院長から一言を、掲載順に(現在から過去に、1年分)並べてあります。
2020年
12月
31日
木
令和3年1月1日
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
ロトンダ・デッラ・ベザーナ
円形の墓地です。
前号で紹介したマッジョーレ病院で亡くなった人々を埋葬するため、18世紀前半に造られました。
レンガ造りの建物が、中央にあるサン・ミケーレ教会をぐるりと円形に取り囲んでいます。
「ロトンダ」というのは「円形の建造物」という意味です。
円形の建物の地下が納骨堂です。
建造後、約半世紀で、15万人もの人がここに埋葬されたそうです。
その後、一時、軍隊の手に渡りましたが、19世紀後半から再び病院の所有地となり、感染症患者の隔離棟や洗濯場として使われました。
1940年にはミラノ市のものとなり、修復されました。
今では、緑や花々が美しい、憩いの場となっています。
アメリカ赤十字病院
大聖堂から徒歩10分にあり、現在は銀行です。
文豪アーネスト・ヘミングウェイは、第一次世界大戦下、18才でイタリア軍傷病兵輸送部隊に志願しました。
そして、砲撃で重症を負い、この病院に収容されました。
ここで知り合った7才年上の看護婦と恋に落ちましたが、振られてしまいました。
この経験を元に彼が書いた小説が「武器よさらば」です。
建物の右端にERNEST HEMINGWAYの名前が刻まれたプレートが打ち付けられています。
ところで、病院の近くに、「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガレリア」という巨大なアーケード街があります。
プラダなどのブランド店が並ぶ、ファッションの中心街です。
このアーケード街に「カフェ・ビッフィ」という店があります。
ここで、ヘミングウェイは看護婦と楽しい食事をしたそうです。
2020年
11月
29日
日
令和2年12月1日
旧マッジョーレ病院
昔から人口密度が高かったミラノには、疫病(えきびょう)が頻繁に蔓延しました。
ミラノの要塞(ようさい)内部には、多数の小病院や、聖職者達が開いた介護所が点在していました。
15世紀半ば、フランチェスコ・スフォルツァ公爵(こうしゃく)夫妻はこれらの医療施設を一つの大施設にまとめるために、マッジョーレ病院建設に取り掛かりました。
フランチェスコ・スフォルツァは15世紀前半、子孫が絶えたヴィスコンティ家に替わって公爵位を継承した人物です。
すなわち、スフォルツァ家最初のミラノ公です。
スフォルツァ城を設計した建築家アントニオ・アヴェルリーノがこのマッジョーレ病院も設計しました。
200年間という長期間に亘(わた)り建設が続けられ、ひとまず完成したのが17世紀です。
建設が長期に亘ったため、建築様式もゴシックからルネッサンスへ移行しました。
病院設立の目的は、貧困と病に苦しむ人々の救済でした。
ベッドサイドには折りたたみ式のテーブルをしつらえた作りつけの戸棚が設置されました。トイレ、浴室などの設備も、当時の病院のモデルとなるほど近代的でした。
その後、19世紀にかけて、ミラノ市民の寄付によって施設の拡張が行われましたが、いずれも一流の建築デザイナーにより設計されました。
その荘厳(そうごん)さから、「カ・グランダ」(偉大なる館(やかた))と呼ばれています。
まず、ゴシック・ルネサンス風テラコッタで飾られた長い外壁が見ものです。
そして、美しい柱廊(ちゅうろう)(赤煉瓦(れんが)がアーチを描く回廊(かいろう))に囲まれて、17世紀に造られた素晴らしい庭園があり、「樹木(じゅもく)中庭(なかにわ)」と称されています。
時代の最先端を映していた病院建物が、第二次世界大戦中(1943年)に空爆により大破したため、戦争終結時にミラノ大学に譲られました。
大戦終了後、見事に修復された建物は1958年からミラノ大学の校舎となりました。
マッジョーレ病院はミラノ市内2カ所で新たに病院施設を作り、現在に至っています。
病院設立時のキリスト教の理念は、現在でも伝統として受け継がれています。
医学生、研修医、臨床医の教育機関としても位置付けられており、イタリアの医師の多くは、マッジョーレ病院でトレーニングを受けた経歴を持つそうです。
2020年
10月
31日
土
令和2年11月1日
私達が日頃お世話になっている西洋医学は、古代ギリシアに生まれ、イタリアへと伝わり、中世以降、ヨーロッパ中に広まった知識と技術の体系です。
イタリアは、古代から中世にかけて、世界の医学の中心地であり続けた地域です。
古代ギリシア時代からの医学を受け継ぎ、近代への橋渡しをしたのがイタリア医学です。
医学も社会における一つの文化現象です。
