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Exploring the History of Medicine, Part 51: Florence, Part 31
令和7年8月1日
フォロ・ロマーノForo Romano
古代ローマの公共広場です。
理解し易いように、まず、ローマ発祥の伝承から説明します。
現在のトルコに「トロイ」という都市があります。
古代ギリシャ軍がトロイを攻め滅ぼしたのが「トロイア戦争」です。
生き残ったトロイアの青年アエネアスが、後にイタリア半島へ上陸しました。
そのずっと後の子孫である「ロムルス」と「レムス」という双子の兄弟は、赤ん坊の時にテヴェレ川に流され、メスの狼に育てられました。
双子の兄弟は成長し、自分たちが流れ着いた地点に町を建設することにしました。
その町に兄弟どちらの名前をつけるか喧嘩(けんか)になり、丘に登って鳥をたくさん見た方が勝ち、と決めました。
また、町の壁を越えて来る者は殺すという誓約も結びました。
弟のレムスは、アヴェンティーノの丘に登って6羽の鳥を見ました。
兄のロムルスは、パラティーノの丘に登って12羽の鳥を見ました。
ロムルスが勝ったので、彼は新しい街の城壁を築くために線を引き始めました。
街の名はロムルスの名に因(ちな)んで「ローマ」と呼ぶことにしました。
賭けに負けたレムスが、八つ当たりして街の壁をけり壊したため、ロムルスはレムスを殺してしまいました。
弟を立派に埋葬した兄ロムルスは、街に多くの人を住まわせました。
彼はローマを40年間統治し、雲の中へ消えていきました。
これが、紀元前8世紀のローマ発祥伝説です。
ローマは、パラティーノを初めとする7つの丘に囲まれています。
7つの丘は「ローマの七丘(しちきゅう)」と呼ばれます。
丘に囲まれた谷間は、丘の上から流れ込む水によって沼地を形成していました。
沼地は住むには適さず、もっぱら死者を葬(ほうむ)る場所として使われていました。
そこには、マラリアを媒介する蚊が群生(ぐんせい)していました。
当然、ローマ市民の間に、絶えずマラリアが流行しました。
紀元前1世紀前後には、マラリアが大流行したため人口が激減しました。
当時の有名な弁舌家キケロがローマを「悪疫(あくえき)の都」と呼んだくらいです。
人類を悩ませ続けてきた熱病をマラリアと名付けたのは、18世紀のイタリア人医師フランチェスコ・トルチです。
彼は、この熱病の原因が沼地の「悪い空気」"mal aria "であると考え、病名をイタリア語そのままのmalariaマラリアとしたのです。
マラリアに悩まされたのは古代ローマ人だけではありません。
マケドニアのアレキサンダー大王、エジプトの女王クレオパトラやツタンカーメン王、フィレンツェの詩人ダンテ、日本の平 清盛、カルカッタのマザー・テレサなどもマラリアに罹患したと言われています。
現代医学では、マラリアがハマダラカという蚊が媒介する感染症であることが明らかになっています。
残念ながら、今なお、世界中で毎年2億人以上の人がマラリアに感染し、40万人以上が亡くなっています。
私は医師になってから45年間、一度もマラリア患者に遭遇したことがありません。
しかし、地球温暖化に伴い、日本もマラリア流行地域になるのではないかと、危惧しています。
蛇足ですが、「良い空気」という意味の都市があります。
アルゼンチンの首都Buenos Airesブエノスアイレスです。
次号に続く