院長から一言を、掲載順に(現在から過去に、1年分)並べてあります。

 

2025年

1月

31日

医学の歴史を訪ねて 第52回 フィレンツェ編 その32

令和7年2月1日

 

サン・ジョヴァンニ洗礼堂 Battistero di San Giovanni

 花の聖母(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)大聖堂(ドゥオーモ)より早く、11世紀に、街の守護聖人、聖ジョヴァンニ(洗礼者聖ヨハネ)に捧(ささ)げて建造されました。

ドゥオーモが出来るまでは礼拝堂(聖堂)として使われ、フィレンツェの象徴でしたが、ドゥオーモが出来たため、改修されて洗礼堂となりました。

フィレンツェに生まれた詩人ダンテも、ここで洗礼を受けました。

 8角形の建物で、南、北、東の扉にはブロンズのレリーフ装飾が施されています。

特に有名なのが北と東の扉です。

 北の扉:ぺストの大流行から復興したフィレンツェが、15世紀初頭、新しい時代を祈って、洗礼堂の扉のコンクールを行いました。

そして、ロレンツォ・ギべルティの作がブルネッレスキに勝ち、採用されました。

新約聖書に基づき、「キリストの生涯」と「諸聖人像」から成ります。

 一方、敗れたブルネッレスキは、失意のうちにフィレンツェを離れ、ローマで建築の勉強をしました。その後、彼がフィレンツェに戻り、設計したのが花の聖母教会(ドゥオーモ)の大クーポラ(丸い屋根)です。

 東の扉:北の扉の約20年後、やはりギベルティが製作しました。

後に、ミケランジェロが「天国の門」と呼び、賞賛しました。

多くの人々が触れたため、扉全体が金色に輝いています。

旧約聖書を題材にした10枚の金色のレリーフは、遠近法を巧みに取り入れています。

 

 洗礼者ヨハネは、『新約聖書』に登場する古代ユダヤの預言者です。

その名のとおり、ヨルダン川でイエス・キリストに洗礼を授(さず)けました。

洗礼とは、キリスト教徒となるために行う儀式です。

頭に水を注ぐことによって罪を洗い清め、神の子となる証(あかし)とします。

もちろん、洗礼者ヨハネは、イエスの弟子である使徒ヨハネとは別人です。

 「ヨハネJohannes」の名は、ヘブライ語の「主は恵み深い」を意味する「ヨーハーナーン」に由来します。

 キリスト教がヨーロッパで主たる宗教として普及した結果、各国で、聖書に登場するJohannes(ヨハネ;ラテン語)に由来する男性名が広がりました。

John(ジョン;英語)

Jean(ジャン;フランス語)

Juan(フアン;スペイン語)

João(ジョアン;ポルトガル語)

Johannes(ヨハネス;ドイツ語)

Ioannes(イオアネス;ラテン語)

Giovanni(ジョヴァンニ;イタリア語)

Evan(エヴァン;ウェールズ語)

などです。

  この中でも、英語名ジョンJohnは世界中で最も多い男性名だと言われています。

確かに、ジョン・F・ケネディやジョン・レノンなど、ジョンの名を持つ有名人は多いですね。 

2025年

1月

02日

医学の歴史を訪ねて 第51回 フィレンツェ編 その31

令和7年1月1日

 

ウッフィツィ美術館 

11.バッカスBacchus

 16世紀末、カラヴァッジョ作。

酩酊して赤らんだ顔で、手にはワイングラスを持っています。

ギリシャ神話で酒(ワイン)の神、酩酊の神、豊饒の神、演劇の神です。

本名はディオニュソスDionysus(「若いゼウス」という意味)で、別名をバッコスBakkhosといいました。

ローマ神話ではバックスBacchusと呼ばれ、これの英語読みがバッカスです。

一般的に「ディオニュソス」より「バッカス」の名の方が有名で、日本を始め世界中に「バッカス」の名が付く飲食店があります。

  ゼウスはテーバイ国の王女セメレを愛人にして、妊娠させました。

しかし、ゼウスの本妻へラの陰謀に引っかかったゼウスはセメレを雷の熱で焼き殺してしまいました。

セメレの死を嘆き悲しんだゼウスは、その焼けただれた腹から胎児を取り出し、自分の大腿に埋め込みました。その4ヶ月後にゼウスは子供を取り出し、ディオニュソス(バッカス)と名付けたのです。

 成長したディオニュソスは、ブドウ栽培とブドウ酒の製法を教える酒の神となりました。

彼の周りには熱狂的な女性信徒が集まり「バッカイ」(バッコスの信女)と呼ばれました。

 昼間から酒を飲み、ディオニュソスの神秘によって、恍惚とした熱狂状態に陥った信女達は、狂喜乱舞し、乱交し、動物を八つ裂きにし、生肉を食らうなど、狂乱の酒宴を行いました。

この狂った祭儀は「ディオニュソスの密議(バッカナリア)」と呼ばれ、後にギリシャ悲劇に発展しました。

そのため、バッカスは演劇の神でもあるのです。

 狂乱の女性信徒達は、ツタの冠を被(かぶ)り、ツタが絡んだ杖を振りかざし、叫びながら乱舞しました。

狂暴・猥褻(わいせつ)で理性を失っていました。

この様子は、「マイナス」mainas(狂った女)(複数形:マイナデス)と称されました。

"mainas""mania"(躁病、熱狂、マニア)の語源になりました。

「マイナス」という発音から、「プラス・マイナス」の"minus"を思い浮かべてしまいますが、「狂乱」の"mainas"とは無関係です。

 集団的陶酔の祭儀「ディオニュソスの密議(バッカナリア)」はまさにアルコール依存症患者が酩酊し乱痴気騒ぎを起こしている様子と一致します。

そこで荒れ狂う"mainas"達は、バッカ(馬鹿)でマイナスのイメージに満ちていますね。

 

