番外編 片桐発祥の地を訪ねて

平成28年9月1日 

 

 この夏、私は、信州にある、真田(さなだ、私の家内の実家)の郷(さと)NHK大河ドラマ「真田丸」のお蔭でブームです)と片桐(私の一族)の先祖発祥の地を訪(たず)ねました。

写真集を当サイトのフォトギャラリーに掲載しました。ご参照下さい。

 今月から2回に渡り、「血液型と性格」の話を一時中断し、片桐発祥の地について、歴史的な背景を含めて報告します。 

 

 片桐の郷(さと)に入る前夜、泊まった温泉宿に呼んだマッサージ師の住所が「長野県上伊那(かみいな) 中川村 片桐」と聞いて、「確かに自分は片桐の郷に来たのだ」と実感しました。

 

 そもそも、私の先祖「片桐」氏(し)源(みなもとの) 満快(みつよし)繋(つな)がる信濃(しなの)源氏(げんじ)に発します。

満快は平安時代中期の武将です。(みやこ、現在の京都)における官吏(かんり)として活動し、下野守(しもつけのかみ)などを歴任したとされます(「尊卑分脈(そんぴぶんみゃく」)。下野(しもつけ)とは、現在の栃木県です。

 源 満快から数えて4代目の子、「蔵人(くろうど)大夫(だいぶ)」源 為基(ためもと)(平安時代後期の武将、通称:片切 源八(げんぱち))が、父の源 為公(ためとも)より信濃国(しなののくに)伊那郡(いなぐん)における勢力の一部を継承し、郡内の片切郷(かたぎりごう)に入部したとされています。

 源 為基がこの片切(片桐)郷(現在の長野県 下伊那(しもいな) 松川町 上片桐(かみかたぎり)東隣(ひがしどなり)上伊那(かみいな)郡 中川村 片桐)を領して片切氏と称したのが「片桐」家(け)の始まりです。

すなわち、源 為基が信濃「片桐」氏の始祖です。

為基は、片桐氏累代(るいだい)の居城として知られる船山(ふなやま)城も築きました。船山城の現在の住所は「長野県 下伊那郡 松川町 上片桐 城」です。

 ちなみに、蔵人は日本の律令(りつりょう、法律)に定められた官職の一つで、天皇の秘書的役割でした。大夫は男性官吏の称号です。

 以上より、信濃片桐氏や、それに繋がる片桐家は、信濃源氏の一家系だという事が、理解頂けたと思います。

 

 私は、藤沢市から約270km離れた先祖発祥の地を訪(おとず)れる期待に胸躍らせ、翌朝早く目覚めました。

まず、JR飯田線の「片桐」駅に行きました。

駅員がいない田舎(いなか)の駅でした。

飯田線は単線で、約1時間に1本しか走っていません。

 駅前の雑貨屋の女将(おかみ)さんに場所を教わり、船山城があった場所に到着しました(写真1)。

城(しろ)の一帯が西から東に細長く突出した形状をしており、船を置いてあるように見えるため、船山城と名付けられました。

 写真2は船山城があった山です。

確かに、山の形が船を逆さにしたように見えます。

 

 片桐氏の当主としては、「保元(ほうげん)の乱」「平治(へいじ)の乱」で源 義朝(よしとも)に従軍した片桐 景重(かげしげ)(源 景重、通称:片桐小八郎(こはちろう))が有名です。

義朝は源 頼朝(よりとも)後(のち)1192年、鎌倉幕府を創始)と源 義経(よしつね)の父です。

 「片切」はすでに「平治物語」「吾妻鏡(あづまかがみ)」から「片桐」とも記されており、一般には区別されず、早くから併用されていました。

ゆえに、景重の姓を片桐とも書くのです。

  景重は源 為基の孫で、平安時代末期の武将です。

源八の孫だから、小八郎と呼ばれたのでしょう。

長野県下伊那郡松川町にある小八郎岳(だけ)は、源 景重がその頂(いただき)に避暑地としての山城(やまじろ)を築いた事からその名が付きました。

 写真3の中央に位置する、局所的に禿(は)げた山が小八郎岳です。

ちなみに、その右にある、さらに高い山は烏帽子(えぼし)岳と呼ばれます。

 湘南の烏帽子岩の近くに暮らす私には、何か因縁めいたものを感じました。

 

 片桐景重は保元元年(1156年)の「保元の乱」で、源 義朝の郎党(ろうとう)として後白河(ごしらかわ)天皇方に参陣しました。続く、平治元年(1159年)の「平治の乱」でも源 義朝の信頼厚い武士として従軍しました。

 「平治物語」によると、片桐景重は源 義朝の長男・源 義平(よしひら)に従って平(たいらの)重盛(しげもり)500騎の軍勢に切り込む東国(とうごく、関東)武士の精鋭17騎の一人と書かれています。

少数の義朝軍はやがて劣勢に陥(おちい)りますが、屈服を潔(いさぎよ)しとしない義朝・義平は最後の一戦を望んで六波羅ろくはら、平家(へいけ)一門(いちもん)の軍事力の拠点)に向かいました。

 少数の武士の中に小八郎(源 景重)の名があります。

小八郎は再起を期す源 義朝・頼朝親子が東国に向けて敗退する時間を得るべく、必死の防戦に努めました。

しかし、最後は敵の大軍に囲まれ、京の六条(ろくじょう)河原(がわら)で討ち死にしました。                                

                               次号に続く

 インフルエンザ予防接種の予診票は当院受付にてお配りしている他、本サイトからもダウンロードできます。予め記入後お持ち下さい。

  ただし、「65歳以上の藤沢市民」は、インフルエンザ・コロナワクチン共に、当院にて専用の予診票に記入して頂く必要があります。ダウンロードはできません。

お知らせ

8月13日(火)、14日(水)、15日(木)の3日間、夏期休診させて頂きます。

Message from the Directorを更新しました(Jul 1, 2024)。 

令和6年4月以降、発熱など風邪症状がある方も、電話連絡等は不要となりました。

令和6年3月14日(木)、21日(木)、28日(木)の各木曜日休診します。

4月以降も、毎週木曜日休診します。

3月7日(木)臨時休診します。

2月28日(水)から3月5日(火)まで臨時休診します。3月6日(水)から診療再開します。

令和6年4月より、毎週木曜日、休診します。

1月25日(木)は通常通り診療します。

2月1日(木)は急用のため、休診いたします。

急用のため、1月18日(木)休診いたします。

 

急用のため、1月11日(木)休診いたします。

 

令和5年12月29日より翌1月3日まで休診します。ただし、1月2日は藤沢市休日当番医のため、午前9時から午後5時まで、急病・外傷患者さんの診療を行います。