決して医学という世界の中だけで発展してきたものではありません。
他の社会事象、例えば文化や宗教に影響を与え、逆に、それらから大きな影響を受けつつ、変化し発展してきたのです。
具体的に言うと、ギリシア神話・ローマ神話、キリスト教、医学は深く絡(から)み合って変遷(へんせん)、進化し、世界史を形成してきました。
私の医師としての後半生(こうはんせい)の目標は、ギリシア神話・ローマ神話、キリスト教と関連し合った医学の歴史を学ぶ事です。
大学受験のために高校時代に暗記した世界史は、ごく表面的な物に過ぎませんでした。
還暦をとうに過ぎ、これからは、40年もの間生業(なりわい)にしてきた医学を通して、2,000年に亘(わた)る人間の営みを辿(たど)ってみたいと思います。
その取っかかりとして、イタリアを訪ねました。
ラザレット(隔離病舎)
中世、ミラノでも大勢(おおぜい)がペストで死にました。
そこで、ラザッロ・パラッツィの指揮のもと、60年以上かけて、ペスト患者を収容・隔離する施設が造られました。
完成は16世紀始めです。
21世紀の現代に生きる我々は、新型コロナウィルスに翻弄(ほんろう)され、過剰反応が経済を萎縮させています。
その100年以上前の19世紀末に、フランスのイェルサンと日本の北里柴三郎がペスト菌を発見しました。
さらに、その400年も前、まだウィルスはおろか、細菌感染症の概念もなかった時代の人が「隔離病棟が必要だ」と考えたとは驚きです。
場所は大聖堂とミラノ中央駅の中間辺(あた)り、350m四方の一画です。
中庭を囲む3辺に病舎が建てられ、合計288室の病室がありました。
19世紀に解体されましたが、現在も病舎が残っています。
中央には、重症患者がベッドに寝たままでも拝(おが)めるように、教会まで建てられました。
ラザレットという呼び名は新約聖書に登場するラザロという人物の名に由来します。
実は、新約聖書に登場するラザロは2人います。
一人目は重症の皮膚病に冒(おか)され、イエスによって奇跡的に清められた男です。
二人目は、死んで墓に埋葬された後、イエスによって蘇(よみが)えった男で、「ラザロ徴候(ちょうこう)」(脳死者が自発的に手や足を動かす動作)の語源ともなっています。
ラザレットという呼び名の由来がどちらのラザロかは諸説ありますが、どちらにせよ、聖書のラザロに基づくのは間違いないようです。
今日でも、ラザロは聖ラザロと呼ばれ、ハンセン病患者や葬儀会社などの守護聖人として崇(あが)められています。
ラザロという名はヘブライ語の「エルアザルelazar」(「主は助ける」の意)という言葉の短縮形だと考えられています。
2020年
9月
30日
水
令和2年10月1日
地域連携型医療法人に営利法人の参加は認められていませんが、関連事業を行う株式会社への出資は認められています。
この出資は「地域包括ケアシステムを推進する」事を前提としてのみ認めるとされています。
結局、「地域包括ケアシステム」を隠れ蓑(みの)にした営利化への手段に過ぎません。
金儲けにならなければ、参入する企業などあろう筈(はず)もないのです。
経済産業省の「次世代ヘルスケア産業協議会」が2014年6月に発表した中間とりまとめでは、地域におけるヘルスケア産業を創出し、「地域包括ケアシステムと連携したビジネス」の展開が打ち出され、そのための地域の医療・介護関係者を統合した「地域版次世代ヘルスケア産業協議会」の創設が提起されています。
「地域連携型医療法人(非営利ホールディングカンパニー型法人)」とは名称こそ違うものの、結局目指す所は、医療・介護・福祉を金儲(もう)けの対象とした「巨大な医療事業体」の立ち上げです。
その結果、住民を囲い込み、グループ以外の医療機関を排除するなどの暴挙が予想されます。
アメリカ型の巨大病院チェーンが算入する、という地獄のシナリオを心配する医療関係者もいます。
色々と呼び方を変えてはいますが、政府が「地域包括ケアシステム」の名のもとに、地域を医療・介護・福祉・生活支援の一大市場として拡大する事を目論(もくろ)んでいる事は間違いありません。
政府が地域における「自助、互助」を強調している事から、高齢者への生活支援を住民活動やボランティア団体に期待していると見る事もできますが、それだけでは生活支援サービスを安定的・継続的に供給する事はできません。
従って、政府は「地域連携型医療法人(非営利ホールディングカンパニー型法人)」に医療だけではなく、介護(介護保険制度外のサービス提供も含む)、生活支援、居住(サービス付き高齢者住宅など)をすべて提供できる法人・事業体の役割を負わせ、従えようとしているのです。
