平成26年9月1日
死は誰にも必ず訪れます。
読者の皆さんは、どのような死を迎えたいと思っていますか?
「自宅の畳の上でポックリ死にたい」
「ボケるくらいなら死んだ方がマシだ」
「病院の集中治療室で、何本ものチューブに繋(つな)がれたまま、生かされるのはご免だ」
「治る見込みが無いなら、いっそ殺して欲しい」
「私が植物人間になったら助けないでね」
このように考える方が多いのではないでしょうか?
日本尊厳死協会は、尊厳死を次のように定義しています。
「尊厳死とは、傷病(しょうびょう)により不治(ふじ)かつ末期になった時に、自分の意思で、死に行く過程を引き延ばすだけに過(す)ぎない延命措置(えんめいそち)をやめてもらい、人間としての尊厳を保ちながら死を迎える事です」
そして、同協会は尊厳死の宣言書「Living Will (リビング・ウィル)(生前発効の遺言)」の普及を推進しています。
以下にリビング・ウィルの全文を掲載します。
「私は、私の傷病が不治であり、かつ死が迫っていたり、生命維持措置無しでは生存できない状態に陥(おちい)った場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携(たずさ)わっている方々に次の要望を宣言いたします。
この宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものであります。
したがって、私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、または撤回する旨(むね)の文書を作成しない限り有効であります。
1.私の傷病が、現代の医学では不治の状態であり、既(すで)に死が迫っていると診断された場合には、ただ単に死期を引き延ばすためだけの延命措置はお断りいたします。
2.ただしこの場合、私の苦痛を和(やわ)らげるためには、麻薬などの適切な使用により十分な緩和(かんわ)医療を行ってください。
3.私が回復不能な遷延性(せんえんせい)意識障害(持続的植物状態)に陥った時は生命維持措置を取りやめてください。
以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従ってくださった行為一切の責任は私自身にあることを付記いたします。」
日本尊厳死協会は尊厳死運動を、「無意味な」延命行為を拒否する、人権確立の運動だとも言っています。
同協会の提言は一見もっともで、多くの方が賛同しています。
しかし、この「尊厳死」という概念には大いに問題があります。
従って、むやみに「尊厳死」を推進してはいけないと、私は思います。
次回以降、私が「尊厳死」に反対する理由を述べます。
次号に続く