医学の歴史を訪ねて 第10回 ヴェネツィア編 その5 - hajime-clinic

医学の歴史を訪ねて 第10回 ヴェネツィア編 その5

令和3年8月1日

 

ドゥカーレ宮殿の聖クリストフォーロ

 

 医学関連の美術として見落とせないのが、ティツィアーノのフレスコ画「増水した河を渡る聖クリストフォーロ(Cristoforo) 」です。

宮殿のベランダへ上る階段の背面壁にあり、私は宮殿のスタッフに頼んで特別に見せてもらいました。

 英語名のクリストファーChristopherは、ギリシャ語のChristos(キリスト)と、pherein(運ぶ、捧げる)から派生したphoros(俸げ物)とから成る、クリストフォロスChristophorosが語源です。

テテン語ではクリストフォルスChristophorusです。

その原義は「キリストに捧げられた者」です。

 伝説では「聖クリストフォルス」は「キリストを運ぶ者」として知られており、救難聖人として有名です。

救難聖人とは、危急の際に、その名を呼ぶと神に救いをとりなしてくれると信じられている聖人達です。

中世の人々は、聖クリストフォルスの姿を一瞬でも頭に描いたり、聖クリストフォルスの名前を口にすると、死から逃れられると信じていたのです。

ぺストのような感染症が頻繁に流行した時代では、特にありがたい聖人として崇拝されたことが容易に想像できます。

 聖クリストフォルスは、伝説によると、ヨルダン川の西域に住んでいた「レプロブス」という名の庶民でした。

巨体と、いかつい顔の持ち主でした。

「レプロブス」は、ラテン語reprobus(下賎な)が固有名詞化したものです。

 クリストフォルスの名を口にすれば感染症による死から逃れられるという信仰は、ギリシア神話で医療の神とされたアスクレピオスの影響と考えられます。

クリストフォルスが持つ杖はアスクレピオスの杖に通じます。

 伝説によると、聖クリストフォルスは、ある暴風雨の夜、幼い男の子を肩に乗せて川を渡りました。

その子はだんだん重くなりましたが、クリストフォルスは水をかぶりながら、やっとのことで、渡りおおせました。

すると、その男の子は「自分はキリストである。自分の重さは全世界の罪の重さであり、水をかぶった事は洗礼を意味する」と語りました。

 以後、クリストフォルスは熱心なキリスト教徒となり、貧しい者や弱い者を背負って川を渡りました。

また、迫害されるキリスト教徒のために祈り、奇跡を行い、一生のうちに48千人もの人々を改宗させました。

 最後は、キリスト教を迫害するローマ皇帝デキウスにより処刑されました(3世紀)

彼は、真っ赤に焼けた兜(かぶと)を頭にかぶせられ、鉄の台に縛られ、下から火を付けられました。

鉄の台は蝋のように溶けましたが、彼は火傷(やけど)もせずに立ち上がったため、首をはねられたそうです。

 自らの信仰のために死ぬ事を殉教(じゅんきょう)といいます。

クリストフォルスも殉教した聖人の一人です。                                                              

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