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Exploring the History of Medicine, Part 51: Florence, Part 31
令和7年10月1日
フォロ・ロマーノForo Romano(続き)
フォロ・ロマーノは全体的に道路面よりかなり低くなっています。
それもその筈(はず)、前号で述べたように、ここは古代ローマ時代に丘と丘の間の沼地を干拓して造られた広場だからです。
市民の集会や裁判、商業活動や政治討論の場として設けられた「公共広場forum」であり、買い物広場でもありました。
古代ローマの発展の中核だった訳です。
ちなみに、現代英語のforum(フォーラム)は、もっぱら「公開討論会」の意味で用いられています。
紀元前5世紀の共和政時代初期には、フォロ・ロマーノは市民の公共生活の中心となり、ローマの発展と共に繁栄していきました。
しかし、やがて帝政が敷かれて、諸皇帝の広場ができると、フォロ・ロマーノはその本来の役割(民主政治の中心)を失い、むしろローマの偉大さと栄光を示すシンボルに変わっていきました。
その後、たび重なる蛮族の侵入で破壊されたフォロ・ロマーノは、中世には放牧の原となり、残った遺跡は壊され、建築材料として持ち去られました。
19世紀になって考古学的な発掘が行われるまで、かつてここに偉大なローマの中心があったことさえ、忘れ去られていたのです。
フォロ・ロマーノの一番西の奥に「セヴェルス帝の凱旋門」が建っています。
その左脇には、「ローマの臍(へそ)」"Umbilicus Urbis"と呼ばれる、直径4mのレンガでできた円があり、文字通りローマの中心でした。
そして、セヴェルス帝の凱旋門のすぐ左下にある細長い台座が、ロストリ"Rostri"と呼ばれる演壇です。
紀元前1世紀にカエサル(ジュリアス・シーザー)が行ったフォロ・ロマーノの改修で、現在の場所に移されました。
高さ約3m、長さ12mの凝灰岩でできています。
ここで、キケロなどの雄弁家が、広場に集まった市民に向かって弁を振るいました。
ローマ時代には、公職を志願する候補者は、自らの清廉潔白を示すために、トーガ"toga"(布を緩やかに体に巻き付ける衣服)をチョークで白く塗り、人々の支援を求めて、この演壇で演説したり、町を歩き回ったりしました。
白衣を着ている人は一点の汚(けが)れもないことを示し、公職にふさわしいと訴えたのです。
白衣を着ている候補者を、当時candidatus(カンディダートゥス)と呼びました。
その元はラテン語のcandere(カンデーレ、白く輝く)です。
現代英語でも、候補者・志願者をcandidate(キャンディデイト)といいます。
candle(ローソク)、chandelier (シャンデリア)、オランダ語 kandelaar(カンテラ、携帯用の石油灯)など、すべて同じ語源に由来します。確かに、みんな「白く輝き」ますね。
さて、医学用語にもCandida (カンジダ)というカビの名前があります。
これも、このカビが乳白色で光沢のある塊(かたまり)を作るからです。
ちなみに、Candida albicans(白色カンジダ)という種類がありますが、直訳すると「白く輝く白い物」です。
いくら白いにしても、おかしな名前です。
次号に続く