そして、公的医療・医療保険以外の健康サービス、介護保険制度のサービス、制度外サービス、居住サービスを金儲けの手段として行わせようとしているのです。
政府の医療市場参入の呼びかけに応じて、すでに、国の「公助」に替わる手段としての「商助」を売り物にする民間企業も現れています。
国家戦略特区(首都圏と関西圏)が動き出す中、外資系を含む金融会社や保険会社などの営利法人がハゲタカのように医療・介護・福祉分野に参入し始めています。
国の公的医療費抑制政策、医療市場拡大政策をこのまま許していると、金持ちしか良い医療を受けられなくなり、医療格差が拡大するのは確実です。
「地域包括ケアシステム」などという「ごまかし」の謳(うた)い文句に惑わされる事なく、いつでも、どこでも、誰でも、費用の心配なく安心して医療・介護が受けられる日本を目指さなければなりません。
以上で、9ヶ月間に及んだ欺瞞(ぎまん)に満ちた「地域包括ケアシステム」を終わります。
2020年
8月
31日
月
令和2年9月1日
安倍首相はこの度(たび)退陣を表明しましたが、本稿では引き続き安倍政治に対する論評を続けます。
国は、「受け皿作り」と言いながら、診療報酬では在宅医療の評価を引き下げ、さらに介護給付範囲を縮小し、介護報酬も引き下げるなど、必要なサービスを切り捨てる「改悪」ばかり行っています。
切り捨てられた需要の受け皿は、「市場での購入」も含めた「自助」で何とかせよ、と突き放しているのです。
また、自治体が音頭(おんど)をとって、住民同士の互助機能の強化あるいは民間サービス(国は「インフォーマルサービス」と呼んでいます)の開発により対応せよ、とも要求しています。
では、「市場での購入」「インフォーマルサービス」とは一体何のことでしょうか?
2015年4月国会に提出された医療法改正案の柱の一つが、複数の医療法人や社会福祉法人などを統合させた「地域連携型医療法人制度(非営利ホールディングカンパニー型法人制度)」の創設です。
安倍政権は、医療の成長産業化というお題目を唱え続けています。
医療への営利主義・市場原理主義の本格導入を狙っているのです。
分かり易く言えば、医療をビジネスチャンス拡大の場にしようという訳です。
具体的には、混合診療の推進や、地域連携型医療法人(非営利ホールディングカンパニー型法人)導入による医療機関経営の再編、医療・介護・生活支援にわたる地域産業を寡占(かせん)的に行う企業の創出などにより、医療・介護・福祉を金(かね)儲(もう)けの場として宣伝し、広く門戸を開放しようとしているのです。
安倍政権が「地域連携型医療法人(非営利ホールディングカンパニー型法人)」などという聞き慣れない言葉をひねり出してきた理由を説明します。
今後、政府が発した「地域医療構想」の号令のもと、都道府県が病院の機能別に必要なベッド数を制限した場合、多くの病院が希望する急性期病床(診療報酬が高い)から、担(にな)い手が不足すると予想される回復期・慢性期病床(診療報酬が低い)への転換を、どの病院にさせるのかが問題になるからです。
無理やり診療報酬が低い病床に転換しろと言われても、経営側としては死活問題です。
利害対立が起こり、構想通りの提供体制が構築できない可能性があります。
ここで、仮に、構想区域内の医療機関の多数を傘下(さんか)に治める巨大法人が設立されれば、連携推進という統一的な方針のもと、機能分化・統廃合し、「地域医療構想」の実現に役立つと考えた訳です。
さらに、傘下に入る法人として、医療法人のみならず、介護事業を展開する法人も想定しており、「川上」から「川下」までを一体的に担うことを企図しています。
次号に続く
2020年
7月
30日
木
令和2年8月1日
前号で、2015年4月に介護保険制度の「4大改悪」が強行されたと述べました。
しかし、これは第1段階に過ぎません。
10年後の2025年に向けて、介護保険の改悪はどんどんエスカレートしていくのです。
2015年6月閣議決定された「経済財政運営の基本方針(骨太の方針2015)」では、社会保障費の自然増を3年間で9,000億~1兆5,000億円も削減する事を目安にしています。
さらに、2025年までに医療・介護費を計5兆円も抑制する方針まで掲(かか)げています。
まだ、他にもあります。
「骨太の方針2015」は、要介護1・2(要支援1・2ではありません)の利用者に対するサービスを「見直し」、市町村事業への移行を検討する事を明記しているのです。
2015年4月の介護保険制度「4大改悪」で、要支援1・2の人に対するサービスを切り捨て、市町村に丸投げしたばかりなのにです。