 ところで、アルコール"alcohol"の語源は、アラビア語の"al-kuhl"です。

"al"は定冠詞(英語では"the")"kuhl"は「コール(墨)」を指しますから、平たく言えば、"alcohol"は「墨」という意味なのです。

アラブ人は男女共に古来より、風土病であった眼病の予防のために「コール     (墨)」を瞼(まぶた)や眉毛に塗ります。

顔に塗るため、サラサラした微粒子であることが必要で、火で熱する「昇華」法によって作られます。

 一方、ワインを「蒸留」して強い酒(ブランデー)を作ることが盛んに行われるようになりました。

「昇華」も「蒸留」も火で熱して精製するという点では同じです。

そのため、15-16世紀の医師・化学者パラケルススはワインを蒸留して得られた酒を"alcohol vini"(ワインから作ったコール(墨))と呼んだのです。

 その後、"alcohol vini"はブランデーと呼ばれるようになりました。

そして、アルコールという言葉は、通常エチルアルコールを指すようになり、酒の代名詞になりました。 

2024年

12月

01日

医学の歴史を訪ねて 第50回 フィレンツェ編 その30

令和6年12月1日

 

ウッフィツィ美術館 

10.アポロンApollon

 アポロンは、既に何度か登場していますので、今回は違う話を紹介します。

アポロンはギリシア神話に登場するオリンポス十二神の一人であり、ゼウスの息子です。

ローマ神話ではアポロと呼ばれます。

詩歌や音楽など芸能・芸術の神、羊飼いの守護神、兵隊を次々と倒す「遠矢(とおや)の神」、疫病の矢を放ち人を殺す神、病を払う治療神、神託を授ける予言の神など、付与された性格は多岐に亘ります。

 古代ギリシャにおいては理想の青年像と考えられ、光明(こうみょう)の神でもあったため、後には太陽神ヘリオスと混同されるようになりました。

アメリカが20世紀後半の宇宙開発を「アポロ計画」と名付けたのも、光の神アポロが輝く馬車に乗り天空を駆け巡(めぐ)る姿にあやかりたかったからです。

 アポロンは美青年だったので、無数の恋愛をしましたが、一人だけアポロンの求愛を拒否した娘がいます。それがダプネーDaphneです。英語ではダフネと発音します。

彼女は川の神ペネイオスの愛娘(まなむすめ)で大変な美女でした。

 大蛇(だいじゃ)ピュトンを射殺したアポロンが、愛の神エロスが持つ小さな弓を「そんな弓では何も仕留められまい」とからかいました。

怒ったエロスは仕返しに、黄金の矢(愛情を芽生えさせる矢)をアポロンに、鉛の矢(愛情を拒絶させる矢)をダプネーに、放ったのです。

このため、アポロンはダプネーを追いかけましたが、ダプネーは逃げました。

ダプネーを追いつめたアポロンが彼女を捕まえかけた時、父ペネイオスは娘を月桂樹に変身させました。

失意のアポロンが「私の妻になれないのなら、せめて私の樹になって欲しい」と頼むと、ダプネーは枝を揺らしてうなずき、月桂樹の葉をアポロンの頭に落としました。

 以後、競技の勝者や大詩人に「月桂冠」を与え、名誉を讃(たた)えるようになりました。

月桂樹は、後世では、魔女や悪魔を防ぐ魔除けとして使われました。

また、キリスト教では、「不滅」の象徴として、殉教者の冠に用いられました。

ついでに言うと、日本の10円硬貨の裏面にも、月桂樹の葉が描かれています。

 アポロンとダフネの故事に因(ちな)み、古代ギリシャ語では月桂樹をdaphneと呼びます。

月桂樹の学名(ラテン語)はラウルス・ノビリスLaurus nobilis といいます。

「気品のある緑の葉」という意味で、その名のとおり、葉は芳香成分を含んでいます。

そのため、葉を乾燥させたものは、フランス語ではローリエlaurier、英語ではローレルlaurelまたはベイリーフbay leafと呼ばれ、香辛料として世界中で使われています。

我が家でもカレーやビーフシチューにローリエを欠かしません。

 月桂樹の葉には、強い香りの他に、アルコール吸収抑制作用や唾液・胃液の分泌亢進作用などがあるそうです。

 古代ギリシャ語で月桂樹を意味したdaphneは、現在の英語では沈丁花(じんちょうげ)を意味する言葉fragnant daphne(良い香りのダフネ)に転用されています。

沈丁花の学名もDaphne odoraで、やはり「良い香りのダフネ」という意味です。

月桂樹の葉と沈丁花の花のどちらも、良い香りがするため、混同されたのだと思います。

 蛇足ですが、花王の生理用品「ロリエ」は「月桂樹」と「月経」の掛詞(かけことば)だそうです。

 どちらも「げっけい」ですが「けい」の字が違いますね。

2024年

10月

31日

医学の歴史を訪ねて 第49回 フィレンツェ編 その29

令和6年11月1日

 

