院長から一言を、掲載順に(現在から過去に、1年分)並べてあります。

 

2019年

9月

29日

「徘徊(はいかい)」と呼んではいけないのか? 偽善の言葉狩り 第9回

令和元年10月1日

 

  前5回に続き、今回も、差別用語・放送禁止用語の例を紹介します。

 

レントゲン技師

 診療放射線技師と呼ばなければいけないそうです。

私が38年前に医師になった時は、病院のレントゲン室にレントゲン技師さん達が大勢いましたし、今でもレントゲン技師の友人が何人かいます。

皆、性格の良い人達ばかりです。

彼らから「俺をレントゲン技師と呼ぶな。診療放射線技師と呼べ」と言われた事は一度もありません。

 

障害者

  」を「がい」に置き換えて「障がい者」というべきなのだそうです。

」には、あってはならない存在というイメージが付きまとうのだそうです。

そして、「」の文字は不快感を与え、誤解を招く恐れがあるからだそうです。

 どういう誤解を招くのでしょうか?

「人に害を及ぼす」存在だという誤解を招くのだそうです。

そんなバカな!

 漢字をひらがなに替え、言葉の表面だけを取り替えたところで、問題解決にはなりません。

多摩市や藤沢市のホームページを見ると、確かに、「障がい者」と書いてあります。

障害者」を「障がい者」に言い換えれば、障害が治る訳でも、障害者が暮らしやすい街になる訳でもありません。

そんな姑息的な手段を考える暇があったら、医療・福祉への予算配分を増やしなさい!藤沢市長さん!

 また、ある政党は、「障害者」の「」にはマイナスのイメージが強いので、「がい」の表記に替えるよう、政府や地方自治体に働きかける事にしたのだそうです。

また、法律の表記を改めるための法改正も、求めていくのだそうです。

そんな暇と労力・カネがあったら、もっとまともな政策を立案して下さいよ!

  一方、東京都や神奈川県のホームページには、まだ、「障害者」と記載されています。

少し安心しました。

 

障害物競走

 多くの学校で「障害物競走」が消えているそうです。

「人生行路」や「山あり谷あり競走」など別の名称に替えているのだそうです。

変わったのでは、「興味走」「運命走」なんて名付ける学校もあるそうです。

何じゃ、それ! 

障害者に失礼だからという考えからだそうですが、過剰な自己規制です。

 

用務員 ~君 ~さん

  用務員」が差別的とされ、各学校では「校務員」、「校務技術員」、「管理作業員」などの呼び名に置き換えられているのだそうです。

私は小学生時代、よく用務員室(当時は畳敷きでした)に上がり込んで、用務員のおっちゃんからお菓子をもらったものです。

  小学校で、男子児童を~君女子児童~さんと呼ぶのも男女差別に繋がるから禁止だそうです。

男子も~さんと呼ばなければいけないそうです。

また、名簿の順番も「男女混合型」にしないといけないそうです。

 しかし、男の子と女の子は違うのです。

男女は違うのですから、区別するのは当然ですし、それは差別とは異なります。

私は、当院を受診する男の子を~君、女の子を~さんと呼んでいますし、これからもそうします。

 手元に、私の小学校卒業アルバムがあります(昭和43年度卒業 京都市立桃山小学校)。

教職員の欄に、立派に用務員の氏名が3名並んでいます。

卒業生も、各組とも男子、女子の順に並んでいます。

古き良き時代の遺物です。

 

うんこ

  誰でも知っている、大便の意。

でも、「うんち」は幼児語だから、禁止用語ではないそうです(?)

また、どの禁止用語一覧を見ても、「オシッコ」は載っていませんでした。

大はダメでも小は良い?

 また、男女の生殖器の俗称である「オ○ン○ン」と「オ○ン○」も、どこを探しても見つかりませんでした。

わざわざ書かなくても当たり前という事なんでしょうね。

「そんなモノを探している暇があったら勉強しろ!」とお叱りを受けそうですので、この辺で終わりにします。

 

                                                               次号に続く

2019年

9月

01日

「徘徊(はいかい)」と呼んではいけないのか? 偽善の言葉狩り 第8回

令和元年9月1日

 

前4回に続き、今回も、差別用語・放送禁止用語の例を紹介します。

                                  

めくら、めくらめっぽう(滅法)

 めくらが目の不自由な人を指す事は誰でも分かります。

目が見えない人に向かって「オマエはめくらだな」と言うのは失礼です。

 しかし、めくらめっぽう(滅法)はどうでしょうか?

辞書には、何の見当も付けずにむやみに行うこと、やみくも。とあります。

私は子供の頃から、言い出したら最後、めくらめっぽうに突き進む悪い癖がありました。

こう言ったら、視覚障害者に対する差別でしょうか?