「要支援1・2の人に対するサービス費は介護給付費の6%に過ぎず、これを切り捨てても支出抑制効果は知れている。それに比べ、要介護1・2の人達へのサービスを打ち切れば給付費を30%もカットできる。次のターゲットは要介護1・2だ」という訳です。
2015年12月に、政府の経済財政諮問会議が決定した「経済・財政再生計画 工程表」には、今後の改悪案の内容が全て盛り込まれました。
2017年の通常国会で「法改正」し、2020年に完成という工程です。
このまま安倍政権の経済財政改革という名の暴走が続けば、2020年の今年には、介護保険制度が次のような姿になってしまいます。
幸い、新型コロナウィルス騒動のお蔭で、まだ実現には至っていませんが・・・。
①介護保険サービスの大部分は要介護3・4・5の人しか受けられない。
要支援1・2、要介護1・2の人への介護は市町村に丸投げする。
②生活援助・福祉用具・住宅改修は、介護保険で給付せず、全額自己負担させ る。
③全ての年齢において、自己負担を2割にする。
④マイナンバー制度により国民の預貯金を把握し、一定額以上の人には3割負担を 課す。
まさに「新4大改悪」というべきものです。
医療保険制度においても、国は自己負担増、診療報酬削減の政策を執(と)り続けています。
在宅医療の分野でも診療報酬削減の嵐が吹きまくっています。
政府は今後、医師の役割を看護職員に、看護職員の役割を介護職員に、介護職員の役割を家族・住民同士の助け合いやボランティアに、シフトさせることを目論(もくろ)んでいます。
国は退院患者の受け入れ体制を脆弱(ぜいじゃく)にしておいて、「川上」でのベッド数削減と入院日数の短縮を強引に進めています。
「川下」に流される患者は医療も介護も受けられません。
「受け皿」であれば、必要な医療・介護を公的に保障する手立てを講じなければならないのに、国はそのようなことを一切考えてはいません。
国が考える「地域包括ケアシステム」は、公的な医療・介護保障システムではなく、あくまで「自助・互助」を中心とした受け皿作りなのです。
しかも、そのネットワーク作りは自分たちで勝手にやりなさい、と突き放しているのです。
2013年12月に成立した「社会保障改革プログラム法」には「公助」の文言はなく、「自助・自立のための環境整備(第2条)、個人の健康管理・疾病(しっぺい)予防の自助努力(第4条)、介護予防の自助努力(第5条)等々、「自助」ばかりを強調しています。
また、「多様な主体」による保険事業推進、「多様な主体」による高齢者の自立支援など、「多様な主体」ばかりを主張しています。
つまり、国の責任を放棄し、患者・利用者に自己責任を押し付け、自治体の自己努力に委(ゆだ)ねているのです。
「川上」でも「川下」でも、目指しているのは医療・介護の給付抑制だけです。
次号に続く
2020年
6月
30日
火
令和2年7月1日
本稿第3回で述べたように、政府肝(きも)入りの「社会保障制度改革国民会議」が2013年8月に「報告書」を発表しました。
この中で構想された「川上」の改革が、入院医療費を抑制するための「入院患者追い出し」政策です。
そのために、「地域医療構想」という曖昧(あいまい)な名称の政策により、病院のベッド数削減と在院日数短縮が都道府県に義務付けられました。
早期退院を促された患者は、医療・介護などの療養の必要性を負ったまま在宅に戻されてしまいます。
その受け皿作りが「川下」の改革であり、各自治体に「地域包括ケアシステム」を構築せよという訳です。
しかしながら、地域における医療・介護体制は充実するどころか、保険料や窓口負担の引き上げにより荒廃する一方です。
その結果、孤独死、老老介護、認認介護による生活困難が増大し、医療・介護難民が増加しています。
家族介護は減るどころか増えており、介護は家族が支えている、というのが日本の実態です。
これは、介護保険制度が家族介護を前提としているためです。
今後も増え続ける独居や老老介護に対応するには、介護保険制度の改善が是非とも必要なのです。
ところが、2014年6月に成立した「医療介護総合確保促進法」に基づいて、2015年4月から介護保険制度「改革」が始まりました。
具体的な中身を見てみましょう。
以前の介護保険は、
①要支援1(要支援1・2、要介護1・2・3・4・5の7段階に分類された介護認定基準の中で最も軽い)からでも在宅サービスは使える。
②要介護1以上であれば特別養護老人ホームに入所申し込みをして待つ事ができる。
③介護サービス利用料は所得に関係なく1割負担。
④低所得者は介護保険施設の部屋代・食事代を一部免除される。
という4つの特徴がありました。
けれども、2015年4月の介護保険制度「改革」では、これらを全て悪く変える「4大改悪」が強行されたのです。
それは、以下の4つです。
