平成27年1月1日
皆様、明けましておめでとうございます。
今年も、お付き合い下さい。
前回述べたように、多くの国民が自宅を「安心して最後を迎える場」とは考えていません。それにも拘(かか)わらず、なぜ国(厚生労働省)は、「可能な限り、住み慣れた生活の場(自宅)において医療・介護サービスが受けられる」ようにしたいのでしょうか?
理由は簡単です。医療費削減が目的なのです。
決して、医療・介護の質の向上や、国民の安心・安全を目的にしている訳ではないのです。
国は「在宅医療・介護あんしん2012」の中で、「国民の希望に応えるために自宅に療養・看取(みと)りの場を提供する」と言っていますが、真っ赤なウソです。
国が在宅医療・在宅死を声高(こわだか)に叫ぶのは、医療費を削減したいからに過ぎないのです。決して、「国民のため」ではないのです。
これまで本欄で何度も述べたように、世界規模で比較すれば、日本の医療費は先進国の中でも最低レベルです。
それにも拘わらず、政府は1980年代から「医療費亡国論」に基づき、医療費抑制政策を執(と)り続けてきました。
そして、1992年には膨張した入院医療費を削減すべく、在宅を医療提供の場として正式に位置づけたのです。
現在、政府が主導している「社会保障と税の一体改革」は、少子高齢化に伴う医療費の高騰(こうとう)を危惧するがゆえに、社会保障費抑制と消費税増税を中心とした国民負担増大を目的とした政策です。
そこでは、入院医療費抑制を図るために、病床数の削減と入院日数の短縮を至上命令として、強引なまでの在宅誘導が企図されています。
現在も今後も、高齢化は、地方と同様に都市でも進行します。
その上、都市は土地代が高く、介護施設などを整備するのは困難です。
しかも、今後、死亡者数が増大します。
現在の年間死亡者数は100万人程度ですが、2025年には160万人程度まで増えると予想されています。
しかしながら、政府は病院の病床数を削減し続けており、介護療養病床廃止(2017年)の方針も変えてはいません。
必然的に、「死に場所」として、自宅しか残らないのです。
本来なら社会保障で行うべき医療や介護を、家族やボランティアの無償の労働力に肩代わりさせようというのが、「在宅医療・在宅介護・在宅死」推進政策の真の目的です。
政府は、予防から急変期、回復・安定期、終末期に至るまで、地域全体で対応できる「地域包括ケア」の確立を唱(とな)えていますが、安上がりな医療・介護提供体制に舵(かじ)を切ろうとしているだけなのです。
その実体は、医師が行う訪問診療を看護師の病状観察に、看護師が行う痰(たん)吸引などの医療ケアを介護士に、介護士が行う生活支援を地域住民に、それぞれ担(にな)わせようというだけの、安易な制度改変に過(す)ぎません。
「医療から介護へ、入院から在宅へ、施設から地域へ」を狙(ねら)う「社会保障・税の一体改革」は、医療・介護給付費を押さえ込もうとする、誤(あやま)った国策に他(ほか)なりません。
民間団体が行っている「尊厳死」推進運動は、国の医療・介護給付費抑制政策に乗せられている、としか私には思えません。
まさしく、国の思う壺(つぼ)です。
次号に続く