遅滞」は差別的な表現だと批判されるようになり、2013年以降、「知的能力障害」「知的発達障害」という用語に変更されたそうです。

 2015年発刊の「標準精神医学 6版」には驚くべき記述があります。

抜粋します。

 

「発達障害者と健常者との間に明確な境界を引く事ができるのかどうか議論のあるところである。健常者とされている(と本人は思っている)人の中にも、発達障害の特性が見られることは少なくない。発達障害特性を全く持たない人はいない」

 

 どうです?皆さん。あなたも私も発達障害なんですって!

確かに、昔のことを懐かしんでばかりいる、石頭(いしあたま)の私は発達障害なのでしょう。

 

4.性同一性障害

  性同一性障害とはLGBT(Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)Gay(ゲイ、男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー、性別越境者、生まれ持った性別と心の性が一致しないことから反対の性で生きようとする人))の一部を指すのだそうです。

そして、LGBTを性的「少数派」(セクシュアル マイノリティー)と呼ぶそうです。

この分野に関しては、私は「多数派」に属します。

 平成27年(2015年)、東京都渋谷区で、女性同士のカップルが「結婚に相当する関係」と条例で認められるなど、LGBTが話題になりました。

私は、渋谷区の条例を含め、LGBTに関しては理解不能です。

申し訳ありません。

 その他、「標準精神医学 6版」には、性的方向付け障害(同性愛)、性嗜好(しこう)障害(パラフィリア)、フェティシズム、露出症、窃視(せっし)症、小児性愛、サディズム(加虐性愛)、マゾヒズム(被虐性愛)、死体愛好症、糞尿愛好症などの疾患について、6ページに亘り詳細に(大まじめに)記載されています。

  ちなみに、性嗜好障害(パラフィリア)とは「性的倒錯」とも呼ばれ、常識的な性道徳や社会通念から逸脱した性的嗜好を指すそうです。

また、フェティシズムとは異性の体の一部や、身に着けたものなどに異常な執着を示し、それによって性的満足を得ることだそうです。

さらに、窃視症とは異常性欲の一つで、異性の裸体や性行為などをのぞき見ることによって性的満足を得ることだそうです。

いずれも、私の守備範囲を遥(はる)かに超えていますが、立派な精神疾患のようです。

 ちなみに、これより36年前に書かれた教科書「最新精神医学-精神科臨床の基本-」にはどう書かれているのか、調べてみました。すると、ほんの少しだけありました!

「性倒錯」という項目に、「性欲対象の異常」「性的満足行為の異常」の2つについて、合計で僅(わず)か半ページだけ記されています。

私の感覚ではその程度で充分です、と言ったら少数派の人達に叱られるでしょうか?

私の頭は36年間進歩していないようです。

 

 以上で、病名や呼称についての考察を終わります。

1年間お付き合い頂き、ありがとうございました。

 

2019年

11月

29日

「徘徊(はいかい)」と呼んではいけないのか? 偽善の言葉狩り 第11回

令和元年12月1日

 

  前号に続き、精神医学の分野における疾患や症状に付す病名・呼称について、私見を述べます。

 

2.認知症

  認知症とは後天的原因により生じる知能の障害です。

 かつては、「痴呆(ちほう)」と呼ばれていましたが、2004年に「認知症」に改められました。

「痴呆」は英語のdementia、ドイツ語のDemenzの訳語ですが、これらはラテン語の形容詞demens(正気ではない)(否定を表す接頭辞demens (正気))に由来します。

明治初期には「痴狂」などと訳されていました。

その後、「狂」の文字を避ける観点から「痴呆」が提唱され、定着したのです。

 「痴」「呆」それぞれの文字について見てみましょう。

「痴」は「愚(おろ)か」「不届き」という意味であり、「白痴」「痴漢」などの熟語があります。

「呆」は「ぼんやり」とか「あきれる」という意味です。

阿呆(あほう)」「呆然(ぼうぜん)」などの熟語があります。

 厚生労働省の「『痴呆』に替わる用語に関する検討会」は「痴呆」は「あほう」「ばか」に通じ、侮蔑(ぶべつ)的な表現である上に、「痴呆」の実体を正確に表していない、と報告しました。

