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Exploring the History of Medicine, Part 51: Florence, Part 31
令和7年4月1日
ピサの斜塔とガリレオ
ピサはフィレンツェから西へ90km、アルノ川がリグリア海に注ぐ河口の港町です。
最盛期(11~13世紀)にはヴェネツィア、ジェノヴァ、アマルフィと並ぶ海洋貿易国家として地中海に君臨しました。
その後、ピサが大学都市として名声を博するようになった16世紀に、ガリレオ・ガリレイがこの地に生まれました。
ガリレオはピサ大学で教鞭をとり、科学分野における同大学の名声を不動にしました。
ピサと言えば斜塔です。
イタリアで最も有名な建物です。
隣接する大聖堂(ドゥオーモ)の付属鐘楼(しょうろう)として、12世紀(日本では平安時代)に建築が始まりました。
湿地帯で地盤が弱いため、建築開始後、間もなく、塔は傾き始めました。
何度かの工事中断を経て、着工から200年後の14世紀(日本では室町時代)に、約5度傾いた状態で、塔が完成しました。
傾いた塔の高さは、北側で55.2m、南側で54.5mと、70cmの差があります。
最上層は最下層より、3mもずれているのです。
この斜めに傾いた塔を利用して、有名な実験を行ったのがガリレオ・ガリレイです。
彼はアリストテレス(古代ギリシアの哲学者)の「落下運動の速度は、物体の重さに比例する(重い物は軽い物より速く落下する)」という説が誤りだと主張しました。
これを実証するため、この斜塔の屋上南端から、大小二つの鉛の砲弾を落とすという実験を行ったのです。
鉛の砲弾を使用したのは、空気抵抗を無視できるほど小さくするために、比重の大きい(体積の小さい)物体を用いる必要があったからです。
その結果、大小両方の玉が同時に地面に落下することを確認しました。
そして、「物体の落下速度は、空気抵抗がなければ、その物体の重さによらず一定である」という説を17世紀、「新科学対話」で発表しました。
これがガリレオの有名な学説「落下の法則」です。
フィレンツェ編でも述べましたが、ガリレオ・ガリレイは天文学や物理学において、「自分の目で観察して確かめる」という手法を採りました。
彼は観察を重視し、自分の考えを証明するには実験するしかないと考えました。
今では当然の手法ですが、当時は伝統やカトリック教会という大きな壁が立ちはだかっていました。
しかし、ガリレオは屈することなく、己を信じて研究を続けたのです。