ウッフィツィ美術館 

9.ゼウス

 ゼウスZeusは、ギリシャ神話の主神で全知全能の神です。

全宇宙や天候を支配し、人類と神々双方の秩序を守護する天空の神であり、オリンポス十二神を始めとする神々の王です。

全宇宙を破壊できるほど強力な雷を武器とし、多神教の中にあっても唯一神的な存在で、強大で絶対的な力を持ちます。

 ゼウスはローマ神話ではユピテルJuppiterです。

ユピテルは英語読みではジュピターJupiterで、太陽系で最大の惑星「木星 Jupiter」の名の由来となりました。

木星は最大だから、全能の神ゼウス(ユピテル)の名が与えられたのです。

  ゼウスは世界の中心を定めるため、世界の両端から2羽の鷲(わし)を放ちました。

2羽は世界を横切って飛び、デルポイ(デルフィ)で交差しました。

 デルポイは、ちょうど「大地の女神」ガイアの𦜝(へそ、オンファロスOmphalos)の部分にあたりました。

ガイアはここに神託(しんたく)所を置いて、人間に未来を教えていました。

神託所はガイアにも人間にも大切な場所ですから、ガイアは自分の息子である大蛇(だいじゃ、龍)のピュトンに守らせていました。

 ゼウスは、世界の中心で、自分の意志を人間に伝え、導こうと思っていました。

そこで、ゼウスは息子のアポロンに、ガイアの神託所を強奪するよう命じました。

アポロンは白鳥が引く車に乗ってデルポイに行き、金の矢で大蛇ピュトンを殺し、大地の裂け目に投げ込みました。

そして、裂け目を聖なる石で封印し、その上にアポロン神殿を建てました。

ここでは、以後、数百年に亘(わた)り、巫女(みこ)が人間達に神のお告げを伝えました。

「デルポイ(デルフィ)の神託」あるいは「アポロンの神託」として有名です。

また、大蛇ピュトンを封印した石は「オンファロス(𦜝)の石」として現存します。

 元々「中心」を意味するラテン語「ウンビリクス umbilicus」は、ゼウスの「世界の中心」の故事に因(ちな)んで、「𦜝」を意味する解剖学用語になりました。

𦜝帯(ヘソの緒)umbilical cord、𦜝(さい)ヘルニア(出べそ)umbilical herniaなどと使います。 

 𦜝はギリシャ語ではオンファロスomphalos、ラテン語ではウンビリクスumbilicusと呼ぶ訳ですが、英語ではネイヴァルnavelやベリー・バトンbelly button(お腹のボタン)と言います。

2024年

9月

30日

医学の歴史を訪ねて 第48回 フィレンツェ編 その28

令和6年10月1日

 

ウッフィツィ美術館 

8.ヒュギエイア

  ヒュギエイアについては平成34101日号フィレンツェ編でも触れましたが、もう少し詳しく述べます。

 ヒュギエイア"Hygieia"は、ギリシャ神話に登場する女神です。

医術の祖アポロンの子である医神アスクレピオスの娘の一人です。

つまり、アポロンにとっては孫です。

父アスクレピオス神と同様、蛇を従え、薬や水を入れる杯(さかずき)(または壺(つぼ))を携(たずさ)えています。

(アスクレピオスの蛇に、杯(壺)に入れた餌(えさ)を与えている、という説もあります)

  この蛇と杯をモチーフにした「ヒュギエイアの杯」を、多くの国の薬剤師会がシンボルマークにしています。

アスクレピオスの杖が医学の象徴で、ヒュギエイアの杯は薬学の象徴という訳です。

  アスクレピオス信仰が広がるにつれて、ヒュギエイアに対する信仰も厚くなりました。

ヒュギエイアは女性神であったため、女性の健康を守る神として崇(あが)められるようになりました。

当時の女性の間に、ヒュギエイアの彫像を髪飾りにすることが流行したそうです。

 Hygieiaはギリシャ語の"hygies"(ヒュギエス)(健康な)に由来しており、英語の"hygiene"(ハイジーン)(清潔、衛生、衛生学)の語源でもあります。

ギリシャ神話のヒュギエイアは、ローマ神話ではサルース"Salus"と呼ばれます。

"Salus"が健康の女神ですから、イタリア語では健康を"salute"(サルーテ)といいます。

  「ハイジーン」と聞くと女性用生理用品を思い浮かべる人がいるかも知れません。

本稿を読んだ今日からは、ギリシャ神話の健康の 女神を思い出して下さいね

 以下にヒュギエイア像と種々のロゴマークを示します。

いずれも、「ヒュギエイアの杯」が薬学の象徴です。

2024年

8月

31日

医学の歴史を訪ねて 第47回 フィレンツェ編 その27

令和6年9月1日

 

ウッフィツィ美術館 

7.受胎告知(さらに続き)

 新約聖書の4つの福音書の一つ、「ルカによる福音書」を残した聖ルカは医師でした。

さらに、彼は、初めて聖母子(せいぼし)(マリアとイエス)の肖像画を描いた人物と言われています。

そのため、彼は医師・画家、双方の職種の守護聖人とされています。

医師と画家は、共に聖ルカという聖人の守護の元に仕事をする職業だった訳です。

このため、中世ルネサンスの時期には、医師・薬剤師・画家は、同じギルド(組合)に属していました。

 医学と美術の密接な関係はキリスト教に由来することが分かりましたが、次のような別の理由もあるそうです。

「医師や薬剤師は、肉体を癒(いや)す薬の調剤のために鉢(はち)を用いる。

画家も、病(や)める者の心を癒す絵を描くための顔料(絵の具)を作るために鉢を用いる。

医師も画家も、鉢を用いる点で同業者である」

 ところで、医師であった聖ルカの「聖母マリアは処女受胎し、イエスを産んでも未(いま)だなお処女であった」という記述は、現代の医学では到底認められません。

それどころか、4世紀のミラノ司教アンブロシウス(聖アンブロージョ)に至っては、「聖母マリアには腹門(ふくもん)があった。ゆえに、膣が塞(ふさ)がれていたにもかかわらず、キリストは無事に胎外(たいがい)に出られたのだ」と言ったそうです。

