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Exploring the History of Medicine, Part 51: Florence, Part 31
令和7年12月1日
真実の口
「嘘つきがこの口に手を入れると、食べられてしまう」という言い伝えで有名な「真実の口」は、ギリシャ正教のサンタ・マリア・イン・コスメディン教会"Santa Maria in Cosmedin"にあります。
この教会は、この辺りに多く住んでいたギリシア人のために、6世紀に建てられました。
8世紀に改築された際に、ギリシャ人達によって装飾(コスメディン)されたため、こう呼ばれます。
英語でもcosmetic美容・化粧品、cosmetic surgery美容外科、cosmetician美容師などの言葉があります。
映画「ローマの休日」で、グレゴリー・ぺックが「真実の口」に手を入れ、食べられてしまう振りをして、オードリー・ヘップバーン扮する王女を驚かせた場面は、世界中の人が知っています。
「真実の口」がある石は、古代ローマ時代の下水道の蓋(マンホール)です。
描かれているのは髭(ひげ)もじゃのお爺さんに見えますが、実は人間ではなく、ギリシャ神話に登場する牧神(森・原・家畜の守護神)パンPanです。
パンは神々の使者ヘルメス神の子です。
生まれた時から髭もじゃで、額(ひたい)にはヤギの角が生え、脚にはヤギの蹄(ひづめ)がありました。
この奇妙な姿に驚いた母親は逃げ出してしまいましたが、ヘルメスは赤ん坊をオリンポス山に連れて行き、大勢の神々に見せました。
これを見た神々はみんな面白がって大喜びしました。
全ての神を喜ばせたので、ギリシャ語の「すべて」を意味するPanと名付けられたのです。
pan(すべて)が付く言葉は沢山あります。
panorama(パノラマ、全展望)、pandemic(パンデミック、感染症の大流行)、panperitonitis(パンペリトナイティス、汎発性腹膜炎)、pancytopenia(パンサイトペニア、汎血球減少症)などなど。
成長して牧神となったパンは、洞窟に住み、森を駆け巡り、茂みに身を隠して、妖精達を襲うのでした。
そして、失敗するとオナニーにふけるという、実に淫乱な牧神でした。
パンはエコーEchoという妖精にもしつこく言い寄りましたが、エコーが応じなかったため、エコーから、同じ言葉を繰り返す以外の、話す能力を奪ってしまいました。
この逸話から、echoが「反響、こだま」という意味になったのです。
医者が使うエコーという器械も、まさしく音の反響を利用した診断装置です。
また、パンはシュリンクスSyrinxという妖精にもチョッカイを出しましたが、彼女は逃げだし、川の岸辺の1本の葦(あし)に姿を変えました。
振られてしまったパンは数本の葦を切って葦笛を作り、これをsyrinxと名付けて、悲しい調べを鳴らしました。挿絵(さしえ)のパンも葦笛を吹いています。
この故事からsyrinxが「管」を表す言葉となり、英語のsyringe(シリンジ、注射器)が派生したのです。
牧神パンは森の木陰でよく昼寝をしていました。
これを邪魔されると、怒って大音響を発して騒ぎました。
これに驚いて、牛や羊が群れを乱して走り出し、人々も狼狽(ろうばい)して一目散に逃げ出すのでした。
ここから、panic(パニック、恐慌)という言葉が生まれたのです。
現代では、不安障害に分類される精神障害の一種「パニック障害」に悩む患者さんが増加していますね。