①要支援1・2の利用者に行う訪問介護(ホームヘルパー)と通所介護(デイサービス)は保険から外し、市町村が基準・報酬・負担割合を独自に決める「総合事業」へ移管する。つまり、国から市町村への丸投げです。
②特別養護老人ホームへの入所は要介護3・4・5の認定を受けた人だけに限定する。つまり、要介護1・2の人を特別養護老人ホームから締め出す。
③年収160万円以上の利用者は利用料2割負担に値上げする。
④低所得者でも1,000万円以上の貯金があれば、介護保険施設の部屋代・食事代の援助を打ち切る。
次号に続く
2020年
5月
31日
日
令和2年6月1日
本稿第2回で述べたように、2013年12月に成立した「社会保障改革プログラム法」で、「地域包括ケアシステム」が初めて法的に定義されました。
これに先立つこと5年前の2008年から2年間にわたり、地域包括ケアシステムの基盤を考察するため、「地域包括ケア研究会」が政府の肝(きも)入りで開催されました。
この研究会の報告書には、次のように書かれています。
地域包括ケアシステムの提供に当たっては、それぞれの地域が持つ「自助・互助・共助・公助」の役割分担を踏まえた上で、自助を基本としながら互助・共助・公助の順で取り組んでいくことが必要である。
自助:自ら働いて、または自らの年金収入などにより、自らの生活を支える事。
自分の健康は自分で維持する事。
互助:非制度的な相互扶助。例えば、近隣の助け合いやボランティアなど。
共助:社会保険のような制度化された相互扶助。
公助:自助・互助・共助では対応できない困窮などの状況に対し、所得や生
活水準・家庭状況などの受給要件を定めた上で、必要な生活保障を行う
社会福祉など。
そもそも、日本国憲法 第二十五条には
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」
と書かれています。
憲法は、社会保障に対して責任を持つことを、国に義務付けているのです。
ところが、「地域包括ケア研究会」の報告書を見てわかるように、政府は社会保障を「自助・互助・共助・公助」に無理やり分割した上で、「公助」を生活保護費支給に限るとしたのです。
そして、「自助」という名のもとに、国民に生活全般に及ぶ自己責任と経済的自己負担を押し付けたのです。
つまり、政府は社会保障の理念「普遍的な公的保障の拡大」を放棄した訳です。
「自助・互助・共助・公助」などという、摩訶(まか)不思議な言葉を持ち出してきて、社会保障理念を勝手にすり替えることは到底許されません。
社会保障は、個人の尊重を基本に、生存権と市民生活を保障する公共性を有します。
「自助・互助・共助・公助」なんぞ、社会保障理念にはなり得ません。
次号に続く
2020年
4月
29日
水
令和2年5月1日
一般論を述べれば、高齢患者が急性期の入院治療を乗り切り、自宅に帰れば、訪問診療や訪問看護などの在宅医療が必要なのは当然です。
しかし、それは「川上」での医療が十分に提供され、また、「川下」の体制が十分に整っていてこそ可能となるのです。
在宅での治療・生活が可能となるまで患者の状態が回復した上で、在宅の環境が整い、医療・介護・福祉サービスが保障されている必要があります。
残念ながら、「川上」改革の本質は、急性期病院を中心にした大幅な「ベッド数削減」と「平均在院日数の短縮」であり、要するに、患者を「病院から追い出す」ことです。
患者が自宅へ帰れるかどうかは、患者の病状だけではなく、他の様々な状況により制限されます。
すなわち、家族構成・就業状況に左右される介護力、家の間取りなどの居住構造・環境、地域の医療・介護・福祉サービスの体制、経済的負担能力などです。
しかし、これら多くの個別条件をさておき、「地域包括ケアシステム」として、患者を長期入院させない方策を各地域で講じろと命じているのです。
医療供給抑制の「川上」改革の受け皿としての「地域包括ケアシステム」には、医療・介護・福祉サービスを保障するという概念は欠落しており、国が責任を放棄し、地域に押し付けているだけの事なのです。
そもそも、高齢者の医療・介護の場として在宅が最良であるという決めつけが、私には気にいりません。
本人や家族の様々な状況により規定されるはずの療養場所が、「在宅」のみに強制されるのが許せません。
「川上」から押し出された患者の受け皿として「地域包括ケアシステム」を構築せよと、自治体や医療・介護従事者が国から命令され、アタフタしているのが現状です。
医療従事者の一人として、医療費抑制を目的とする体制作りに加担させられるのが、私にとって不快でなりません。
従来から政府・財務省は「医療・介護にはこれ以上カネは出さない。自然増しか認めない」と公言してきました。