21世紀の今、私のような凡人が同じことを言っても一笑に付されるだけです。

 しかし、キリスト教が広まっていった時代にあっても、「永遠の処女、聖母マリア」説に対して懐疑(かいぎ)的な人達がいました。

特に、出産に臨(のぞ)み、胎児を取り出していた産婆(さんば)達は、経験的に「子供を産んだ女性が処女である筈(はず)がない」と知っていました。

 15世紀から16世紀、全ヨーロッパに吹き荒れた魔女狩りの嵐は、特に産婆に対して厳しいものでした。

キリスト教の教義を心から信じることができない産婆達が魔女狩りの標的にされたのは、気の毒ではありますが理解できます。

 中世の人文学者エラスムスの「愚神礼賛(ぐしんらいさん)」から、この問題についての揶揄(やゆ)にあふれた文章を紹介します。

「皆さんに伺いますが、人間は一体どこから生まれるのでしょうか?

頭からですか?顔、胸からですか?

手とか耳とかいう、いわゆる上等な器官からでしょうか?

いいえ、違いますね。

人類を増やしてゆくのは、笑わずにその名も言えないような、実に気違いめいた、実にこっけいな別の器官なのですよ」

 

 聖ルカ(Saint Lucas, St. Luke)は、日本語では「路加」と書きます。

築地にある聖路加国際病院は、その名の通り、聖ルカを医学の守護者として仰(あお)ぎ、キリスト教精神に則(のっと)り運営されています。 

聖路加国際病院については、いずれ「医学の歴史を訪ねて 東京編」の項でお話します。

2024年

7月

31日

医学の歴史を訪ねて 第46回 フィレンツェ編 その26

令和6年8月1日

 

ウッフィツィ美術館 

7.受胎告知(続き)

 前号で、ビートルズの曲でも聖母マリアが歌われていると述べ、その1例として「レディー・マドンナ」を挙げました。

しかし、もっと有名な曲の中で、ビートルズは聖母マリアを礼賛しています。

皆さんもよくご存じの名曲"let it be"(レット・イット・ビー)です。

 曲の冒頭の歌詞は以下の通りです。

 

When I find myself in times of trouble

Mother Mary comes to me,

Speaking words of wisdom, let it be.       

       

 この中の、"Mother Mary"とはもちろん聖母マリアを指します。

そして、"let it be"は、新約聖書「ルカによる福音書 1章」の中で、マリアがイエスを身ごもったことを告げた天使に向かって、マリアが返した言葉、

"Let it be to me according to your words."

「あなたのお言葉の通りになりますように」

(つまり、「神の御心(みこころ)に従い、私は神の子イエスを産みます」という意味)

から引用しているのです。

私はつい最近まで、"let it be"は「なるようになるさ」という意味だと思っていましたが、違いました。

 以上より、名曲「レット・イット・ビー」の冒頭の歌詞を和訳すると、こうなります。

 

私が困難に直面すると

聖母マリアが現れ

叡智(えいち)に満ちた言葉をおっしゃる

どうか神の思(おぼ)召(め)すままに

 

何と素晴らしい歌詞でしょうか!

確かに、聖母マリアの叡智に満ちた言葉が「なるようになるさ」ではオカシイですね。

やはり、「どうか神の思し召すままに」が正しいのだと、改めて思います。

 

 医学分野にも「マリア」の名が付く病名があります。

「シスター・メアリー・ジョセフの結節」:

これは、癌が臍(へそ)に転移したため生じる結節で、予後(よご)不良(余命が短い)を示唆する皮膚転移として知られています。

メアリー・ジョセフは発見者である看護婦の名前です。

彼女はアメリカにある有名なメイヨー・クリニックの前身「聖マリア病院」の看護婦で、この臍変化がある患者の多くは胃癌で死亡することを報告したのです。

蛇足ながら、看護婦・病院の名前まで"Mary(Maria)"(メアリー(マリア))です。

2024年

6月

30日

医学の歴史を訪ねて 第45回 フィレンツェ編 その25

令和6年7月1日

 

ウッフィツィ美術館 

7.受胎告知(じゅたい こくち)

15世紀、レオナルド・ダ・ヴィンチが20才頃の最初の単独作品です。

キリスト教の新約聖書に書かれている題材を、遠近法を用いて見事に描いています。

 処女マリア(向かって右)の前に天使ガブリエル(向かって左)が舞い降り、マリアが聖霊によってキリストを懐妊したことを告げ、マリアがそれを受け入れている場面です。

 私の手許(てもと)にある新約聖書の「ルカによる福音書 1章」から抜粋(ばっすい)します。

 

 天使ガブリエルは、ナザレに住むマリアという乙女(おとめ)の元(もと)に神から遣(つか)わされた。

マリアはヨゼフの婚約者であった。

天使はマリアに近寄り、「あなたは子を身ごもっています。その子が生まれたらイエスと名付けなさい。彼は主(しゅ)なる神の御心(みこころ)に従い、永遠に国を治めるでしょう」と言った。

 そこで、マリアが「男を知らない私が、どうして母になれるのでしょうか?」と尋ねた。すると、天使は「聖霊があなたに下ったのです。生まれる御子(みこ)は神の子です」と答えた。そこで、マリアは「私は神のしもべです。あなたのお言葉の通りになりますように!」と答えた。そして、天使は去った。

 