そして、「痴呆」を「認知症」に変更するべきだ、と結論づけたのです。

  「認知症」の最大の危険因子は加齢です。

我が国の65歳以上の高齢者における「有病率」は実に15%(約500万人)と推定されています。

つまり、精神医学的には、認知症はすべて疾患(病気)扱いなのです。

認知症の基礎疾患は様々(さまざま)ですが、基本的には、アルツハイマー病、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症、脳血管性認知症の4つとされています。

この4つの内、最も多いと考えられているのが、有名なアルツハイマー病です。

 しかし、これら4つの疾患のどれかに診断を確定させたところで、いずれにも根治的な治療法は存在しないのです。

 私は「痴呆」や「呆(ぼ)け」という言葉を差別用語だとは思いません。

「痴呆」「呆け」には、老化現象は誰もが避けられない自然現象だから素直に受け入れよう、というニュアンスを感じます。

人間的な変容を許容する名称だと思うのです。

「色呆け」「時差呆け」「遊び呆(ほう)ける」などと言いますよね。

味わいのある言葉だと思います。

 医者が高齢者を認知症と診断し、アルツハイマー病、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症、脳血管性認知症のどれかに分類するのは、患者を病気の類型に当てはめる作業です。

それに対して、「痴呆」や「呆け」という言葉は、お年寄りの人物像を表す、情緒的で暖かみのある呼称だと、私は思います。

 

                               次号に続く

2019年

11月

01日

「徘徊(はいかい)」と呼んではいけないのか? 偽善の言葉狩り 第10回

令和元年11月1日

 

 私の手元に精神医学の教科書が2冊あります。

①「最新精神医学-精神科臨床の基本- 改正第27版」諏訪 著 南江堂 1979年 

②「標準精神医学 6版」監修 野村総一郎 1名 編集 3名 医学書院 2015

 

  ①は私が学生時代に読んだ教科書です。

②はこの原稿を書くのに参考にするため購入しました。

当然、①の方が古く、②は①の36年後に出版されました。

何と、②の編集者3名の内、2名は私の同級生です(尾崎紀夫氏:洛星中学・高校の同級生、朝田 隆氏:東京医科歯科大学の同級生)。

 2冊の目次を見比べると、愕然(がくぜん)とします。

①にある病名の多くが②にはないのです。

別の分野の教科書かと思ってしまうほどです。

かつては二大精神疾患と呼ばれた精神分裂病、躁うつ病は、それぞれ統合失調症、双極性障害に変わってしまいました。

痴呆も認知症に変わっています。

これは今では完全に定着しているようです。

また、自閉症も、今では自閉スペクトラム障害と呼ぶそうです。

その他、②にはパーソナリティ障害、性同一性障害、反応性アタッチメント障害、トゥレット症など、耳慣れない病名のオンパレードです。

  私が若き勤務医時代に専門としていた消化器外科学の分野では、食道炎、胃癌、膵癌など今でも立派に通用する病名が大部分です。

 しかるに、わずか30年余りの間に、精神医学の分野で、これほど多くの病名が変更されたのは、なぜでしょうか?

それは、上記の朝田 隆氏によると、患者の尊厳を重視すると共に、家族介護者への配慮からだそうです。

 

 そこで、疾患や症状に付す病名・呼称について、私見を述べます。

1.統合失調症

 統合失調症はかつて「精神分裂病」と呼ばれていました。

その名称には「精神荒廃に至る予後不良の疾患」という古い疾患概念に基づくイメージや「人格が分裂する病気」という誤解が付きまといました。

 そこで、このような偏見(精神医学の世界ではスティグマstigma(らく印)と呼ぶそうです)を払拭(ふっしょく)するために、2002年に「統合失調症」に呼称変更されました。