決してそうではありません。

 

つんぼ、つんぼ桟敷(さじき)

  聴覚障害者に対して「つんぼ」とからかってはいけないのは当然です。

これに関連して、つんぼ桟敷という、いかにも日本語らしい洒落(しゃれ)た言葉があります。

歌舞伎の二階桟敷の一番奥で、舞台の役者の声がよく聞こえない場所のことを意味します。声が聞こえない桟敷だから「つんぼ桟敷」と言うのです。

「無視する」と言うよりも「つんぼ桟敷に置く」と言った方が味わいがありますよね。

ところが、今ではこれが差別用語なんだそうです。

 平成282月、衆議院総務委員会で、野党議員がNHKの用地取得計画撤回問題を取り上げました。

NHK会長は「こういう大問題について、執行部の人達をつんぼ桟敷に置いたことはない」と答弁しました。

これに対して、野党が「聴覚障害者に対する不適切発言だ」と非難し、NHK会長が「つんぼ桟敷」発言を撤回したのです。

日本語のプロであるNHKの会長なら、「何が不適切なもんか!オマエらの方こそ国語を勉強せい!」と怒鳴り返して欲しいものです。

 国会はもう少しマシな議論をして下さい。

揚げ足取りなどやっている暇はありません。

 

町医者

 開業医と言い換えるべきなんだそうです。

医者も患者も専門医指向の世の中ですから、大学病院やがんセンターのスーパードクターに比べて、何でも屋の町医者は身分が低いということでしょうか?

 私は町医者に誇りを持っていますし、肩身が狭い思いもしていません。

町医者で結構です。

これからも、頼れる町医者を目指します。

 

                                                             次号に続く

 

2019年

7月

30日

「徘徊(はいかい)」と呼んではいけないのか? 偽善の言葉狩り 第7回

令和元年8月1日

 

 前3回に続き、今回も、差別用語・放送禁止用語の例を紹介します。

 

キチガイ(気違い)

 本稿の第1回(平成3121日号)で取り上げました。

 辞書を引くと、2つの意味があります。

①精神の平衡を失う事。気が狂う事。また、そのような人。狂人。

②一つの物事に非常に熱中する事。また、その人。

多くは、他の語と複合して用いられる。「相撲キチガイ」「釣りキチガイ」

そう言えば、車マニアを「カー・キチ」と呼びますよね。

 公共の電波放送で、人を直接非難して、①の意味で「〇〇はキチガイだ」と言うのは公序良俗に反する行為でしょう。

 本稿の第1回で紹介した、河島英五の曲「てんびんばかり」の歌詞の一節「母親が赤ん坊を殺したらキチガイと言われる今は平和な時」の「キチガイ」も、①の意味ではあります。

しかし、この「キチガイ」を消したり、他の言葉に置き換える必要は全くないと思います。特定の人物を不当に非難するために用いているのではないからです。

前後の文脈を読めば小学生でも分かります。

 単語には様々な意味があり、前後の文脈や状況で、その人が何を言いたいのかを考えなければなりません。

ただ単に、重箱の隅(すみ)をつついて、単語に罪を負わせて追放する。

そんな「言葉狩り」に血眼(ちまなこ)になっていては、日本語が貧弱になります。

そして、日本人の思考力も堕落(だらく)します。

 河島英五の名曲「てんびんばかり」は、この過剰な自己規制を押しつけられた犠牲者だと思います。

 

 ちなみに、気違いに相当する英単語として、crazymadの他にlunacy(ルナシー)という名詞があります。

ラテン語でlunaは月という意味です。

狼男(おおかみおとこ)の伝説でも分かるように、古来より、人は月の光を浴びると狂うと信じられてきたのです。

ですから、ラテン語のluna(月)から派生して英語のlunacy(狂気)やラテン語のlupus(ループス:狼(おおかみ))が生まれたのです。

 

  蛇足(だそく)ですが、日本のロックバンドLUNA SEALUNA(ラテン語の「月」)SEA(英語の「海」)の組み合わせですが、英語のlunacy(狂気)をもじったのだそうです。 

 

 ついでに豆知識をもう一つ。

ヒステリー(hystery)の語源もラテン語です。

古代ギリシャでは、ヒステリーは子宮(hysteraヒステラ)が体内を動き回る事に起因すると考えられていたのです。

 私はヒステリー症の女性に手を焼いた経験がありますが、古代ギリシャ人も私と同様の体験をしたのかと思うと愉快です。

                                                  

                               次号に続く

2019年

6月

29日

「徘徊(はいかい)」と呼んではいけないのか? 偽善の言葉狩り 第6回

令和元年7月1日

 

  前々号、前号に続いて、差別用語・放送禁止用語の例を紹介します。

 

片手落ち

 「片手の無い人に対する蔑称(べっしょう)」と勘(かん)違(ちが)いする人からの糾弾(きゅうだん)を恐れて、マスコミが自主的に使用しないようにしているそうです。

実に愚かな自主規制です。

片手落ちとは「片-手落ち」なのです。

すなわち、片方に対する配慮を欠いた、一方的で不当な裁定(さいてい)という意味です。

決して、障害者を揶揄(やゆ)する言葉ではありません。

  しかしながら、残念なことに、NHK大河ドラマ「元禄(げんろく)繚乱(りょうらん)」(18代目中村勘三郎が主演した忠臣蔵(ちゅうしんぐら))では、将軍・徳川綱吉(つなよし)片手落ち裁定を、劇中で「片落ち」と言い換えたそうです。