しかも、その自然増ですら「厳しく制限する」方針を貫いています。
医療・介護の「総合確保法」、社会保障と税の「一体改革」などの言葉を聞くと、我々国民は、医療・介護がしっかり「確保」してもらえるんだ、社会保障は「改革」されて良い方に向かうんだ、と思ってしまいます。
現実は正反対です。
騙されてはいけません。
川上の水量がたっぷりで、川幅も広く、流れも緩やかであれば、川下の川幅は広がり、豊かな水が穏やかに流れ、魚もゆったりと泳ぐ事ができるでしょう。
けれども、安倍政権の医療・介護改革は、狭く急流の川上から一気に大量の水を放出しようとしています。
河川整備が整っておらず、大量の水が急激に流れてくる川下では、多くの魚が行き場を失い右往左往してしまうだけです。
次号に続く
2020年
3月
31日
火
令和2年4月1日
2012年(平成24年)8月に社会保障制度改革推進法が成立しました。
この法律の趣旨にのっとり、政府が「社会保障制度改革国民会議」を作りました。
この会議が2013年8月に「報告書」を発表しました。
この報告書の提言に基づいて、前号で述べた「社会保障改革プログラム法」が成立したのです(2013年12月)。
この「報告書」の中に「医療と介護の連携と地域包括ケアシステムというネットワークの構築」と題して、次のように書かれています。
「医療から介護へ」、「病院・施設から地域・在宅へ」という流れを本気で進めようとすれば、医療の見直しと介護の見直しは、文字どおり一体となって行わなければならない。高度急性期から在宅介護までの一連の流れにおいて、川上に位置する病床の機能分化という政策の展開は、退院患者の受入れ体制の整備という川下の政策と同時に行われるべきものであり、また、川下に位置する在宅ケアの普及という政策の展開は、急性増悪時に必須となる短期的な入院病床の確保という川上の政策と同時に行われるべきものである。
長くて、回りくどく、分かりにくい文章です。
要約すると、こういうことです。
「川上」改革として、急性期病院のベッド数を削減して患者を早く退院させろ。
そして、その受け皿として「川下」に地域包括ケアシステムを構築せよ。
患者を魚に例え、医療から介護への連携を川の流れに例えているのです。
「報告書」は「地域包括ケアシステム」を「地域ごとの医療・介護・予防・生活支援・住まいの継続的で包括的なネットワーク」だと定義し、各地域でネットワーク作りを進めろと要求しています。
そして、
「この地域包括ケアシステムは介護保険制度の枠内では完結しない。
介護ニーズと医療ニーズを併せ持つ高齢者を地域で確実に支えていくためには、訪問診療、訪問口腔ケア、訪問看護、訪問リハビリテーション、訪問薬剤指導などの在宅医療が、不可欠である」
と解説しています。
次号に続く
2020年
2月
29日
土
令和2年3月1日
地域包括ケアシステムは、今や「国策」とも言われるようになっています。
地域包括ケアシステムについての講演やシンポジウムは花盛りで、私も何回か聴講しました。
登壇する講師たちは、みんな口を揃(そろ)えて、 地域包括ケアシステムの理念を「とうとう」と語ります。
私を含め、聞いている人たちの多くは、こう思います。
「国は自治体と協力して、社会保障として、医療・介護・福祉サービスを包括的に提供してくれるのだ。
だから、私たちは、病気や障害があっても、尊厳ある人生を地域社会の中で送ることができるのだ。
そして、今住んでいる所で、自分らしい最期を迎えられるのだ」
ところが、実際はそうではありません。
政府は、「地域包括ケアシステム」の名のもとに、病気の治療や介護への対応を個人に責任転嫁しようとしています。
そうすることにより、国や企業の医療・介護への支出を削減しようとしているのです。
そして、医療・介護を営利市場(ビジネスチャンス拡大の場)にしようと狙(ねら)っているのです。
国が提唱する「地域包括ケアシステム」が、いかに欺瞞に満ちた政策であるかを分かり易く説明し、皆さんに理解して頂くことが本稿の目的です。
2013年12月に成立した「持続可能な社会保障制度の確立を図るための改革の推進に関する法律」(略して「社会保障改革プログラム法」)で、地域包括ケアシステムが初めて法的に定義されました。
「地域の実情に応じて、高齢者が、可能な限り、住み慣れた地域でその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、医療・介護・介護予防(要介護状態もしくは要支援状態となることの予防、または、要介護状態もしくは要支援状態の軽減もしくは悪化の防止)・住まい・自立した日常生活の支援が包括的に確保される体制」
何と長くて、わかりにくい定義でしょう!