偏見をなくすための、単なる目くらましの呼称変更なら反対したくなります。

しかしながら、「統合失調症」の呼称には、へそ曲がりの私も賛同せざるを得ません。

「精神が分裂する」という、精神の問題に重点を置いた捉え方から、「統合」すなわち「頭のまとまり」が「失調」すなわち「失われる」という、脳の機能的な問題に重点を置いた捉(とら)え方への変換が的を射ているからです。

なぜなら、ド-パミンという神経伝達物質が過剰であるため脳の機能に異常が生じるのが病態であり、単に「精神が分裂」しているのではない事が分かってきたからです。

まだ仮説の域を出ていないのですが、最も重要な仮説です。

 

                                                              次号に続く

2019年

9月

29日

「徘徊(はいかい)」と呼んではいけないのか? 偽善の言葉狩り 第9回

令和元年10月1日

 

  前5回に続き、今回も、差別用語・放送禁止用語の例を紹介します。

 

レントゲン技師

 診療放射線技師と呼ばなければいけないそうです。

私が38年前に医師になった時は、病院のレントゲン室にレントゲン技師さん達が大勢いましたし、今でもレントゲン技師の友人が何人かいます。

皆、性格の良い人達ばかりです。

彼らから「俺をレントゲン技師と呼ぶな。診療放射線技師と呼べ」と言われた事は一度もありません。

 

障害者

  」を「がい」に置き換えて「障がい者」というべきなのだそうです。

」には、あってはならない存在というイメージが付きまとうのだそうです。

そして、「」の文字は不快感を与え、誤解を招く恐れがあるからだそうです。

 どういう誤解を招くのでしょうか?

「人に害を及ぼす」存在だという誤解を招くのだそうです。

そんなバカな!

 漢字をひらがなに替え、言葉の表面だけを取り替えたところで、問題解決にはなりません。

多摩市や藤沢市のホームページを見ると、確かに、「障がい者」と書いてあります。

障害者」を「障がい者」に言い換えれば、障害が治る訳でも、障害者が暮らしやすい街になる訳でもありません。

そんな姑息的な手段を考える暇があったら、医療・福祉への予算配分を増やしなさい!藤沢市長さん!

 また、ある政党は、「障害者」の「」にはマイナスのイメージが強いので、「がい」の表記に替えるよう、政府や地方自治体に働きかける事にしたのだそうです。

また、法律の表記を改めるための法改正も、求めていくのだそうです。

そんな暇と労力・カネがあったら、もっとまともな政策を立案して下さいよ!

  一方、東京都や神奈川県のホームページには、まだ、「障害者」と記載されています。

少し安心しました。

 

障害物競走

 多くの学校で「障害物競走」が消えているそうです。

「人生行路」や「山あり谷あり競走」など別の名称に替えているのだそうです。

変わったのでは、「興味走」「運命走」なんて名付ける学校もあるそうです。

何じゃ、それ! 

障害者に失礼だからという考えからだそうですが、過剰な自己規制です。

 

用務員 ~君 ~さん

  用務員」が差別的とされ、各学校では「校務員」、「校務技術員」、「管理作業員」などの呼び名に置き換えられているのだそうです。

私は小学生時代、よく用務員室(当時は畳敷きでした)に上がり込んで、用務員のおっちゃんからお菓子をもらったものです。

  小学校で、男子児童を~君女子児童~さんと呼ぶのも男女差別に繋がるから禁止だそうです。

男子も~さんと呼ばなければいけないそうです。

また、名簿の順番も「男女混合型」にしないといけないそうです。

 しかし、男の子と女の子は違うのです。

男女は違うのですから、区別するのは当然ですし、それは差別とは異なります。

私は、当院を受診する男の子を~君、女の子を~さんと呼んでいますし、これからもそうします。

 手元に、私の小学校卒業アルバムがあります(昭和43年度卒業 京都市立桃山小学校)。

教職員の欄に、立派に用務員の氏名が3名並んでいます。

卒業生も、各組とも男子、女子の順に並んでいます。

古き良き時代の遺物です。

 

うんこ

  誰でも知っている、大便の意。

でも、「うんち」は幼児語だから、禁止用語ではないそうです(?)

