Message from the Directorを更新しました(Jan 1,2025)。
Exploring the History of Medicine, Part 51: Florence, Part 31
平成30年12月1日
個人情報への過剰反応が社会問題化したきっかけは、本法が全面施行した直後(平成17年4月)に発生したJR福知山線脱線事故でした。
この時、JR西日本や病院などが、死傷者情報を、個人情報である事を盾(たて)にメディアに提供せず、大きな議論を呼んだのです。
身近(みじか)にも過剰反応は蔓延(まんえん)しています。
私が学校へ通っていた頃は、クラス全員の名簿が配布され、枝分かれの連絡網もありました。
ところが、昨今(さっこん)は連絡網が配布されないため、緊急時の連絡に支障を来しているそうです。
自治会名簿や、災害に備えての要援護者リストを作れないという混乱も生じています。
県や市の福祉・防災の担当部署間で要援護者情報の共有が進まない、民生委員が活動を円滑に行えない、という問題も発生しています。
ある病院の待合室で、自分の名前を呼ばれた人が「なぜ人前で名前を呼ぶのだ。
名前は個人情報じゃないのか!」とクレームをつけました。
以後、この病院では患者を番号で呼ぶ事にしたそうです。
当院では耳の遠いお年寄りが多いため、受付で患者さんをお呼びする際は、大きな声で名前を呼ぶようにしています。
個人情報保護法が施行された際に、従業員から「名前ではなく番号で呼ぶ事にしたらどうか?」との提案がありました。
しかし、過剰な個人情報保護意識は暖かみのある人間関係を阻害する、と私は思います。個人情報への過剰反応により、がんじがらめになっては本末転倒です。
個人情報保護法は個人と個人を分断するための制度ではないのです。
当院では、これからも大きな声で名前を呼びます。
どうしても名前で呼ばれては困る方は、あらかじめ受付におっしゃって下さい。
独立行政法人国民生活センターが、個人情報保護への過剰反応について報告しています(平成17年11月)。
抜粋します。
「これまで社会に定着してきた名簿や連絡網、あるいは緊急医療における個人情報の提供が、形式的な法律解釈や運用のもとで存在できなくなったり、不可能になる事は、個人情報保護法の本来の趣旨(しゅし)に反する。
法律違反となる危険を恐れるあまり、個人情報の提供を一切行わないという対応が増えている。
また、十分な検討・工夫を講じないまま、個人情報保護法を理由に従来の活動を止(や)めてしまう、という事例が一般化している。
法解釈が確立しておらず、手探りの状況であるが、解釈基準の明確化を通して社会の同意を得る努力が不可欠だ」
私もその通りだと思います。
次号へ続く