  

 ちなみに、忠臣蔵を知らない方のために、簡単に解説します。

 

 赤穂(あこう)藩主(はんしゅ)・浅野(あさの)内匠頭(たくみのかみ)が自分を散々(さんざん)辱(はずかし)めた幕臣(ばくしん)吉良(きら)上野介(こうずけのすけ)に江戸城・松の廊下(ろうか)にて切りつけた刃傷(にんじょう)事件が物語の発端(ほったん)です。

狂気の将軍・徳川綱吉は浅野内匠頭を即日切腹させましたが、吉良上野介にはお咎(とが)無(な)(無罪釈放)としたのです。

幕府が当時の定法(じょうほう)(しきたり)である「喧嘩(けんか)両成敗(りょうせいばい)(喧嘩をした者を両方とも同じように罰(ばっ)すること)」を完全に無視して、一方的な裁定を下した訳です。

まさしく、片手落ち沙汰(さた)(裁定)です。

 大石(おおいし)内蔵助(くらのすけ)以下、赤穂藩士(はんし)達は浪人(ろうにん)(赤穂浪士(あこうろうし))となり、主君(しゅくん)・浅野内匠頭の無念を晴らすため、周到な準備を重ねますが、その間に仲間は次々に脱落していきました。

  最後まで残った47人の浪士達は、ついに19カ月後の 元禄151214日(1703130日)未明に、本所(ほんじょ)松坂町(まつざかちょう)の吉良上野介邸(てい)へ討ち入りました。

そして、見事に吉良の首をはねて仇(あだ)討(う)ちを果たしたのです。

 その後、寺坂(てらさか)吉右衛門(きちえもん)を除く46人の浪士達は、やはり将軍・徳川綱吉の沙汰により切腹させられましたが、晴れ晴れとした気持ちで散っていきました。      

 

 それにしても、片手落ちを「片落ち」と言い換えるとは・・・?     

視聴者からの的(まと)外(はず)れのクレームを恐れて、事前に回避(かいひ)した訳です。

天下のNHKが何と情けない事でしょう!

私は忠臣蔵が大好きで、「元禄繚乱」のビデオも持っていますが、この言い換えには気が付きませんでした。

 

びっこ、びっこをひく

 脚(あし)の不自由な人、脚に障害のある人、左右が不揃(ふぞろ)いの履物(はきもの)びっこと言います。

しかし、脚に障害がなくても、片方の足首をくじいたら、誰でもびっこをひく訳ですから、これを差別用語として避けるのは過剰(かじょう)反応と呼ばざるを得ません。

 高校野球を実況中継するアナウンサーが、走塁中のランナーが転倒した際、「びっこをひいています」と言ったら、視聴者から差別用語だとクレームが来たそうです。

私に言わせれば、文句を言う方がおかしいのです。

アナウンサーという言葉のプロが、不当な言いがかりの前に尻込(しりご)みしていては、日本語の豊かな表現力を自ら奪うことになります。       

 

                                                     次号に続く

2019年

5月

30日

「徘徊(はいかい)」と呼んではいけないのか? 偽善の言葉狩り 第5回

令和元年6月1日

 

 今月も、差別用語・放送禁止用語の例を紹介します。

  

魚屋、八百屋、肉屋、米屋、酒屋、本屋、古本屋、花屋、おもちゃ屋、文房具屋、床屋、ペンキ屋、金物屋、雑貨屋、パチンコ屋、居酒屋、焼鳥屋、たこ焼き屋 など

 

 要するに、○○屋という呼び名はすべて差別用語だそうです!

日本中に多くの個人商店が建(た)ち並んでいた昭和30年代までは○○屋が普通だったのですが、高度経済成長期以降は問題なのだそうです。

 なぜなら、大企業による中小零細企業に対する支配構造が顕著となり、自営業者や零細企業に対する侮蔑心(ぶべつしん)が大衆に生じたからだそうです。

  魚屋からペンキ屋までは、順に鮮魚店、青果店、精肉店、精米店、酒店、書店、古書店、生花店、玩具店、文具店、理髪店、塗装業と言い換えるのだそうです。

しかし、金物屋以降は何と言い換えるのでしょうか?

私には分かりません。

 居酒屋焼鳥屋を他の言葉に置き換えるのは不可能だと思うのですがねえ。

全くバカバカしい限りです。

私は、居酒屋焼鳥屋も共に好きで、時々、飲みに行きます。

酒のつまみや焼き鳥が好きなのは無論ですが、居酒屋・焼鳥屋という、郷愁(きょうしゅう)を覚える言葉の響(ひび)きもまた良いものです。

居酒屋・焼鳥屋を差別用語の範疇(はんちゅう)に入れた人は、一体、何処(どこ)の誰でしょうか?