また、どの禁止用語一覧を見ても、「オシッコ」は載っていませんでした。

大はダメでも小は良い?

 また、男女の生殖器の俗称である「オ○ン○ン」と「オ○ン○」も、どこを探しても見つかりませんでした。

わざわざ書かなくても当たり前という事なんでしょうね。

「そんなモノを探している暇があったら勉強しろ!」とお叱りを受けそうですので、この辺で終わりにします。

 

                                                               次号に続く

2019年

9月

01日

「徘徊(はいかい)」と呼んではいけないのか? 偽善の言葉狩り 第8回

令和元年9月1日

 

前4回に続き、今回も、差別用語・放送禁止用語の例を紹介します。

                                  

めくら、めくらめっぽう(滅法)

 めくらが目の不自由な人を指す事は誰でも分かります。

目が見えない人に向かって「オマエはめくらだな」と言うのは失礼です。

 しかし、めくらめっぽう(滅法)はどうでしょうか?

辞書には、何の見当も付けずにむやみに行うこと、やみくも。とあります。

私は子供の頃から、言い出したら最後、めくらめっぽうに突き進む悪い癖がありました。

こう言ったら、視覚障害者に対する差別でしょうか?

決してそうではありません。

 

つんぼ、つんぼ桟敷(さじき)

  聴覚障害者に対して「つんぼ」とからかってはいけないのは当然です。

これに関連して、つんぼ桟敷という、いかにも日本語らしい洒落(しゃれ)た言葉があります。

歌舞伎の二階桟敷の一番奥で、舞台の役者の声がよく聞こえない場所のことを意味します。声が聞こえない桟敷だから「つんぼ桟敷」と言うのです。

「無視する」と言うよりも「つんぼ桟敷に置く」と言った方が味わいがありますよね。

ところが、今ではこれが差別用語なんだそうです。

 平成282月、衆議院総務委員会で、野党議員がNHKの用地取得計画撤回問題を取り上げました。

NHK会長は「こういう大問題について、執行部の人達をつんぼ桟敷に置いたことはない」と答弁しました。

これに対して、野党が「聴覚障害者に対する不適切発言だ」と非難し、NHK会長が「つんぼ桟敷」発言を撤回したのです。

日本語のプロであるNHKの会長なら、「何が不適切なもんか!オマエらの方こそ国語を勉強せい!」と怒鳴り返して欲しいものです。

 国会はもう少しマシな議論をして下さい。

揚げ足取りなどやっている暇はありません。

 

町医者

 開業医と言い換えるべきなんだそうです。

医者も患者も専門医指向の世の中ですから、大学病院やがんセンターのスーパードクターに比べて、何でも屋の町医者は身分が低いということでしょうか?

 私は町医者に誇りを持っていますし、肩身が狭い思いもしていません。

町医者で結構です。

これからも、頼れる町医者を目指します。

 

                                                             次号に続く

 

2019年

7月

30日

「徘徊(はいかい)」と呼んではいけないのか? 偽善の言葉狩り 第7回

令和元年8月1日

 

 前3回に続き、今回も、差別用語・放送禁止用語の例を紹介します。

 

キチガイ(気違い)

 本稿の第1回(平成3121日号)で取り上げました。

 辞書を引くと、2つの意味があります。

①精神の平衡を失う事。気が狂う事。また、そのような人。狂人。

②一つの物事に非常に熱中する事。また、その人。

多くは、他の語と複合して用いられる。「相撲キチガイ」「釣りキチガイ」

そう言えば、車マニアを「カー・キチ」と呼びますよね。

 公共の電波放送で、人を直接非難して、①の意味で「〇〇はキチガイだ」と言うのは公序良俗に反する行為でしょう。

 本稿の第1回で紹介した、河島英五の曲「てんびんばかり」の歌詞の一節「母親が赤ん坊を殺したらキチガイと言われる今は平和な時」の「キチガイ」も、①の意味ではあります。

