令和2年5月1日
一般論を述べれば、高齢患者が急性期の入院治療を乗り切り、自宅に帰れば、訪問診療や訪問看護などの在宅医療が必要なのは当然です。
しかし、それは「川上」での医療が十分に提供され、また、「川下」の体制が十分に整っていてこそ可能となるのです。
在宅での治療・生活が可能となるまで患者の状態が回復した上で、在宅の環境が整い、医療・介護・福祉サービスが保障されている必要があります。
残念ながら、「川上」改革の本質は、急性期病院を中心にした大幅な「ベッド数削減」と「平均在院日数の短縮」であり、要するに、患者を「病院から追い出す」ことです。
患者が自宅へ帰れるかどうかは、患者の病状だけではなく、他の様々な状況により制限されます。
すなわち、家族構成・就業状況に左右される介護力、家の間取りなどの居住構造・環境、地域の医療・介護・福祉サービスの体制、経済的負担能力などです。
しかし、これら多くの個別条件をさておき、「地域包括ケアシステム」として、患者を長期入院させない方策を各地域で講じろと命じているのです。
医療供給抑制の「川上」改革の受け皿としての「地域包括ケアシステム」には、医療・介護・福祉サービスを保障するという概念は欠落しており、国が責任を放棄し、地域に押し付けているだけの事なのです。
そもそも、高齢者の医療・介護の場として在宅が最良であるという決めつけが、私には気にいりません。
本人や家族の様々な状況により規定されるはずの療養場所が、「在宅」のみに強制されるのが許せません。
「川上」から押し出された患者の受け皿として「地域包括ケアシステム」を構築せよと、自治体や医療・介護従事者が国から命令され、アタフタしているのが現状です。
医療従事者の一人として、医療費抑制を目的とする体制作りに加担させられるのが、私にとって不快でなりません。
従来から政府・財務省は「医療・介護にはこれ以上カネは出さない。自然増しか認めない」と公言してきました。
しかも、その自然増ですら「厳しく制限する」方針を貫いています。
医療・介護の「総合確保法」、社会保障と税の「一体改革」などの言葉を聞くと、我々国民は、医療・介護がしっかり「確保」してもらえるんだ、社会保障は「改革」されて良い方に向かうんだ、と思ってしまいます。
現実は正反対です。
騙されてはいけません。
川上の水量がたっぷりで、川幅も広く、流れも緩やかであれば、川下の川幅は広がり、豊かな水が穏やかに流れ、魚もゆったりと泳ぐ事ができるでしょう。
けれども、安倍政権の医療・介護改革は、狭く急流の川上から一気に大量の水を放出しようとしています。
河川整備が整っておらず、大量の水が急激に流れてくる川下では、多くの魚が行き場を失い右往左往してしまうだけです。
次号に続く