顔が見たいものです。

 

スチュワーデス

 言わずと知れた言葉で、女性のあこがれの職業であり、美人で毅然(きぜん)とした応対をする聡明(そうめい)な女性を連想します。

しかし、女性差別だなどと、バカな抗議をする団体があるそうです。

そのため、トラブルを恐れる、事なかれ主義で及(およ)び腰(ごし)のマスコミ・航空業界が、客室乗務員・キャビンアテンダントなどと言い換えています。

しかし、古い人種の私には客室乗務員よりスチュワーデスの方がピンと来ます。

 

看護婦、保母

  共に女性差別の名称だそうです。

看護師、保育士と言い換えるのだそうです。

 しかし、辞書を引くと、疑問が湧(わ)きました。

前者の「師」は、その道の専門家であることを表す接尾語なので、納得できます。

私も医「師」ですから。

 問題なのは、後者の「士」が男や侍(さむらい)を表す語だということです。

保母が女性蔑視(べっし)だと大騒ぎする女性は、保育士と呼ばれても文句ないのでしょうか?

 私は頭が固く、看護職員を看護婦としか呼びません。

かつて私が勤めた病院には男性看護職員もいましたが、私は「男の看護婦」と呼んでいました。

現在、当院には3名の看護婦がいますが、幸い全員女性です。

                                                                                                                     次号に続く

 

2019年

4月

30日

「徘徊(はいかい)」と呼んではいけないのか? 偽善の言葉狩り 第4回

令和元年5月1日

 

 今日から、令和時代が始まります。

私は、時代が変わっても、率直な意見を発信し続けますので、お付き合い下さい。

 

 「『徘徊』と呼ぶことで人権や尊厳が損なわれる。『徘徊』という言葉を追放せよ」という言葉狩り思想は、認知症の本質から目をそらしています。

認知症高齢者の「徘徊」が在宅介護破綻(はたん)の直接原因となっている事例が数え切れないほどあるのです。

現在の介護保険制度が24時間、365日在宅介護を支えてくれる訳ではないからです。

 「徘徊」老人を抱(かか)えた家族が、自分達の身を削って認知症者を見守り続けるか、それが不可能なら施設に預けるか、二者択一を迫られるのは紛(まぎ)れもない現実です。

私も父を在宅介護して同様の経験をしました。

 前号で紹介した認知症介護研究研修東京センター永田久美子氏は、「『徘徊』という言葉が在宅介護を担(にな)う家族に二者択一を迫っている」と主張していますが、全くお門(かど)違いです。

『徘徊』と呼ぼうと呼ぶまいと、家族は二者択一を迫られるのです。

言葉の問題ではないのです。

 「徘徊」追放運動を先導する人達は、自らの人権意識を誇示(こじ)するために言葉狩りをしているに過ぎません。

少なくとも私にはそうとしか思えません。

本稿に「偽善の言葉狩り」という副題を付した所以(ゆえん)です。

 

 そもそも、日本語は表現力豊かで情感に溢(あふ)れ、語彙(ごい)も豊富で素晴らしい言語です。

幼稚園から英語を教えるくらいなら、「まずは国語をしっかり教えろ」と言いたいものです。自分自身を含めて、日本語が乱れていると痛切に感じます。

 しかるに、本質を無視して特定の言葉を機械的に退(しりぞ)ける愚行(ぐこう)が、テレビ・ラジオなどの放送業界や新聞などの出版業界で繰り返されています。

これが言葉狩りです。

本稿でも取り上げた「キチガイ」「徘徊」も言葉狩りの標的です。

 差別用語、放送禁止用語とも言われる一群の言葉は、特に定められたものではありません。放送局や新聞社などが自主的に判断して決めています。

「言論・表現は自由」の建前(たてまえ)を守りつつ、各社が偏(かたよ)った根拠に基づいて、「良識の範囲」で、独自に定めており、公表もされていません。

客観的な正当性もありません。

 では、自主規制されているのはどのような言葉でしょうか?

インターネット上に数多く掲載(けいさい)されています。

一部を抜粋(ばっすい)します。

 

差別用語・放送禁止用語の例

 

あいのこ

 言い換え語として、近年まで「混血」が用いられていましたが、この言葉も差別用語として扱われるようになったそうです。

現在では「ハーフ」「ダブル(まるでウィスキーのようです)、「ミックス」(サンドイッチ?それともジュース?)「ハイブリッド」(自動車?)などの言葉に置き換えられる事が多いそうです。

知りませんでした。

 

 

                                                     次号に続く

2019年

3月

30日

「徘徊(はいかい)」と呼んではいけないのか? 偽善の言葉狩り 第3回

平成31年4月1日

 

  前号で、日本中に「徘徊」外しが蔓延している事を紹介しました。

 