しかし、この「キチガイ」を消したり、他の言葉に置き換える必要は全くないと思います。特定の人物を不当に非難するために用いているのではないからです。

前後の文脈を読めば小学生でも分かります。

 単語には様々な意味があり、前後の文脈や状況で、その人が何を言いたいのかを考えなければなりません。

ただ単に、重箱の隅(すみ)をつついて、単語に罪を負わせて追放する。

そんな「言葉狩り」に血眼(ちまなこ)になっていては、日本語が貧弱になります。

そして、日本人の思考力も堕落(だらく)します。

 河島英五の名曲「てんびんばかり」は、この過剰な自己規制を押しつけられた犠牲者だと思います。

 

 ちなみに、気違いに相当する英単語として、crazymadの他にlunacy(ルナシー)という名詞があります。

ラテン語でlunaは月という意味です。

狼男(おおかみおとこ)の伝説でも分かるように、古来より、人は月の光を浴びると狂うと信じられてきたのです。

ですから、ラテン語のluna(月)から派生して英語のlunacy(狂気)やラテン語のlupus(ループス:狼(おおかみ))が生まれたのです。

 

  蛇足(だそく)ですが、日本のロックバンドLUNA SEALUNA(ラテン語の「月」)SEA(英語の「海」)の組み合わせですが、英語のlunacy(狂気)をもじったのだそうです。 

 

 ついでに豆知識をもう一つ。

ヒステリー(hystery)の語源もラテン語です。

古代ギリシャでは、ヒステリーは子宮(hysteraヒステラ)が体内を動き回る事に起因すると考えられていたのです。

 私はヒステリー症の女性に手を焼いた経験がありますが、古代ギリシャ人も私と同様の体験をしたのかと思うと愉快です。

                                                  

                               次号に続く

2019年

6月

29日

「徘徊(はいかい)」と呼んではいけないのか? 偽善の言葉狩り 第6回

令和元年7月1日

 

  前々号、前号に続いて、差別用語・放送禁止用語の例を紹介します。

 

片手落ち

 「片手の無い人に対する蔑称(べっしょう)」と勘(かん)違(ちが)いする人からの糾弾(きゅうだん)を恐れて、マスコミが自主的に使用しないようにしているそうです。

実に愚かな自主規制です。

片手落ちとは「片-手落ち」なのです。

すなわち、片方に対する配慮を欠いた、一方的で不当な裁定(さいてい)という意味です。

決して、障害者を揶揄(やゆ)する言葉ではありません。

  しかしながら、残念なことに、NHK大河ドラマ「元禄(げんろく)繚乱(りょうらん)」(18代目中村勘三郎が主演した忠臣蔵(ちゅうしんぐら))では、将軍・徳川綱吉(つなよし)片手落ち裁定を、劇中で「片落ち」と言い換えたそうです。

  

 ちなみに、忠臣蔵を知らない方のために、簡単に解説します。

 

 赤穂(あこう)藩主(はんしゅ)・浅野(あさの)内匠頭(たくみのかみ)が自分を散々(さんざん)辱(はずかし)めた幕臣(ばくしん)吉良(きら)上野介(こうずけのすけ)に江戸城・松の廊下(ろうか)にて切りつけた刃傷(にんじょう)事件が物語の発端(ほったん)です。

狂気の将軍・徳川綱吉は浅野内匠頭を即日切腹させましたが、吉良上野介にはお咎(とが)無(な)(無罪釈放)としたのです。

幕府が当時の定法(じょうほう)(しきたり)である「喧嘩(けんか)両成敗(りょうせいばい)(喧嘩をした者を両方とも同じように罰(ばっ)すること)」を完全に無視して、一方的な裁定を下した訳です。