 皆さんもよくご存じのように、精子と卵子が融合し(受精)、その後、受精卵が子宮内膜に着床(ちゃくしょう)することによって妊娠が成立します。

 新約聖書によると、ヨゼフと結婚する前の処女マリアの子宮内に、聖霊が神の子を着床させました。やがてマリアはその子を分娩し、イエスと名付けたのです。

世界中のキリスト教信者は、これを信じて疑いませんし、イエスが生まれた1225日をクリスマスと呼んで盛大に祝っています。

仏教国である日本でも、多くの人が、イエス・キリストの生誕(せいたん)祝いであることを知らずに、クリスマスを年中行事にしています。

 マリアが夫であるヨゼフと交わった結果、生まれた子がイエスであると思っている人も多いようですが、そうではありません。

あくまで、処女でありながら、イエスの母となった点が重要なのです。

天使が携(たずさ)えている白百合の花は、マリアの純潔・貞操の象徴であり、フィレンツェの象徴でもあります。

 

 聖母マリアの「マリア」とは、ヘブライ語で「神に愛された者」という意味です。

世界では"Holy Mother"(聖母)より、"Virgin Mary"(処女マリア)、"the Virgin"(処女)、"Saint Mary"(聖女マリア)、"Santa Maria"(サンタ・マリア)、"Our Lady"(我らが貴婦人)、"the Madonna"(マドンナ)などと呼ばれることが多いのです。

フランスのノートルダム大聖堂の"Notre Dame"(ノートル・ダム)も「我らが貴婦人」という意味で、聖母マリアを指します。

 そう言えば、ビートルズの曲に"Lady Madonna"(レディー・マドンナ)というのがありましたね。

これも、聖母マリアです。

ポール・マッカートニーは自分の母親がMaryであったせいか、聖母マリアがとても好きです。

同じく、彼が作った名曲”Let it be”(レット・イット・ビー)にも”Mother Mary”(聖母マリア)が登場しますね。

  "Mary"(マリー、メアリー、メリー)や"Maria"(マリア)は聖母マリアに因(ちな)んだ名前で、当然、女性の名前として世界で最も多いものです。

日本でも「マリ」や「マリア」と発音する名前の女性は多いですね。

真理(まり)さん、真理子(まりこ)さん、茉莉(まり)さん、麻里(まり)さん、真莉愛(まりあ)さん、麻里亜(まりあ)さん、・・・。

他にも、沢山(たくさん)あります。 

聖母マリアが日本でも愛されていることが分かります。

2024年

5月

30日

医学の歴史を訪ねて 第44回 フィレンツェ編 その24

令和6年6月1日

 

ウッフィツィ美術館 

7.ヒポクラテス 続き

  「医学の父」だけあって、「ヒポクラテス」の名は医学用語に多く用いられています。

  ヒポクラテス顔貌(がんぼう)

 目・頬は窪(くぼ)み、鼻はとがり、顔の皮膚は硬くて黒ずんでいます。

癌末期など、重態患者の顔貌です。

決して、ヒポクラテスのような顔つきという意味ではありません。

瀕死の患者さんの顔つきを、ヒポクラテスが初めて記録したため、こう呼ばれます。

 

②ヒポクラテス爪(つめ)

  爪が大きくなり、丸く隆起した状態です。

ヒポクラテスが肺疾患との関係を最初に発見したため、こう呼ばれます。

時計皿(とけいざら)を逆さに伏せたような形状から、時計皿爪ともいいます。

手足の指先が太鼓ばちのように肥大する「ばち状指(し)」に伴います。

  指の末端の軟部組織にムコ多糖類が沈着するために生じる、と考えられています。

肺癌・肺気腫・慢性気管支炎などの肺疾患だけでなく、心不全や肝硬変などでも見られます。

 

  ヒポクラテス法

 

  ヒポクラテスが考案した、肩関節脱臼(「肩がはずれる」こと)や顎(がく)関節脱臼(「アゴがはずれる」こと)の整復法をヒポクラテス法と呼びます。

2024年

4月

27日

医学の歴史を訪ねて 第43回 フィレンツェ編 その23

令和6年5月1日

 

ウッフィツィ美術館 

.ヒポクラテス

  ヒポクラテス(紀元前5世紀生まれ)は古代ギリシャの医師です。

エーゲ海のコス島に生まれ、ギリシャ神話の医神アスクレピオスを祀(まつ)ったアスクレピオン神殿で医学を学びました。

 ヒポクラテスの最も重要な功績は、医学を迷信や宗教から切り離し、臨床と観察を重んじる自然科学へと発展させたことです。

 彼は、病気が神や悪霊の仕業(しわざ)ではなく、血液・粘液・黄胆汁(おうたんじゅう)黒胆汁(こくたんじゅう)の4つの体液のアンバランスにより生じると考えました。

また、骨折した腕(うで)脚(あし)牽引(けんいん)脱臼(だっきゅう)の整復、出血をくい止める止血帯(しけつたい)の使用、心肺の聴診など、先進的な診断・治療を行いました。

 ヒポクラテスは、各地を旅し、医学を教え、診療を行いました。 

彼の教科書・講義録・随筆・メモなど70以上の文書が収められた「ヒポクラテス全集」が今日まで残っています。

古代ギリシャ語で書かれていますが、様々な文体が用いられており、著者はヒポクラテスだけでなく、彼の弟子達を含め、20人位いると考えられています。

 さらに、医師が守るべき規範と倫理について述べた「ヒポクラテスの誓い」は現代まで受け継がれ、医学教育の現場で引用されています。

彼は、「医師は身だしなみを整え、専門家であるべきだ。冷静、誠実、正直、率直な態度で患者に向き合わなければならない。師を尊(たっと)び、知識を他の者に伝えよ」と教えています。私も肝に銘じています。

