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Exploring the History of Medicine, Part 51: Florence, Part 31
令和2年12月1日
旧マッジョーレ病院
昔から人口密度が高かったミラノには、疫病(えきびょう)が頻繁に蔓延しました。
ミラノの要塞(ようさい)内部には、多数の小病院や、聖職者達が開いた介護所が点在していました。
15世紀半ば、フランチェスコ・スフォルツァ公爵(こうしゃく)夫妻はこれらの医療施設を一つの大施設にまとめるために、マッジョーレ病院建設に取り掛かりました。
フランチェスコ・スフォルツァは15世紀前半、子孫が絶えたヴィスコンティ家に替わって公爵位を継承した人物です。
すなわち、スフォルツァ家最初のミラノ公です。
スフォルツァ城を設計した建築家アントニオ・アヴェルリーノがこのマッジョーレ病院も設計しました。
200年間という長期間に亘(わた)り建設が続けられ、ひとまず完成したのが17世紀です。
建設が長期に亘ったため、建築様式もゴシックからルネッサンスへ移行しました。
病院設立の目的は、貧困と病に苦しむ人々の救済でした。
ベッドサイドには折りたたみ式のテーブルをしつらえた作りつけの戸棚が設置されました。トイレ、浴室などの設備も、当時の病院のモデルとなるほど近代的でした。
その後、19世紀にかけて、ミラノ市民の寄付によって施設の拡張が行われましたが、いずれも一流の建築デザイナーにより設計されました。
その荘厳(そうごん)さから、「カ・グランダ」(偉大なる館(やかた))と呼ばれています。
まず、ゴシック・ルネサンス風テラコッタで飾られた長い外壁が見ものです。
そして、美しい柱廊(ちゅうろう)(赤煉瓦(れんが)がアーチを描く回廊(かいろう))に囲まれて、17世紀に造られた素晴らしい庭園があり、「樹木(じゅもく)中庭(なかにわ)」と称されています。
時代の最先端を映していた病院建物が、第二次世界大戦中(1943年)に空爆により大破したため、戦争終結時にミラノ大学に譲られました。
大戦終了後、見事に修復された建物は1958年からミラノ大学の校舎となりました。
マッジョーレ病院はミラノ市内2カ所で新たに病院施設を作り、現在に至っています。
病院設立時のキリスト教の理念は、現在でも伝統として受け継がれています。
医学生、研修医、臨床医の教育機関としても位置付けられており、イタリアの医師の多くは、マッジョーレ病院でトレーニングを受けた経歴を持つそうです。