まさしく、片手落ち沙汰(さた)(裁定)です。

 大石(おおいし)内蔵助(くらのすけ)以下、赤穂藩士(はんし)達は浪人(ろうにん)(赤穂浪士(あこうろうし))となり、主君(しゅくん)・浅野内匠頭の無念を晴らすため、周到な準備を重ねますが、その間に仲間は次々に脱落していきました。

  最後まで残った47人の浪士達は、ついに19カ月後の 元禄151214日(1703130日)未明に、本所(ほんじょ)松坂町(まつざかちょう)の吉良上野介邸(てい)へ討ち入りました。

そして、見事に吉良の首をはねて仇(あだ)討(う)ちを果たしたのです。

 その後、寺坂(てらさか)吉右衛門(きちえもん)を除く46人の浪士達は、やはり将軍・徳川綱吉の沙汰により切腹させられましたが、晴れ晴れとした気持ちで散っていきました。      

 

 それにしても、片手落ちを「片落ち」と言い換えるとは・・・?     

視聴者からの的(まと)外(はず)れのクレームを恐れて、事前に回避(かいひ)した訳です。

天下のNHKが何と情けない事でしょう!

私は忠臣蔵が大好きで、「元禄繚乱」のビデオも持っていますが、この言い換えには気が付きませんでした。

 

びっこ、びっこをひく

 脚(あし)の不自由な人、脚に障害のある人、左右が不揃(ふぞろ)いの履物(はきもの)びっこと言います。

しかし、脚に障害がなくても、片方の足首をくじいたら、誰でもびっこをひく訳ですから、これを差別用語として避けるのは過剰(かじょう)反応と呼ばざるを得ません。

 高校野球を実況中継するアナウンサーが、走塁中のランナーが転倒した際、「びっこをひいています」と言ったら、視聴者から差別用語だとクレームが来たそうです。

私に言わせれば、文句を言う方がおかしいのです。

アナウンサーという言葉のプロが、不当な言いがかりの前に尻込(しりご)みしていては、日本語の豊かな表現力を自ら奪うことになります。       

 

                                                     次号に続く

2019年

5月

30日

「徘徊(はいかい)」と呼んではいけないのか? 偽善の言葉狩り 第5回

令和元年6月1日

 

 今月も、差別用語・放送禁止用語の例を紹介します。

  

魚屋、八百屋、肉屋、米屋、酒屋、本屋、古本屋、花屋、おもちゃ屋、文房具屋、床屋、ペンキ屋、金物屋、雑貨屋、パチンコ屋、居酒屋、焼鳥屋、たこ焼き屋 など

 

 要するに、○○屋という呼び名はすべて差別用語だそうです!

日本中に多くの個人商店が建(た)ち並んでいた昭和30年代までは○○屋が普通だったのですが、高度経済成長期以降は問題なのだそうです。

 なぜなら、大企業による中小零細企業に対する支配構造が顕著となり、自営業者や零細企業に対する侮蔑心(ぶべつしん)が大衆に生じたからだそうです。

  魚屋からペンキ屋までは、順に鮮魚店、青果店、精肉店、精米店、酒店、書店、古書店、生花店、玩具店、文具店、理髪店、塗装業と言い換えるのだそうです。

しかし、金物屋以降は何と言い換えるのでしょうか?

私には分かりません。

 居酒屋焼鳥屋を他の言葉に置き換えるのは不可能だと思うのですがねえ。

全くバカバカしい限りです。

私は、居酒屋焼鳥屋も共に好きで、時々、飲みに行きます。

酒のつまみや焼き鳥が好きなのは無論ですが、居酒屋・焼鳥屋という、郷愁(きょうしゅう)を覚える言葉の響(ひび)きもまた良いものです。

居酒屋・焼鳥屋を差別用語の範疇(はんちゅう)に入れた人は、一体、何処(どこ)の誰でしょうか?