 ヒポクラテスは、人間の置かれた環境(自然環境、政治的環境)が健康に及ぼす影響についても、先駆的(せんくてき)な研究をしました。

また、「人生は短く、医術の道は長い」という有名な言葉も残しています。

 これらヒポクラテスの功績は、古代ローマの医学者ガレノスを経(へ)て、今の西洋医学に継承(けいしょう)されています。

そのため、ヒポクラテスは「医学の父」、「医聖(いせい)」などと呼ばれます。

「ヒポクラテスの誓い」の主要な箇所(かしょ)抜粋(ばっすい)します。

  医神アポロン、アスクレピオス、ヒュギエイア、パナケイア、及び全ての神よ。私は、この誓約(せいやく)を守ることを誓(ちか)う。

アポロン:アスクレピオスの父親、ヒュギエイア:アスクレピオスの長女、パナケイア:アスクレピオスの次女)

  私は、患者に利(り)すると思う治療法を選択し、有害な方法を選択しない。

③求められても、死をもたらす薬を与えない。

④婦人に、流産をもたらす道具を与えない。

⑤どんな家を訪れる時も、病者の利益を目的とし、不適切な行為、特に男性や女性との性的関係を避ける。

⑥人々の生活について、恥となることを見たり聞いたりしても、他言(たごん)しない。

⑦この誓いを守り続ける限り、私は人生と医術を享受(きょうじゅ)し、全ての人から尊敬されるであろう。

しかし、誓いを破れば、反対の運命を賜(たまわ)るだろう。

  この中で、特に⑤は、いかにも古代ギリシャらしいですね。

私は医者になってから今日に至るまで、「往診先で性的関係」などという話は、見たことも聞いたこともありません。

 「ヒポクラテスの誓い」の倫理的精神を現代的に改定した「ジュネーブ宣言」が1948年、第2回世界医師会総会にて採択されました。

その後、5回の改定を経て、現在の版に至りました。

 抜粋します。

①生涯を人道のために捧げる。

②人道的立場にのっとり、医を実践する(道徳的・良識的配慮)。

③人命を最大限に尊重する(人命の尊重)。

 患者の健康を第一に考慮する。

 患者の秘密を厳守する(守秘(しゅひ)義務)。

⑥患者に対して偏見を持たず、差別しない(患者の非差別)。

  現在、日本を始め、多くの国で、この考え方が採用されています。

2024年

3月

31日

医学の歴史を訪ねて 第42回 フィレンツェ編 その22

令和6年4月1日

 

ウッフィツィ美術館 

6.アリアドネ

 ギリシャ神話には、次のような話があります。

全能の神ゼウスの子ミノスが、クレタ島の王様になりたいと思いました。

ミノスは「自分が王になるのが神の意志」であることを示すため、海神ポセイドンに頼み、後で返す約束で、海から生まれた雄牛を貰(もら)いました。

ミノスは海神から貰った雄牛を人々に見せて、「自分は神から王として認められた」と主張し、政敵を押さえてクレタ島の王となりました。

 しかし、その後、ミノスはこの雄牛があまりに美しいため、海神ポセイドンに返すのが惜しくなり、隠してしまいました。

ミノスの約束違反に怒ったポセイドンは、罰として、ミノスの妃パシファエをこの雄牛への邪恋(じゃれん)に狂わせるように、仕向けました。

雄牛に恋した王妃パシファエは、雄牛と交わり、「頭が牛・身体が人間(牛頭人身)」の怪物ミノタウロス(「ミノスの牛」という意味)を産みました。

 ミノタウロスは成長するにつれて乱暴になり、手に負えなくなりました。

そこで、ミノスは、この怪物を迷宮ラビリントス"Labyrinthos"(クノッソス宮殿)に閉じ込め、属国のアテナイ(アテネ)から送られてくる少年少女を餌(えさ)として与えました。

この迷宮ラビリントスは、入ったら2度と出られないと言われていました。

 アテナイの英雄テセウスは自ら志願し、ミノタウロスの餌食(えじき)としてラビリントスに侵入しました。この際に、テセウスを手引きしたのが、ミノス王の娘 アリアドネです。

テセウスに恋したアリアドネは、テセウスに糸の玉を渡し、糸の端を迷宮の扉に結び付けました。糸をほぐしながら迷宮を進んだテセウスは、怪物ミノタウロスを退治した後、糸をたどりながら来た道を戻りました。

 この神話が元になり、迷宮を表す紋様(もんよう)は「苦難の旅」の象徴となり、難問解決の手段を「アリアドネの糸」と呼ぶようになったのです。

解決しない難事件が「迷宮入り」と言われるのも、この神話に基づきます。

また、古代のクレタ島では、実際に人間と牛が交わる()という儀式があったそうです。

 迷宮ラビリントスを脱出したテセウスは、アリアドネを連れて船でアテナイへの帰国の途につきました。その途中、一行はナクソス島に寄港しました。

 ところが、この島では、眠っているアリアドネを、酒の神ディオニュソス(バッカス)が連れ去ってしまいました。ディオニュソスは彼女に金の冠を与えました。

その冠は、後に星座「かんむり座」となりました。

 アリアドネを失い悲嘆にくれたテセウスは、クレタ島への出発前にアテナイの王である父アイゲウス"Aegius"と、「生きて帰れた時は船の帆を黒から白に張り替える」と約束していたことを忘れてしまいました。

息子の生還を待ちわびていたアイゲウスは、黒い帆を見て息子が死んだと思い、絶望のあまり、海に身を投げて死にました。その海は、「アイゲウスの海」という意味の「エーゲ海」"Aegean Sea"と呼ばれるようになりました。