 一方、「徘徊」という言葉を残す動きも見られます。

群馬県沼田市は「命のたからさがし訓練」との副題を付けたものの、「徘徊」という言葉を残しました。

市担当者は、「『徘徊』は理解し易いとの声が多いから」と理由を述べました。

 埼玉県ふじみ野市も、平成15年から、認知症高齢者を対象にした身元確認用のシールを「ひとり歩き(徘徊)高齢者早期発見ステッカー」と名付けて配布し始めました。

「ひとり歩き」だけでは意味が通じない恐れがあるため、「徘徊」も残したのだそうです。

 

 私は、前号で紹介した認知症介護研究研修東京センター永田久美子氏の「『徘徊』という言葉が認知症者への偏見を助長している」という意見は、全く的(まと)が外れていると思います。

認知症者が夜間、家人の就寝中に屋外に裸足で出かけても、これを「徘徊」と呼べば「偏見を助長する」のでしょうか?

あるいは、前号で紹介した名古屋や神戸の事業所のように、「この人は理由があって、『一人歩き』をしに『お散歩』に『お出かけ』しただけだ。問題行動ではない」と「寄り添う」のが正しい対応なのでしょうか?

「徘徊」を「一人歩き」に言い換え、悠長(ゆうちょう)に構えていては、認知症老人の交通事故や踏切事故はなくなりません。

 前号で紹介したニッセイ基礎研究所山梨惠子氏は、200712月に愛知県大府(おおぶ)市で91才の認知症男性が電車にはねられ死亡した事故をどのように論評するのでしょうか?

この老人は「徘徊」していたのではなく、理由があって踏切の遮断機をくぐったのだ、とでも言うのでしょうか?

JR東海から700万円の損害賠償を請求された遺族に「おじいちゃんが『お出かけ』したのには理由があるのだからね」と慰めたところで、何の足しにもなりません。

 認知症者に対する誤解や偏見を避けるためという理由で、「徘徊」や「呆け(ボケ)」「痴呆」という言葉で呼ぶのは止めよう、という「言葉狩り」が横行しています。

認知症者の人権に配慮し、尊厳を守るためだそうです。

 しかし、たとえ本人には出かける理由があるにせよ、赤信号でも道路を渡ったり、遮断機をくぐって踏切内に入る危険があるのなら、それを「お散歩」に「お出かけ」するなどと言ってごまかしてはいけません。

「徘徊」は事故に遭う危険を伴うと、警戒するべきです。

高齢者の尊厳を守るのと、事故を未然に防ぐのとは、別の問題です。

危険を回避しても、高齢者の尊厳は傷つきません。

 前号で紹介した群馬県沼田市や埼玉県ふじみ野市が「徘徊」を外さないで残したのは賢明です。

「『徘徊』と呼ぶ事が認知症への理解を妨げる」というのも間違った考えです。

むしろ、はっきり「徘徊」と認識して警戒してこそ、事故を未然に防げるのです。

 

                           次号に続く

2019年

2月

28日

「徘徊(はいかい)」と呼んではいけないのか? 偽善の言葉狩り 第2回

平成31年3月1日

 

 

 前号では、歌詞の中の「キチガイ」という言葉について、言い換えや音消しが行われた例を紹介しました。

 

 介護の世界でも、言葉狩り(言葉外(はず)し)が蔓延(まんえん)しています。

もはや旧聞(きゅうぶん)に属しますが、平成1511月、福岡県太宰府(だざいふ)市で、外出したままの認知症患者への対処法を体験する「声かけ・見守り模擬(もぎ)訓練」が行われました。

前年まで「徘徊(はいかい)模擬訓練」という名称だったのですが、その年から「徘徊」という言葉を外したのです。

 企画・運営担当者は、

「『徘徊』は目的もなく彷徨(さまよ)い歩くという意味だが、外を歩き回る認知症高齢者は意味なく歩いているのではない。

『子供を迎えに行く』、『晩ご飯の準備をするために自宅に帰る』などの理由があるのだ。

『徘徊』という言葉を使う事が、認知症への理解の妨(さまた)げにもなり得る。

当事者の尊厳に配慮して、『徘徊』を使わない事にした」

と述べました。

 市民からは、

「『徘徊』という言葉を使ってこそ緊急性が伝わる」

「これまでも『徘徊』を肯定的に使ってきた(認知症患者の尊厳を傷つける意図はない)」といった意見が多く出されたのですが、市側が「徘徊」外しを押し通しました。

 太宰府市以外でも、福岡県大牟田(おおむた)市や熊本県山鹿(やまが)市が「徘徊」を訓練の名称から外しました。

佐賀県三養基(みやき)基山(きやま)町も「『徘徊』は適切な言葉とは言えない」として、最初から訓練の名称には用いない事にしました。

 認知症介護研究研修東京センターの永田久美子研究部長は、

「『徘徊』という言葉が偏見を助長している。

徘徊』という言葉が、家族が眠らないで患者の行動を見守り続けるか、施設に入れてしまうかの、どちらかを選ばなければならない事態を招いてしまった」と「徘徊」外しに賛同しています。

