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Exploring the History of Medicine, Part 51: Florence, Part 31
令和4年2月1日
リアルト橋とオッパイ橋
リアルト橋(Ponte Di Rialto)は、大運河にかかる4つの橋のうち最大で、世界で最も有名な大理石の橋です。
ポンテ "ponte"は「橋」、リアルト "rialto"は、「高台」という意味です。
この辺りは周囲より少し高く、海上に姿を現していました。
最初の人々はここに住み始め、ここからヴェネツィアの建設が始まったのです。
当然、この一帯がヴェネツィアの商業・経済の中心地となりました。
今では、橋の上に貴金属店やみやげ物屋などが並び、両岸に貴族の邸宅や外国の商館が建ち並びます。
リアルト橋の少し上流に、ポンテ・デッレ・テッテ "Ponte delle Tette"という小さな橋があります。
テッテ "tette"とは、イタリア語で「乳房」の意味であり、その名の通り「オッパイの橋」を意味します。
人が集まれば、当然、「人類最初の商売」と呼ばれる営み(売春)も行われました。
15世紀頃、この地域は、娼館がひしめく歓楽街だったのです。
この付近の建物の窓やバルコニーには、乳房を出した娼婦達が並び、胸を見せたり、股を広げたりして、男どもを誘惑し、呼び込んでいました。
この頃、ヴェネツィア共和国では、同性愛の蔓延が社会問題となっていました。
カトリック教会が「自然に反する罪悪だ」と主張したからだけではありません。
同性愛者が増加すると結婚・出産が減り、その結果、人口が減少し、国力が低下するからです。それを防止するため、ヴェネツィア政府が同性愛者に科した処罰は極刑でした。
同性愛者は、サンマルコ小広場の2本の柱の間で絞首刑にされた後、「完全な灰になるまで」焼かれました。
同性愛を防ぐため、政府が法令で奨励したのが売春だったのです。
『 娼婦は、日没以降、橋の向かいの窓から顔と乳房をよく見せること 』
『 暗くて見えにくい場合は、キャンドルで照らすこと 』
などという条文までありました。
1509年のヴェネツィアには約12,000人の娼婦がいた、という記録があります。
当時のヴェネツィアの人口が約10万人でしたから、10人に1人が娼婦だった訳です。
しかも、娼婦達の上納金(税金)がヴェネツィア共和国の財政に大きく寄与しました。
特に、1519年の上納金は、ヴェネツィア造船所(兵器工場)建造に充てられたそうです。
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