 耳の奥の内耳は聴覚と平衡感覚を司(つかさど)る重要な器官ですが、その解剖学的構造が甚(はなは)だ複雑なため、「迷路」"Labyrinth"(ラビリンス)と呼ばれます。

迷宮ラビリントスに因(ちな)みます。 

2024年

2月

28日

医学の歴史を訪ねて 第41回 フィレンツェ編 その21

令和6年3月1日

 

ウッフィツィ美術館 

5.ヘルメス(続き)
 ゼウスはイオを助けるため、ヘルメスに怪物の巨人アルゴス退治を命じました。

ヘルメスはあらゆる者を「眠らせる」力を持っていました。

彼は得意の葦笛(あしぶえ)を吹き、アルゴスを眠りに誘いました。

一つ一つ、怪物の目を閉じさせて、ついに全部の目を眠らせてしまいました。

ヘルメスは、素早くアルゴスの首を切り落として、牝牛(めうし)のイオを解放しました。

 腹心(ふくしん)の部下であるアルゴスを殺され、ゼウスの妻ヘラは怒りが収まりません。

今度は、牝牛のイオの耳にアブを押し込み、苦しめました。

アブの羽音(はおと)に悩まされ、刺され続けたイオは狂ったように諸国をさまよい続けました。

イオはギリシャからボスフォラス海峡を渡ってトルコに行き、とうとうエジプトにたどり着きました。

ここで、再びゼウスの命令を受けたヘルメスが現れて、牝牛(イオ)の耳からアブを捕(と)り出し、イオを元の人間の姿に戻してやりました。

 ラテン語で「牛」を"bos"(ボス)といいます。

また、ギリシャ語で「運ぶ」を"phoros"(フォロス)といいます。

牛の姿をしたイオが渡った海峡だから、ボスフォラスBosphorus(牛の渡し)(英語ではBosporus)海峡と呼ぶのです。

トルコのヨーロッパ部分とアジア部分(オリエント)を隔(へだ)てる海峡で、現在のイスタンブール(かつてのコンスタンティノープル)にあります。

東西文化の接点です。

黒海とエーゲ海を繋(つな)ぎ、イスタンブール海峡とも呼ばれます。

アレキサンダー大王(紀元前4世紀、マケドニア(ギリシャ)の英雄)やマホメット(ムハンマド、7世紀、イスラム教の創始者)、チンギス・ハン(ジンギスカン、13世紀、モンゴル帝国の初代皇帝)などもこの海峡を渡りました。

歴史的に極めて重要な所です。

 

 ゼウスの妻ヘラは忠臣(ちゅうしん)アルゴスの死を悲しみ、百の目をクジャクの羽に縫い付けました。

クジャクの羽の模様は、怪物アルゴスの百の目なのです。

繁殖期になると、クジャクのオスはメスの気を引くため、長く美しい飾り羽を広げます。

メスの羽は短く褐色で、模様も目立ちません。

また、羽が抜け変わるところから、キリスト教社会では、クジャクは復活の象徴と考えられているそうです。    

 

ゼウスと愛人イオは、星となった今も深い関係を保っています。

木星(ジュピターJupiter、ローマ神話のユピテル、ギリシャ神話ではゼウス)の第1(最も内側を回る、すなわち最も木星に近い)衛星がイオIoと名付けられているのです。

2024年

1月

27日

医学の歴史を訪ねて 第40回 フィレンツェ編 その20

令和6年2月1日

 

ウッフィツィ美術館 

5.ヘルメス
 令和591日号の本欄で、全能の神ゼウスが女神マイアと交わり、息子ヘルメスが生まれたと書きました。

ギリシャ神話におけるヘルメスは、ゼウスの「伝令」で、「盗み」の神でもあります。

この点について、一例を挙げます。

 ゼウスの妻ヘラにはイオioという巫女(みこ)がいました。

イオは清らかで美しい娘だったので、天界のゼウスが見逃す筈(はず)がありません。

早速、イオに言い寄ったゼウスが、二人の周囲に金色の雲を集めて、イオと愛し合うようになりました。

 ある日、嫉妬(しっと)に狂ったヘラが天上から降りてきました。

慌(あわ)てたゼウスは、イオを白い牛に変えて、ヘラの目をごまかそうとしました。

しかし、ヘラはこれを見抜き、ゼウスから無理やり牛を奪い、百の目を持ち絶対に眠らないという巨人アルゴスを見張りに付けました。

 牛の姿に変えられたイオが不自由な生活を強いられているのを、ゼウスは不憫(ふびん)に思いました。

ゼウスは、せめて愛人イオが食べる雑草を、おいしい草花にしてやろうと、紫色の美しいスミレを、イオの周(まわ)り一面に咲かせました。

 さらに、ゼウスはヘルメスを派遣して巨人アルゴスを殺させ、イオ(牛)を解放しました。その後、イオはヘラによって送られたアブに刺されながらも、世界中を放浪しました。そして、ようやくエジプトで人間の姿に戻って息子エパフォスを生み、エジプト人からはイシスと呼ばれる女神として崇(あが)められるようになりました。

 

 古代ギリシャ人は、イオioの花という意味で、スミレをイオーンionと名付けました。イオーンionは、英語ではヴァイオレットvioletです。

 19世紀、フランスの化学者がヨウ素(ヨード)を発見しました。

ヨウ素は熱すると、美しい紫色の蒸気を発生します。

化学者は、蒸気がスミレの花のようだという理由で、「すみれ色のion」+「~に似た eidos」=「ヨードiode」と名付けました。

  ヨウ素は甲状腺ホルモンを合成するのに必要なため、人にとっては必要欠くべからざる元素です。

また、ヨウ素は消毒薬としてもよく用いられます。

ヨウ素のアルコール溶液が消毒薬のヨードチンキ(ヨーチン)です。

ヨウ素とヨウ化カリウムをグリセリンに溶かすと、喉(のど)に塗るルゴール液ができます。

ヨウ素とポリビニルピロリドンの複合体はポビドンヨードと呼ばれ、うがい薬のイソジンガーグルとしてよく知られています。

2023年

8月

31日

医学の歴史を訪ねて 第35回 フィレンツェ編 その15

令和5年9月1日

 