  また、ニッセイ基礎研究所の研究員、山梨惠子氏も「『徘徊』という言葉は、本人の目的の有無にかかわらず、『認知症の人の行動には意味がない』というレッテルを貼る事に繋(つな)がる」と述べて、「徘徊」外しに同調しています。

 「徘徊」という言葉を外す言葉狩りは、残念ながら、日本全国に広がっています。 

名古屋市のある認知症対応型デイサービスの所長は、「認知症の人は『徘徊』ではなく『一人歩き』をしている。問題行動ではない」などと述べています。

  また、神戸市のある社会福祉法人では、何と30年前から、「徘徊」という言葉を「お出かけ」「お散歩」と言い換えているのだそうです。

 

                                                次号に続く

2019年

2月

02日

「徘徊(はいかい)」と呼んではいけないのか? 偽善の言葉狩り 第1回

平成31年2月1日

  

  今月から、差別用語の言い換えに潜(ひそ)む偽善について、私の考えを述べます。

 

 河島英五という音楽家をご存じでしょうか?

私の大好きなフォークシンガーで、代表曲は「酒と泪(なみだ)と男と女」(1975(昭和50年)発表)です。

私と同世代か、それ以上の団塊の世代には、今でもカラオケで歌う方も多いと思います。私もその一人です。

 私は大学生の時、河島英五のコンサートに2度行きました。

ギターをかき鳴らしながら、大声で11曲、魂(たましい)を込めて歌う姿は感動的でした。

レコード(CD)を聴けば分かりますが、歌は決して上手(じょうず)とは言えません。

ダミ声です。けれども、一生懸命歌うので、心に響きます。

思い切りギターを弾くため、歌っている最中にギターの弦が次々に切れていきます。

1曲終わると、6本の弦のうち1本しか残っていない事もありました。

 その河島英五の曲の中で私が「酒と泪と男と女」以上に好きなのが、「てんびんばかり」という曲です(「酒と泪と男と女」と同じ1975(昭和50年)発表)。

その歌詞に、次のような一節があります。

 

母親が赤ん坊を殺しても仕方のなかった時代なんて悲しいね。

母親が赤ん坊を殺したらキチガイと言われる今は平和な時。

 

 河島英五は2001(平成13年)に、まだ48才という若さで、肝硬変にて亡くなりました。彼の情熱的な歌を聴けなくなったのは大変残念です。

しかし、私には、彼の死以上に、悲しい事があります。

彼は、自ら作詞・作曲した「てんびんばかり」を、最後まで自分の歌詞通りに歌う事ができなかったのです。

 

 1993(平成5)発表のアルバム「河島英五 自選集」の中の「てんびんばかり」では、上記歌詞の「キチガイ」の部分を「オカシイ」という言葉に言い換えています。

2000年(平成12年)発表のアルバム「河島英五 ベスト撰集」の中の 「てんびんばかり」では、「キチガイ」が「ピー」という機械音にかき消されています。

私はこれを聞いた時、大変ショックを受けたものです。

そして、2001年(平成13年、死の直前)発表のアルバム「河島英五 LAST LIVE〜今日は本当にありがとう」の中の「てんびんばかり」では、「キチガイ」の部分を歌わずに、沈黙して空白を入れているのです。

 恐らく、これらの言い換え・音消し・沈黙は、「キチガイは差別用語だから、使うな」とのクレームを受けて、やむを得ず執(と)った措置なのでしょう。

 自分が作詞した通りに歌えなかった彼の心情は、察するに余りあります。

                                                                                          次号に続く

 

2018年

12月

29日

個人情報への過剰反応はやめましょう 第4回

平成31年1月1日

 

   明けましておめでとうございます。

 今年も本音の意見を述べます。

  

