令和3年2月1日
スカラ広場のレオナルド・ダ・ヴィンチ像
オペラの殿堂「スカラ座」の前の広場に、レオナルド・ダ・ヴィンチと4人の弟子達の像が立っています。
レオナルド・ダ・ヴィンチは1452年、中部イタリアのヴィンチ村に生まれました。
私(片桐 一)が1956年生まれですから、私より約500年先輩です。
レオナルド・ダ・ヴィンチという名は「ヴィンチ村出身のレオナルド」という意味です。
彼を「ダ・ヴィンチ」と呼ぶ人は多く、手術用のロボットにまで「ダ・ヴィンチ」という名が付けられているほどです。
そうそう、「ダ・ヴィンチ・コード」という映画もありましたね。
しかし、「ダ・ヴィンチ」は「ヴィンチ村の」という意味であり、人の名前としては変です。
実際、彼自身は自分の作品に、「ダ・ヴィンチ」ではなく、「レオナルド」と署名していました。
レオナルドは絵画、彫刻、建築、天文学、音楽、数学、物理学、地学、植物学など様々な分野に顕著な業績を残しました。
人類史上、最も多才な人物であり、「万能人 」と呼ばれる所以(ゆえん)です。
その中でも、彼が最も賞賛されているのは、画家としてです。
彼は、ミケランジェロと共に、ルネッサンスを代表する芸術家です。
「神の手を持つ」画家とも呼ばれます。
「最後の晩餐」や「モナリザ」を知らない人はいません。
しかし、忘れてならないのは、彼が偉大な解剖学者でもあったということです。
十字軍以来、キリスト教の聖人の遺体を崇拝する風潮が高まりました。
人々は聖人の遺体をバラバラにして、聖遺物として持ち帰ろうとしました。
当然、教会はこれを禁じ、聖人以外の一般人の遺体も解剖する事を禁止しました。
当時、人体を研究したい者にとって、解剖は命がけの冒険だったのです。
そんな風潮の中、絵画・彫刻の勉強に解剖学が不可欠と考えたのは、レオナルドが最初でした。
彼は、生涯を通じ、32体の解剖を自ら行いました。
近代解剖学の始祖です。
一例を挙げれば、彼は眼球を調べ、光と眼鏡の原理を解明しました。
また、幾人もの妊婦の死体を解剖し、妊娠の原理と胎児の成長過程を究明しました。
そもそも、27歳の時に、裁判所の壁に吊るされて死んだ囚人をスケッチして人々を驚かせた件も、人体への好奇心の一端を示しています。
レオナルドは頑固で、好き嫌いの激しい、孤独な人でもありました。
彼がミケランジェロと同様、同性愛者だったことも広く知られています。
当然、彼の弟子達は全員男性です。
同世代の天才画家ラファエロが女性専門だったのとは好対照です。
(ちなみに、私も女性専門です。)
精神分析で有名なフロイトは、「レオナルドが生後間もなく母親と別れたのが同性愛の遠因だ」と分析しています。