ウッフィツィ美術館 

1.「春(プリマヴェーラ)」(15世紀) 続き

 左端の、羽が付いた帽子をかぶり、翼がある靴を履き、右手で杖を掲(かか)げているのは、ゼウスの息子ヘルメスです。

オリンポス十二神の一人です。

 ゼウスは、自分の役に立つ、抜け目のない知恵を持つ子が欲しいと考えました。

ゼウスは妻ヘラが眠っている隙(すき)に、美しい女神マイアと交わり、息子ヘルメスを産ませました。自分の思い通りに、如才(じょさい)ない子が生まれたことを喜んだゼウスは、ヘルメスをオリンポスの神の仲間に加え、十二神の一人としました。

そして、彼を自分の「伝令」にしました。

 ヘルメスは、少年時代、遠くまで「旅」をして、太陽神アポロンが飼う牛を「盗み」ました。そして、牛を取り返しに来たアポロンに「泥棒などしていない」と「嘘」をつきました。ゼウスの命令により牛の群れをアポロンに返したヘルメスは、詫(わ)びの印に自分が発明した竪琴(たてごと)をアポロンに贈りました。

すると、アポロンは引き替えに、魔力のある黄金の「杖」をヘルメスに与えました。

杖には、知恵の象徴である蛇(へび)が2匹巻きつき、頭には飛び回るための翼(つばさ)が付いています。

ヘルメスは「旅」をして、「盗み」を働き、「嘘」をつき、アポロンと「互いの利益となる交換」をしたので、旅行・泥棒・雄弁・商売の守護神となりました。

 ラテン語では商業をメルクスmerxというので、ヘルメスはローマ神話ではメルクリウスMercuriusと呼ばれます。

6世紀に水銀(quick silver「速く動く銀」)が発見された際、床に落とすとその11滴が球になってすばやく弾(はじ)ける姿から、マーキュリーmercuryと名付けられました。

個体・液体・気体と簡単に変化する性質も、オリンポスの神界(しんかい)から人間界へ、そして冥界(めいかい)へと、神出(しんしゅつ)鬼没(きぼつ)の動きをするメルクリウスMercuriusの名に因(ちな)んだ命名なのです。

 同じ理由で、太陽に最も近い軌道を回るため、すぐ見えなくなる水星をマーキュリーMercury、移り気な性格をマーキュリアルmercurialといいます。

使者や、恋愛の提灯(ちょうちん)持ちのことも、マーキュリーmercuryと呼ぶそうです。

 フランスのブランド「エルメスHermes」は、元々、旅行用品会社だったので、旅の神ヘルメス(メルクリウス)を社名にしたのです。

フランス語ではHを発音しないため、エルメスなのです。

そのロゴマークには、時計でいえば、2時・4時・8時・10時の方向にヘルメスの杖が描かれています。

また、商科大学である、日本の一橋大学の校章「マーキュリー」には、商売の神ヘルメスの杖が描かれています。 

 ヘルメスの杖は、死者を冥界に導き、時にはよみがえらせる、魔力を持ちます。

そのため、やはり死者を蘇生させる力があると信じられた、西洋医学のシンボルでもある「アスクレピオスの杖」としばしば混同されます。

特に北米では、ヘルメスの杖が誤って医療団体のマークとして用いられることが多いようです。

何と、日本の防衛医科大学や聖路加国際大学の校章にも「ヘルメスの杖」が描かれています。

しかし、「アスクレピオスの杖」に巻き付く蛇は一匹だけで、翼もありませんから、「ヘルメスの杖」とは明らかに異なります。

「ヘルメスの杖」は医学の紋章(もんしょう)ではないのです。

 

 アスクレピオスの杖については、令和381日号や令和4101日号でも触れましたので、ご参照下さい。

 

 インフルエンザ予防接種の予診票は当院受付にてお配りしている他、本サイトからもダウンロードできます。予め記入後お持ち下さい。

  ただし、「65歳以上の藤沢市民」は、インフルエンザ・コロナワクチン共に、当院にて専用の予診票に記入して頂く必要があります。ダウンロードはできません。

お知らせ

12月29日(日)から1月3日(金)まで休診します。

8月13日(火)、14日(水)、15日(木)の3日間、夏期休診させて頂きます。

Message from the Directorを更新しました(Jul 1, 2024)。 

令和6年4月以降、発熱など風邪症状がある方も、電話連絡等は不要となりました。

令和6年3月14日(木)、21日(木)、28日(木)の各木曜日休診します。

4月以降も、毎週木曜日休診します。

3月7日(木)臨時休診します。

2月28日(水)から3月5日(火)まで臨時休診します。3月6日(水)から診療再開します。

令和6年4月より、毎週木曜日、休診します。

1月25日(木)は通常通り診療します。

2月1日(木)は急用のため、休診いたします。

急用のため、1月18日(木)休診いたします。

 

急用のため、1月11日(木)休診いたします。

 

令和5年12月29日より翌1月3日まで休診します。ただし、1月2日は藤沢市休日当番医のため、午前9時から午後5時まで、急病・外傷患者さんの診療を行います。