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Exploring the History of Medicine, Part 51: Florence, Part 31
令和3年12月1日
サンタ・ルチア
サンタ・ルチア(Santa Lucia)はナポリ民謡「サンタ・ルチア」に歌われる聖女ルチア(英語ではSaint Lucy セイント・ルーシー)(3世紀末~4世紀始め)です。
ローマ帝国皇帝ディオクレティアヌスが支配するイタリア・シチリア島の町シラクサで生まれました。
ディオクレティアヌスが統治した時代は、ローマ帝国政府・軍内部にキリスト教徒が増加した時代です。
最初はキリスト教徒に対して融和的政策を執(と)っていた皇帝ですが、その信仰心や軍務放棄、統治への反抗心に警戒感を抱きました。
また、キリスト教徒が皇帝崇拝を認めなかったことも、ディオクレティアヌスを怒らせました。
ついに、303年、ディオクレティアヌスはローマ全土に対し、キリスト教徒の強制的な改宗、聖職者全員の逮捕および投獄などの勅令を発しました。
そして、キリスト教徒への弾圧が全土で行われ、聖書は焼却、教会は破壊されて、財産は没収となりました。
それは、かつてない規模で行われ、国家に対し公然と反抗したキリスト教徒は処刑され、その数は全土で数千人に達しました。
「ディオクレティアヌスの大迫害」と呼ばれています。
ルチアの母はルチアをある男と結婚させようとしましたが、ルチアは自身の処女を守るために拒否しました。
「自分にはより高貴な婚約者(すなわちイエス・キリスト)がいる」という理由からです。
その男は意のままにならぬルチアに怒り、彼女がキリスト教徒であり、火炙(あぶ)りにすべきだと、ローマ帝国に密告しました。
しかし、問罪所に突き出すため、ルチアを引き立てに来た兵士達は、どうしても彼女を動かすことができませんでした。
牛に彼女をつないでも引きずり出せなかったと伝えられています。
ルチアは聖霊に守られ、山のように強固だったのです。
そこで、ルチアには様々な拷問が行われました。
溶かした鉛を耳から流し込む、歯を引き抜く、乳房を切り取る、などです。
そして、ついにルチアは両目をえぐり出されてしまいました。
ところが、奇跡が起き、ルチアは目がなくとも見ることができたと伝えられています。
これ以降、彼女は目の守護聖女として崇(あが)められています。
多くの絵画や像でも、皿や器(うつわ)の上に自分の眼球を載(の)せた姿で描かれています。
最後の火炙りの際、薪(まき)の火がどうしても彼女に燃え付かないため、結局、剣で喉(のど)を突き刺され、ルチアは絶命しました。
次号に続く