 既に述べたように、個人情報保護法は、高度情報通信(ITInformation Technology)の進展に伴って登場した法律です。

ITはコンピューターによる個人情報の流通を可能にしました。

すなわち、大量の個人情報を蓄積・管理・移動する事が可能になったのです。

ITによって個人情報が無制限に流通すれば、個人の権利・利益が著しく損なわれます。

そのような事態を防ぐために、事業者の個人情報取り扱い方法を定めたのが本法です。

 ところが、本法を本来の趣旨とは異なり、隠(かく)れ蓑(みの)として悪用している例が多発しています。

犯罪を犯して懲戒(ちょうかい)免職(めんしょく)処分を受けた国家公務員の氏名が、個人情報保護を理由に伏せられているのです。

また、各自治体でも、処分した地方公務員の氏名を公表しない例が増えています。

民間人が犯罪を起こせば、当然、氏名が公表されるにも拘(かか)わらず、犯罪を犯した公務員は、個人情報保護法を隠れ蓑に、氏名を秘匿(ひとく)しているのです。

これでは、個人情報保護法ではなく「公務員身内(みうち)保護法」です。

 具体例は枚挙(まいきょ)暇(いとま)がありませんが、ほんの一例をご紹介します。

平成258月、愛知県警第2交通機動隊の男性巡査長が計4回も下着泥棒を行い、懲戒処分を受けました。しかし、彼の氏名は公表されなかったのです。

 また、地方自治体の多くが、幹部(地方公務員)の天下り先を、個人情報だからという理由で、非公表にしています。

 さらに、政治家や官僚も、個人情報保護法を隠れ蓑に、情報公開法を骨抜きにしています。

情報公開法とは「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」の略称です。

これは、政府は保有する情報を国民に説明・公表する責務を負い、国民の的確な理解と批判のもとに、公正で民主的な行政を推進しなければならない、と定めた法律です。

  ところが、大臣や官僚の不祥事や不正経理問題が生じても、個人情報保護法を盾(たて)に公表されなくなったのです。

事実、政府に情報公開請求しても、個人情報保護を理由に、政府にとって不都合な箇所(かしょ)は黒く塗りつぶされているのです。

「個人情報保護法は情報公開法に基づく開示を妨げるものとはならない」と定められているにも拘わらずです。

 個人情報保護法施行前に斡旋(あっせん)受託(じゅたく)収賄(しゅうわい)罪(ざい)逮捕(たいほ)された国会議員が、後に次のように述べています。

「当時、個人情報保護法があれば、私の情報があれほどマスコミに流出する事はなかったでしょう。

この法律を悪用すれば日本の社会は権力者の思うがままで、不正があっても隠蔽(いんぺい)されてしまう危険があります。

権力者、政治家、高級官僚はこの法律を隠れ蓑に使いますよ」

 

 政治家も我々国民も、個人情報保護法の本来の趣旨を理解し、悪用したり過剰に反応したりしないよう努めるべきです。

個人情報保護法は、人々が互いに良い人間関係を築き、社会連帯を確保するための法律なのです。 

 

 今回で、個人情報保護法についての考察を終わります。

2018年

11月

30日

個人情報への過剰反応はやめましょう 第3回

平成30年12月1日

 

 

 個人情報への過剰反応が社会問題化したきっかけは、本法が全面施行した直後(平成174月)に発生したJR福知山線脱線事故でした。

 この時、JR西日本や病院などが、死傷者情報を、個人情報である事を盾(たて)にメディアに提供せず、大きな議論を呼んだのです。

 身近(みじか)にも過剰反応は蔓延(まんえん)しています。

私が学校へ通っていた頃は、クラス全員の名簿が配布され、枝分かれの連絡網もありました。

ところが、昨今(さっこん)は連絡網が配布されないため、緊急時の連絡に支障を来しているそうです。

 自治会名簿や、災害に備えての要援護者リストを作れないという混乱も生じています。

県や市の福祉・防災の担当部署間で要援護者情報の共有が進まない、民生委員が活動を円滑に行えない、という問題も発生しています。

 

 ある病院の待合室で、自分の名前を呼ばれた人が「なぜ人前で名前を呼ぶのだ。

名前は個人情報じゃないのか!」とクレームをつけました。

以後、この病院では患者を番号で呼ぶ事にしたそうです。

 当院では耳の遠いお年寄りが多いため、受付で患者さんをお呼びする際は、大きな声で名前を呼ぶようにしています。

個人情報保護法が施行された際に、従業員から「名前ではなく番号で呼ぶ事にしたらどうか?」との提案がありました。

 しかし、過剰な個人情報保護意識は暖かみのある人間関係を阻害する、と私は思います。個人情報への過剰反応により、がんじがらめになっては本末転倒です。

個人情報保護法は個人と個人を分断するための制度ではないのです。

当院では、これからも大きな声で名前を呼びます。

どうしても名前で呼ばれては困る方は、あらかじめ受付におっしゃって下さい。

 

 独立行政法人国民生活センターが、個人情報保護への過剰反応について報告しています(平成1711月)。

抜粋します。

 

 「これまで社会に定着してきた名簿や連絡網、あるいは緊急医療における個人情報の提供が、形式的な法律解釈や運用のもとで存在できなくなったり、不可能になる事は、個人情報保護法の本来の趣旨(しゅし)に反する。

  法律違反となる危険を恐れるあまり、個人情報の提供を一切行わないという対応が増えている。

また、十分な検討・工夫を講じないまま、個人情報保護法を理由に従来の活動を止(や)めてしまう、という事例が一般化している。

 法解釈が確立しておらず、手探りの状況であるが、解釈基準の明確化を通して社会の同意を得る努力が不可欠だ」

 

  私もその通りだと思います。

 

                                                      次号へ続く

2018年

10月

31日

個人情報への過剰反応はやめましょう 第2回

平成30年11月1日

 

  そもそも、個人情報保護法(以下、本法と約す)とはどのような法律なのでしょうか?

