医学の歴史を訪ねて 第30回 フィレンツェ編 その10 - hajime-clinic

医学の歴史を訪ねて 第30回 フィレンツェ編 その10

令和5年4月1日

 

小児病院(捨て子養育院)

 大聖堂から北へ少し行くと、古い小児病院があります。

15世紀に絹商人たちの浄財で建てられました。

元々は、孤児や捨て子の救済が目的だったため、「捨て子養育院」と呼ばれていました。

ヨーロッパ最古の孤児院です。

フィレンツェでは、このような慈善事業が盛んに行われ、大聖堂の脇には、未婚の母のための施設もありました。

  捨て子養育院は、大聖堂のクーポラと同様に、ブルネッレスキが設計した、フィレンツェで最も初期のルネッサンス建築です。

古代ギリシャから長い時を経て、再び柱が建築の重要な要素となっています。

 正面1階は、大きなアーチ(計9個)と円柱をもった長い回廊です。

各円柱の上部には、美しい青色の陶板メダル(メダイヨン)がはめ込まれています。

メダイヨンはアントニオ・デッラ・ロッビアの作品で、白い布(スワッドルswaddle)を巻かれた乳幼児がデザインされています。

 中世では、赤ん坊を傷害から守るため、と称して体に包帯を巻く習慣がありました。

スワッドリングswaddlingと呼ばれました。

これは、産婦人科学の元祖として有名な、エフェソスのソラヌスが提唱し、ローマ時代の名医ガレヌスもこれを推奨しました。

この悪習は中世を通じて広く行われ、19世紀初めまで続きました。

現代でもスワッドルという言葉は使われてますが、包帯ではなく、新生児に着せる産着(うぶぎ)や「おくるみ」のことを指します。

 また、回廊の端には、母親が人に顔を見られずに子供を捨てられる「回転木戸」が今も残っており、いささか胸が痛みます。

 柱廊に囲まれた美しい中庭に面して、彩色テラコッタ「受胎告知」が描かれています。これも、アントニオ・デッラ・ロッビアの作品です。

 

 受胎告知とは、キリスト教の新約聖書に書かれている有名な出来事です。

処女マリアの前に、天使のガブリエルが天から降りて来て、マリアが神の意志により男の子を懐妊したことを告げました。

そして、生まれた子をイエスと名付けなさい、と命じたのです。

マリアは、最初、戸惑いましたが、「神の思し召しに従います」と受け入れました。

キリスト教文化圏の芸術作品の中で、繰り返し登場する題材です。

受胎告知については、いずれウッフィツィ美術館の項で詳しく説明します。

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