私は、この長い定義の4行目まで読んでいる間に、1行目に書いてある内容を忘れてしまい、何度読んでも理解できません。
さらに、2014年6月に成立した「地域における医療および介護の総合的な確保の促進に関する法律」(略して「医療介護総合確保促進法」)は、
第一条(目的)で、「地域において効率的かつ質の高い医療提供体制を構築するとともに、地域包括ケアシステムを構築する」ことを明記しました。
また、第二条で、社会保障改革プログラム法で定めた地域包括ケアシステムの定義を再掲しました。
こうして、2013・2014年の法改正により、「地域包括ケアシステム」が安倍政権における「医療と介護の一体改革」の中心的な柱となったのです。
次号に続く
2020年
1月
31日
金
令和2年2月1日
今月から、地域包括ケアシステムについて、私の批判的な意見を述べます。
厚生労働省のホームページには「地域包括ケアシステムの実現へ向けて」という題で、次のように書かれています。
日本では、諸外国に例をみないスピードで高齢化が進行しています。
65歳以上の人口は、現在3,000万人を超えており(国民の約4人に1人)、2042年の約3,900万人でピークを迎え、その後も、75歳以上の人口割合は増加し続けることが予想されています。
このような状況の中、団塊の世代(昭和22~24年の第一次ベビーブームに生まれた世代。戦後の高度経済成長、バブル景気を経験。約800万人)が75歳以上となる2025年(令和7年)以降は、国民の医療や介護の需要がさらに増加することが見込まれています。
このため、厚生労働省においては、2025年(令和7年)をめどに、高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的のもとで、可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるよう、地域の包括的な支援・サービス提供体制(地域包括ケアシステム)の構築を推進しています。
今後、認知症高齢者の増加が見込まれることから、認知症高齢者の地域での生活を支えるためにも、地域包括ケアシステムの構築が重要です。
人口が横ばいで75歳以上人口が急増する大都市部、75歳以上人口の増加は緩やかだが人口は減少する町村部等、高齢化の進展状況には大きな地域差が生じています。
地域包括ケアシステムは、保険者である市町村や都道府県が、地域の自主性や主体性に基づき、地域の特性に応じて作り上げていくことが必要です。
また、藤沢市のホームページには、「藤沢型地域包括ケアシステムの基本的な考え方」という題で、次のように書かれています。
藤沢市は市民センター・公民館を中心とする13地区を行政区域としており、工業・商業の開発をはじめ、地区ごとに異なる発展をする中で、地域の特性を活かしながら、主体的な市民活動が行われています。
そこで、藤沢市では、地域ごとの特性を活かし、幅広く対応できるよう、「藤沢型地域包括ケアシステム」として、めざす将来像と3つの基本理念を掲げ、その実現に向けた取組を進めています。
1.めざす将来像
誰もが住み慣れた地域で、その人らしく安心して暮らし続けることができるまち。
2.3つの基本理念
(1)全世代・全対象型地域包括ケア:
子どもから高齢者、障がい者、生活困窮者等、すべての市民を対象とし、一人ひとりが地域社会の一員として包み支えあう、心豊かな暮らしを実現します。
(2)地域の特性や課題・ニーズに応じたまちづくり:
13地区ごとに、地域で培(つちか)った文化・歴史等の特性を活かしつつ、人口構造の変化や社会資源の状況に応じたまちづくりを進めます。
(3)地域を拠点とした相談支援体制:
支援を必要とする人が、身近な地域で確実に支援を受けることができる相談支援体制を確立します。
「地域包括ケアシステム」とは、どうやら、遠大(えんだい)な構想に基づく、立派なシステムのように見えます。
しかし、厚生労働省や藤沢市のホームページを何度読み返しても、私の頭には、国や藤沢市が目指す「地域包括ケアシステム」の具体的な姿が浮かびません。
次号に続く
2019年
12月
31日
火
令和2年1月1日
明けましておめでとうございます。
今年も積極的に発言しますので、お付き合い下さい。
前々号、前号に続き、精神医学の分野における疾患や症状に付す病名・呼称について、私見を述べます。
2.認知症についてのお話を続けます。
お年寄りが呆(ぼ)けたからといって慌(あわ)てる必要はないのです。
子供に戻っただけのことです。
ところが、認知症を病気として理解しよう、という風潮が広がり、種々の「抗認知症薬」が開発されています。
当院にも製薬会社の営業マンがしつこいくらいに「抗認知症薬」を売り込みに来ます。
私は彼らに尋ねます。
「この薬を飲むと認知症が治るの?」
彼らは必ずこう答えます。
「治りはしませんが、進行を食い止める事はできます」
けれども、残念ながら私の経験では、これらの薬を使って「認知症の進行を食い止めた」という実感は一度もありません。
人権や尊厳といった大義名分のために「痴呆」や「呆け」という古き良き日本語を追放してしまった結果、どうなったでしょうか?
人間らしく年相応に呆けていたお年寄りまでも、全員「認知症」という病気にされてしまったのではないでしょうか?
こんなことを言う私は医師として失格なのかも知れません。
町医者ですから「認知症」の人を大勢診ています。
薬も処方しています。
でも、「痴呆」や「呆け」という言葉を失いたくありません。
心からそう思います。
3.知的発達障害
かつては関係法令において「精神薄弱(精神遅滞)」という用語が使われていました。
私が学生時代に学んだ「最新精神医学-精神科臨床の基本-」にもこの病名が載っています。
そして、「医療の対象とはならない」と書かれているのです!
その後「薄弱」や「遅滞」は差別的な表現だと批判されるようになり、2013年以降、「知的能力障害」「知的発達障害」という用語に変更されたそうです。
2015年発刊の「標準精神医学 第6版」には驚くべき記述があります。
抜粋します。
「発達障害者と健常者との間に明確な境界を引く事ができるのかどうか議論のあるところである。健常者とされている(と本人は思っている)人の中にも、発達障害の特性が見られることは少なくない。発達障害特性を全く持たない人はいない」
どうです?皆さん。あなたも私も発達障害なんですって!