本法第1条に制定の目的が述べられていますので、要約します。

 

 高度情報通信(ITInformation Technology)の進展に伴って、個人情報の利用が著しく拡大しています。

個人情報をコンピューターで一括管理して利用する事は、何冊もの紙の台帳に書いて管理するよりも遥(はる)かに便利です。

しかし、コンピューター内の個人データを悪用すると、個人に回復不可能な損害を及ぼす恐れがあります。

 そこで、個人情報の取り扱いを適正に行うための指針を国が示す必要が生じました。

個人情報を取り扱う事業者が遵守(じゅんしゅ)すべき義務を定める事によって、個人の権利・利益を保護する。

これが、本法の目的です。

 

 本法第23条に、「個人情報取り扱い事業者は、原則として、あらかじめ本人の同意を得ずに、個人データを第三者に提供してはならない」と書かれています。

ただし、あくまで原則です。

同時に、例外規定が多く設けられているのです。

 例外の一つとして挙(あ)げられているのが、「人の生命、身体または財産の保護のために必要があり、本人の同意を得るのが困難な場合」です。

 前号で述べた、当院の患者さんの例は、この「人の生命、身体の保護のために必要」な連絡でした。

しかも、急いで本人に伝えなければならない用事で電話しているのですから、「本人の同意を得てから」などと悠長(ゆうちょう)な事を言っている場合ではありません。

当院からの電話に出た大学職員の言動は、まさしく過剰反応です。

おそらく、例外規定をご存じなかったのでしょう。

 

 このように、個人情報保護法に抵触(ていしょく)する事を恐れるあまり、過度に萎縮した対応をする「過剰反応」が日本中に蔓延(まんえん)しています。

 本法施行後、私が所属するテニスクラブは会員名簿を廃止しました。

私の母校である東京医科歯科大学医学部の同窓会名簿も虫食い状態です。

特に、若い卒業生の頁は空白だらけです。

私の家内が卒業した看護学校には同窓会名簿そのものが存在しません。

 

 本法は、個人の権利・利益を保護しつつ、個人情報を有効に活用する事を目的にしているのであって、過剰な保護を要求しているのではありません。

しかし、残念ながら、個人情報に対する過保護が拡散・定着し続けており、今や匿名(とくめい)社会・覆面(ふくめん)社会の様相を呈しています。

過剰反応によって、地域交流や事業活動も萎縮・不活発となり、社会問題になっています。                             

                               

                             次号に続く

お知らせ

今年の10月22日(火)は祝日のため休診します。

8月11日(日)から15日(木)まで夏期休診とさせて頂きます。

ゴールデンウィーク期間中、4/30(火)と5/2(木)は午前のみ通常の診療を行います。

本日、インフルエンザワクチン320人分入荷しました(平成30年12月21日)。

本日、インフルエンザワクチン360人分入荷しました(平成30年12月17日)。

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。また、入荷次第、お知らせします(平成30年12月15日)。

本日、インフルエンザワクチン200人分入荷しました(平成30年12月13日)。

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。また、入荷次第、お知らせします(平成30年12月11日)。

本日、インフルエンザワクチン100人分入荷しました(平成30年12月10日)。

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。また、入荷次第、お知らせします(平成30年12月7日)。

本日、インフルエンザワクチン100人分入荷しました(平成30年12月7日)。

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。また、入荷次第、お知らせします(平成30年12月5日)。

本日、インフルエンザワクチン50人分入荷しました(平成30年12月5日)。

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。また、入荷次第、お知らせします(平成30年12月4日)。

本日、インフルエンザワクチン200人分入荷しました(平成30年12月3日)。

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。また、入荷次第、お知らせします(平成30年11月28日)。

本日、インフルエンザワクチン120人分入荷しました(平成30年11月28日)。

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。また、入荷次第、お知らせします(平成30年11月26日)。

本日、インフルエンザワクチン200人分入荷しました(平成30年11月26日)。

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。また、入荷次第、お知らせします(平成30年11月21日)。

本日、インフルエンザワクチン100人分入荷しました(平成30年11月21日)。

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。また、入荷次第、お知らせします(平成30年11月19日)。

本日、インフルエンザワクチン80人分入荷しました(平成30年11月19日)。

本日、インフルエンザワクチン120人分入荷しました(平成30年11月16日)。

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。また、入荷次第、お知らせします(平成30年11月17日)。

本日、インフルエンザワクチン70人分入荷しました(平成30年11月15日)。

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。また、入荷次第、お知らせします(平成30年11月14日)。

本日、インフルエンザワクチン80人分入荷しました(平成30年11月14日)。

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。また、入荷次第、お知らせします(平成30年11月9日)。

本日、インフルエンザワクチン80人分入荷しました(平成30年11月9日)。

本日、インフルエンザワクチン40人分入荷しました(平成30年11月8日)。

只今、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。また、入荷次第、お知らせします(平成30年11月7日)。

本日、インフルエンザワクチン120人分入荷しました(平成30年11月7日)。

本日、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。また入荷次第、お知らせします(平成30年11月5日)。

本日、インフルエンザワクチン120人分入荷しました(平成30年11月2日)。

本日、インフルエンザワクチンの在庫がなくなりました。また入荷次第、お知らせします(平成30年10月30日)。

平成30年8月13日(月)から16日(木)まで休診致します。