平成27年3月1日
皆さんは、前回のおじいちゃん・おばあちゃんの話を聞いてどう思いますか?
「この医師の対応は正しい。
おじいちゃんも立派だ。
おばあちゃんの容態が回復して良かったが、もし、あのまま亡くなったとしても仕方がない・・・」
こう思われるでしょうか?
私はそうは思いません。
この医師は、「老人は救急車を呼んだり、入院して濃厚な治療を受けてはいけない。
年をとったら治療もほどほどに、余計な医療費を使わないで、自宅でおとなしく死ななければならない」という考えに凝(こ)り固まっています。
「やり過ぎない治療」「家で引っ張る」など、何と失礼な言い方でしょう!
おばあちゃんの容態が持ち直したから良かったものの、もし、あのまま亡くなったとしても、この医師は「自分の責任を果たした」と言うだけでしょう。
一体、人の命を何だと思っているのでしょうか?
80歳を過ぎたら救急車を呼んではいけないのでしょうか?
認知症のおばあちゃんは入院してはいけないのでしょうか?
いけないとしたら、何歳までなら人に気兼ねする事なく救急車を呼んだり入院したりしても良いのでしょうか?
私は、肺炎で死にそうになったおばあちゃんも、妻を入院させたいという願いを咎(とが)められたおじいちゃんも、気の毒でなりません。
患者を愛している家族も、もう一人の患者なのです。
現代は、「社会に貢献し、何かを生産し、他人に迷惑をかけないで自分の力だけで生きている人しか認めない」という風潮が広がっています。
そして、「社会に貢献せず生産能力が無く他人に厄介(やっかい)をかける弱者は切り捨てられても仕方がない」という世の中になってしまっています。
そして、「厄介者」の患者の「生きたい」という希望や、その家族の「助けたい」という願いを、ないがしろにしているのです。
このように由々(ゆゆ)しき風潮に拍車をかけているのが、国の医療費抑制政策なのです。
政府は国民の健康や生命よりも国の財政に重きを置き、在宅医療・在宅介護・在宅死を強力に推進しようとしています。
そして、この誘導にまんまと乗せられた多くの医師、看護師、介護職達が病(やまい)や障害に苦しんでいる人達に自宅で死ぬ事を強制し、家族に自宅で看取るよう圧力をかけているのです。
前回紹介したテレビに登場した医師も、政府の誤った在宅死推進政策に乗せられている一人です。
彼は、肺炎で苦しんでいるおばあちゃんに、このまま自宅で死ぬよう強要しました。
そして、妻を入院させたいおじいちゃんに、「歳だからあきらめろ」と治療を拒否したのです。
この医師は、自分が間違っているとは思っていません。
彼は自分が正しい事をしていると信じているのです。
次号に続く