確かに、昔のことを懐かしんでばかりいる、石頭(いしあたま)の私は発達障害なのでしょう。
4.性同一性障害
性同一性障害とはLGBT(Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)、Gay(ゲイ、男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー、性別越境者、生まれ持った性別と心の性が一致しないことから反対の性で生きようとする人))の一部を指すのだそうです。
そして、LGBTを性的「少数派」(セクシュアル マイノリティー)と呼ぶそうです。
この分野に関しては、私は「多数派」に属します。
平成27年(2015年)、東京都渋谷区で、女性同士のカップルが「結婚に相当する関係」と条例で認められるなど、LGBTが話題になりました。
私は、渋谷区の条例を含め、LGBTに関しては理解不能です。
申し訳ありません。
その他、「標準精神医学 第6版」には、性的方向付け障害(同性愛)、性嗜好(しこう)障害(パラフィリア)、フェティシズム、露出症、窃視(せっし)症、小児性愛、サディズム(加虐性愛)、マゾヒズム(被虐性愛)、死体愛好症、糞尿愛好症などの疾患について、6ページに亘り詳細に(大まじめに)記載されています。
ちなみに、性嗜好障害(パラフィリア)とは「性的倒錯」とも呼ばれ、常識的な性道徳や社会通念から逸脱した性的嗜好を指すそうです。
また、フェティシズムとは異性の体の一部や、身に着けたものなどに異常な執着を示し、それによって性的満足を得ることだそうです。
さらに、窃視症とは異常性欲の一つで、異性の裸体や性行為などをのぞき見ることによって性的満足を得ることだそうです。
いずれも、私の守備範囲を遥(はる)かに超えていますが、立派な精神疾患のようです。
ちなみに、これより36年前に書かれた教科書「最新精神医学-精神科臨床の基本-」にはどう書かれているのか、調べてみました。すると、ほんの少しだけありました!
「性倒錯」という項目に、「性欲対象の異常」「性的満足行為の異常」の2つについて、合計で僅(わず)か半ページだけ記されています。
私の感覚ではその程度で充分です、と言ったら少数派の人達に叱られるでしょうか?
私の頭は36年間進歩していないようです。
以上で、病名や呼称についての考察を終わります。
1年間お付き合い頂き、ありがとうございました。
2019年
11月
29日
金
令和元年12月1日
前号に続き、精神医学の分野における疾患や症状に付す病名・呼称について、私見を述べます。
2.認知症
認知症とは後天的原因により生じる知能の障害です。
かつては、「痴呆(ちほう)」と呼ばれていましたが、2004年に「認知症」に改められました。
「痴呆」は英語のdementia、ドイツ語のDemenzの訳語ですが、これらはラテン語の形容詞demens(正気ではない)(否定を表す接頭辞de+mens (正気))に由来します。
明治初期には「痴狂」などと訳されていました。
その後、「狂」の文字を避ける観点から「痴呆」が提唱され、定着したのです。
「痴」「呆」それぞれの文字について見てみましょう。
「痴」は「愚(おろ)か」「不届き」という意味であり、「白痴」「痴漢」などの熟語があります。
「呆」は「ぼんやり」とか「あきれる」という意味です。
「阿呆(あほう)」「呆然(ぼうぜん)」などの熟語があります。
厚生労働省の「『痴呆』に替わる用語に関する検討会」は「痴呆」は「あほう」「ばか」に通じ、侮蔑(ぶべつ)的な表現である上に、「痴呆」の実体を正確に表していない、と報告しました。
そして、「痴呆」を「認知症」に変更するべきだ、と結論づけたのです。
「認知症」の最大の危険因子は加齢です。
我が国の65歳以上の高齢者における「有病率」は実に15%(約500万人)と推定されています。
つまり、精神医学的には、認知症はすべて疾患(病気)扱いなのです。
認知症の基礎疾患は様々(さまざま)ですが、基本的には、アルツハイマー病、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症、脳血管性認知症の4つとされています。
この4つの内、最も多いと考えられているのが、有名なアルツハイマー病です。
しかし、これら4つの疾患のどれかに診断を確定させたところで、いずれにも根治的な治療法は存在しないのです。
私は「痴呆」や「呆(ぼ)け」という言葉を差別用語だとは思いません。
「痴呆」「呆け」には、老化現象は誰もが避けられない自然現象だから素直に受け入れよう、というニュアンスを感じます。
人間的な変容を許容する名称だと思うのです。
「色呆け」「時差呆け」「遊び呆(ほう)ける」などと言いますよね。
味わいのある言葉だと思います。
医者が高齢者を認知症と診断し、アルツハイマー病、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症、脳血管性認知症のどれかに分類するのは、患者を病気の類型に当てはめる作業です。
それに対して、「痴呆」や「呆け」という言葉は、お年寄りの人物像を表す、情緒的で暖かみのある呼称だと、私は思います。
次号に続く