令和2年11月1日
私達が日頃お世話になっている西洋医学は、古代ギリシアに生まれ、イタリアへと伝わり、中世以降、ヨーロッパ中に広まった知識と技術の体系です。
イタリアは、古代から中世にかけて、世界の医学の中心地であり続けた地域です。
古代ギリシア時代からの医学を受け継ぎ、近代への橋渡しをしたのがイタリア医学です。
医学も社会における一つの文化現象です。
決して医学という世界の中だけで発展してきたものではありません。
他の社会事象、例えば文化や宗教に影響を与え、逆に、それらから大きな影響を受けつつ、変化し発展してきたのです。
具体的に言うと、ギリシア神話・ローマ神話、キリスト教、医学は深く絡(から)み合って変遷(へんせん)、進化し、世界史を形成してきました。
私の医師としての後半生(こうはんせい)の目標は、ギリシア神話・ローマ神話、キリスト教と関連し合った医学の歴史を学ぶ事です。
大学受験のために高校時代に暗記した世界史は、ごく表面的な物に過ぎませんでした。
還暦をとうに過ぎ、これからは、40年もの間生業(なりわい)にしてきた医学を通して、2,000年に亘(わた)る人間の営みを辿(たど)ってみたいと思います。
その取っかかりとして、イタリアを訪ねました。
ラザレット(隔離病舎)
中世、ミラノでも大勢(おおぜい)がペストで死にました。
そこで、ラザッロ・パラッツィの指揮のもと、60年以上かけて、ペスト患者を収容・隔離する施設が造られました。
完成は16世紀始めです。
21世紀の現代に生きる我々は、新型コロナウィルスに翻弄(ほんろう)され、過剰反応が経済を萎縮させています。
その100年以上前の19世紀末に、フランスのイェルサンと日本の北里柴三郎がペスト菌を発見しました。
さらに、その400年も前、まだウィルスはおろか、細菌感染症の概念もなかった時代の人が「隔離病棟が必要だ」と考えたとは驚きです。
場所は大聖堂とミラノ中央駅の中間辺(あた)り、350m四方の一画です。
中庭を囲む3辺に病舎が建てられ、合計288室の病室がありました。
19世紀に解体されましたが、現在も病舎が残っています。
中央には、重症患者がベッドに寝たままでも拝(おが)めるように、教会まで建てられました。
ラザレットという呼び名は新約聖書に登場するラザロという人物の名に由来します。
実は、新約聖書に登場するラザロは2人います。
一人目は重症の皮膚病に冒(おか)され、イエスによって奇跡的に清められた男です。
二人目は、死んで墓に埋葬された後、イエスによって蘇(よみが)えった男で、「ラザロ徴候(ちょうこう)」(脳死者が自発的に手や足を動かす動作)の語源ともなっています。
ラザレットという呼び名の由来がどちらのラザロかは諸説ありますが、どちらにせよ、聖書のラザロに基づくのは間違いないようです。
今日でも、ラザロは聖ラザロと呼ばれ、ハンセン病患者や葬儀会社などの守護聖人として崇(あが)められています。
ラザロという名はヘブライ語の「エルアザルelazar」(「主は助ける」の意)という言葉の短縮形だと考えられています。