顔が見たいものです。

 

スチュワーデス

 言わずと知れた言葉で、女性のあこがれの職業であり、美人で毅然(きぜん)とした応対をする聡明(そうめい)な女性を連想します。

しかし、女性差別だなどと、バカな抗議をする団体があるそうです。

そのため、トラブルを恐れる、事なかれ主義で及(およ)び腰(ごし)のマスコミ・航空業界が、客室乗務員・キャビンアテンダントなどと言い換えています。

しかし、古い人種の私には客室乗務員よりスチュワーデスの方がピンと来ます。

 

看護婦、保母

  共に女性差別の名称だそうです。

看護師、保育士と言い換えるのだそうです。

 しかし、辞書を引くと、疑問が湧(わ)きました。

前者の「師」は、その道の専門家であることを表す接尾語なので、納得できます。

私も医「師」ですから。

 問題なのは、後者の「士」が男や侍(さむらい)を表す語だということです。

保母が女性蔑視(べっし)だと大騒ぎする女性は、保育士と呼ばれても文句ないのでしょうか?

 私は頭が固く、看護職員を看護婦としか呼びません。

かつて私が勤めた病院には男性看護職員もいましたが、私は「男の看護婦」と呼んでいました。

現在、当院には3名の看護婦がいますが、幸い全員女性です。

                                                                                                                     次号に続く

 

2019年

4月

30日

「徘徊(はいかい)」と呼んではいけないのか? 偽善の言葉狩り 第4回

令和元年5月1日

 

 今日から、令和時代が始まります。

私は、時代が変わっても、率直な意見を発信し続けますので、お付き合い下さい。

 

 「『徘徊』と呼ぶことで人権や尊厳が損なわれる。『徘徊』という言葉を追放せよ」という言葉狩り思想は、認知症の本質から目をそらしています。

認知症高齢者の「徘徊」が在宅介護破綻(はたん)の直接原因となっている事例が数え切れないほどあるのです。

現在の介護保険制度が24時間、365日在宅介護を支えてくれる訳ではないからです。

 「徘徊」老人を抱(かか)えた家族が、自分達の身を削って認知症者を見守り続けるか、それが不可能なら施設に預けるか、二者択一を迫られるのは紛(まぎ)れもない現実です。

私も父を在宅介護して同様の経験をしました。

 前号で紹介した認知症介護研究研修東京センター永田久美子氏は、「『徘徊』という言葉が在宅介護を担(にな)う家族に二者択一を迫っている」と主張していますが、全くお門(かど)違いです。

『徘徊』と呼ぼうと呼ぶまいと、家族は二者択一を迫られるのです。

言葉の問題ではないのです。

 「徘徊」追放運動を先導する人達は、自らの人権意識を誇示(こじ)するために言葉狩りをしているに過ぎません。

少なくとも私にはそうとしか思えません。

本稿に「偽善の言葉狩り」という副題を付した所以(ゆえん)です。

 

 そもそも、日本語は表現力豊かで情感に溢(あふ)れ、語彙(ごい)も豊富で素晴らしい言語です。

幼稚園から英語を教えるくらいなら、「まずは国語をしっかり教えろ」と言いたいものです。自分自身を含めて、日本語が乱れていると痛切に感じます。

 しかるに、本質を無視して特定の言葉を機械的に退(しりぞ)ける愚行(ぐこう)が、テレビ・ラジオなどの放送業界や新聞などの出版業界で繰り返されています。

これが言葉狩りです。

本稿でも取り上げた「キチガイ」「徘徊」も言葉狩りの標的です。

 差別用語、放送禁止用語とも言われる一群の言葉は、特に定められたものではありません。放送局や新聞社などが自主的に判断して決めています。

「言論・表現は自由」の建前(たてまえ)を守りつつ、各社が偏(かたよ)った根拠に基づいて、「良識の範囲」で、独自に定めており、公表もされていません。

客観的な正当性もありません。

 では、自主規制されているのはどのような言葉でしょうか?

インターネット上に数多く掲載(けいさい)されています。

一部を抜粋(ばっすい)します。

 

差別用語・放送禁止用語の例

 

あいのこ

 言い換え語として、近年まで「混血」が用いられていましたが、この言葉も差別用語として扱われるようになったそうです。

現在では「ハーフ」「ダブル(まるでウィスキーのようです)、「ミックス」(サンドイッチ?それともジュース?)「ハイブリッド」(自動車?)などの言葉に置き換えられる事が多いそうです。

知りませんでした。

 

 

                                                     次号に続く

お知らせ

本日、インフルエンザワクチン60人分追加入荷しました(1月8日)。

本日、インフルエンザワクチン40人分入荷しました(1月7日)。

令和2年1月7日(火)にインフルエンザワクチン40人分入荷します。時刻は未定です。入荷次第、お知らせします。

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。次回の入荷は正月明けの予定です(12月28日)。

12/29(日)から翌1/3(金)まで休診します。

ただし、12/31(火)の午前9時から午後5時まで、救急当番医ですので、急病・ケガの方は診療致します。

新年は、1/4(土)から診療開始します。

本日、インフルエンザワクチン28人分が追加入荷しました(12月27日)。

本日、インフルエンザワクチン16人分が追加入荷しました(12月26日)。

本日、さらにインフルエンザワクチン20人分が追加入荷しました(12月24日)。

本日、午前中にインフルエンザワクチン68人分が入荷します(12月24日)。

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。次回の入荷は未定です(12月23日)。

本日、追加でインフルエンザワクチン80人分入荷しました(12月20日)。

本日午前中に、インフルエンザワクチン40人分が追加入荷します(12月18日)。

本日、追加でインフルエンザワクチン80人分入荷しました(12月16日)。

本日、インフルエンザワクチン68人分入荷しました(12月16日)。

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。次の入荷は12月16日の予定です(12月14日)。

12月13日の診療終了時点で、インフルエンザワクチンの在庫は17人分です。次の入荷は12月16日の予定です。

本日、午前中(時刻未定)にインフルエンザワクチン46人分入荷予定です。さらに、午後4時までに46人分入荷予定です(12月13日)。

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。

入荷次第お知らせします(12月13日)。

 

 

只今、インフルエンザワクチン20人分が入荷しました(12/12)。

本日午前中に、インフルエンザワクチン20人分が入荷します。時刻は未定です(12月12日)。

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。

入荷次第お知らせします(12月11日)。

 

本日、インフルエンザワクチン60人分が入荷しました(12月11日)。

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。

明日12/11(水)、60人分入荷します。

午前中の予定ですが、時刻は未定です。

12/10(火)にインフルエンザワクチン46人分が入荷します。

午前中の予定ですが、時刻は未定です。

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。入荷次第お知らせします(12月7日)。

12/6(金)の診療終了時点で、インフルエンザワクチンが残り8人分となりました。来週の入荷日は未定です。

本日、インフルエンザワクチン200人分が追加入荷しました(12月3日)。

本日、インフルエンザワクチン200人分が追加入荷しました(11月29日)。

本日、インフルエンザワクチン200人分が追加入荷しました(11月21日)。

本日、インフルエンザワクチン200人分が追加入荷しました(11月20日)。

本日、さらにインフルエンザワクチン40人分が追加入荷しました(11月18日)。

本日、インフルエンザワクチン380人分が入荷しました(11月18日)。

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。次回の入荷は、11月18日(月)午前中に200人分の予定です(11月15日)。

11月14日午前9:40にインフルエンザワクチン200人分が入荷しました。

11月14日(木)午前中にインフルエンザワクチン200人分が入荷予定です。

ただし、時間は未定です。時間について電話での問い合わせはご遠慮下さい。

 

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。入荷次第、お知らせします(11月12日)。

本日、インフルエンザワクチン70人分が入荷しました(11月12日)。

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。入荷次第、お知らせします(11月9日)。

本日、インフルエンザワクチン200人分が入荷しました(11月8日)。

本日、午後4時にインフルエンザワクチン200人分入荷します(11月6日)。